Blackへの敬意とリトル・マーメイド
ずっと、引きずってる違和感があります。
事の発端と言えば大げさかもしれませんが、インタビューでブラックミュージックが大好き、と話したときのこと。このとき、「ブラックミュージック」という言葉は、ナイーブな表現になりえるので使わない方がいいのでは?と言われてしまいました。腑に落ちなかったのですが、結局、「16beatの音楽」という非常に微妙な言葉に修正されてしまいました。(いま思えばソウルミュージックとジャズ、と言い換えればよかったですね。)
小さい頃からスティービーワンダーとジャズを聴いて育ち、リスペクトするベーシストも殆どが黒人。音楽からは外れてしまいますが、好きなサッカー選手はロナウジーニョでした。彼らはみな、自分のヒーローです。
日本という島国育ちの自分には、問題の根源は見えてないのかもしれません。尊敬の念を込めた「ブラックミュージック」という言葉は、やはり、誰かを傷つけたり、差別を助長したりしてしまうのでしょうか……?
話は少し変わって、先日、吹替版の実写映画、リトル・マーメイドを見てきました。水の中の楽園は自分の眼に美しく新鮮に映りましたが、なぜか付きまとう息苦しさ。没入感の高すぎる映像は、人としての水中世界を無意識のうちに想像させるからでしょうか。人魚になりきろうと試みましたが、「水の中は苦しい。」こういった固定観念を払拭することが簡単ではないことに気がつきました。
その分、映像が地上に移ってからはすごく楽しみました。エリック王子の人柄が何より素晴らしくて、アリエルとの恋を必死に応援しました。そんな自分の気持ちを尊重してくれるかのごとく、執事のおじいさまによる鉄の意志でのアシストは、自分にとっては笑ってしまうほど気持ちのいいものでした。素晴らしい音楽と魅力的なキャラクターが織りなす物語、気がつけばあっという間の2時間15分でした。
きっとこの映画を見て、アリエルに憧れる子供がたくさんいると思いますし、そうした人たちの想いが積み重なっていかないと、固定観念は払拭できないのかもしれません。無意識の中に潜む、差別のような固定観念。
勘違いして欲しくないので言っておきたいのですが、アニメ版が好きな人たちの気持ちもとてもよく分かるんです。きっとどちらも間違ってません。だからこそ、両方の意見が様々な人たちの目に入るべきだと思います。
冒頭の「ブラックミュージック」に対する自分の想いだって、間違ってません。けれども、そんな無意識の部分にマイナスに作用してしまうのであれば、やはり使うべきではないのだろうと思います。でも、尊敬を文章にすることで少しでもプラスにできるのなら……。
公開後、割とすぐに見にいってこのようなnoteを書きましたが、文章の公開をするかどうしようか迷っていたため遅くなってしまいました。勇気をだして、Blackへの敬意と実写版リトル・マーメイドが楽しかったことをnoteにさせていただきました。
海宝直人と浦嶋りんこさんの歌、めっちゃカッコ良かったです。
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