なぜ我々は空気を読むのか?間接互恵における意見同調の役割

ここでは、我々が最近出版した論文 Y. Murase et al. “Indirect reciprocity under opinion synchronization” PNAS (2024) について研究内容の紹介と、研究の裏話をお話ししたい。
ここでは論文のように科学的に厳密な話はせず、ざっくりとどんな内容なのか、どんな意義があるのか、どのように研究したのかという話をしていきたい。むしろ研究から示唆される内容を妄想も含めて語るので、そのことを踏まえて読んでいただきたい。

なぜ我々は意見を周りに合わせるのか?

さて、ここでお話しするのは「なぜ我々は自分の意見を周りに合わせるのか」という疑問についてである。
例えば、自分の周りの人から人気のあるアーティストを推しているとしよう。すると、自分もなんだかその人の良い面が見えてきて、「なんかいいかも」と好意的に思うようになることもあるのではないだろうか。
逆に、自分がひそかに好きなアーティストがいたとする。しかし、周りの友人たちの間で評判が悪いことを知ったとしよう。すると、多くの人は自分の「好き」という気持ちが少し冷めたり、恥ずかしくなって自分の気持ちを言い出せなくなったりするんじゃないだろうか?

このように、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、他者の意見に対して影響を受け、周りに同調するように自分の意見が変わることを経験した人は多いと思う。

他にも、学校や職場での「いじめ」や、ネット上での炎上なんかも意見の同調が過度に現れた例と言えるかもしれない。たまたまある子がクラス内で悪い評判が立つと、それに同調して周りもその子をいじめ出す。逆に、「空気を読まずに」そのいじめに反対すると自分が標的になってしまうこともあるだろう。


どうも我々には、良し悪しはともかく、本能的に意見を他者と同調させる傾向があるらしい。しかし、なぜ意見を同調しようとするような本能が進化の過程で形成されてきたのだろうか?我々の研究は、そのような同調性が間接互恵性のために進化してきた可能性を示唆している。

間接互恵性とは

人間社会において、我々は日常的に協力し合って生活している。なぜ、わざわざ自分がコストを払ってでも他者を助ける行動をとるのだろうか?その理由の一つが「評判」である。「他者を助ける→周りに良い人だと思われる→のちに第三者から協力してもらえる」ということが起きる社会では、自分が短期的にコストを払ってでも他者に協力することで、長期的に自分の利得を最大化することができる。このように第三者から「間接的に返報」されることによって協力を維持する仕組みを「間接互恵性」と呼ぶ。

間接互恵性の仕組み

この間接互恵性をより数学的に理解するために、数理モデルを用いた理論研究がこれまで多く行われ、その中で様々な仮定に基づく理論モデルが提案されてきた。例えば、あるモデルではプレイヤーの行動が複数人に同時に観測されることを仮定する一方で、別のモデルでは一人によって観測されることを仮定する。また、別のあるモデルではゴシップによって意見が交換される一方で、他のモデルではコミュニケーションを仮定しない。これらのモデルは、(当然ながら)異なる結論に至ることも多く、「結局のところ理論から何が言えるのか?」というのがよくわからない状況があった。

今回、我々は、これらのモデルを統一的に理解する理論的枠組みを提案した。モデルの詳細をあえて無視し、「プレイヤーの間で意見がどれくらい相関しているか」だけに着目した一般化した理論を作った。例えば、Aさんについて、BさんとCさんはどのような意見を持っているか考えよう。完全に意見が相関している場合には、BさんとCさんの意見は必ず同じになる。(「BさんがAさんを好きならば、CさんもAさんを好き」だし「BさんがAさんを嫌っているなら、CさんもAさんを嫌っている」) 逆に、相関が無い極限を考えると、「BさんはAさんを好きかどうかは、CさんがAさんを好きかどうかとは無関係」という状況である。それぞれ、同調性が強い社会と同調性が無い社会とも言えるだろう。

意見が同調性が強い社会、弱い社会

この意見の相関だけに注目した一般化理論を解析すると、これまでの研究結果を包括的に再現できることがわかった。
同調がない社会(意見が統計的に独立な場合)では、どんな社会規範や戦略を持ってきても協力は安定になり得ないということを一般的に示すことができる。また、意見の相関が強くなるにつれて、協力状態がより安定になりやすいことも分かる。これまで、いくつかの種類の具体的なモデルが提案されてきたが、意見の同調の度合いこそが協力的な社会を構築できるかどうかの重要な因子になっていることが明らかになった。
我々、人間が「周りの意見に合わせる」傾向があることは日常的にも体験していると思う。しかし、そもそもなぜヒトは空気を読んで周りの意見に同調しようとする傾向があるのだろうか?もしかしたら、間接互恵により協力を維持するため、というのが理由の一つなのかもしれない。

研究の裏ばなし

この研究はこれまでの理論研究を統合する試みなのだが、最初に研究を始めたときはそのようなことができるとは想像していなかった。
まずは理論的な解析がしやすい「意見が独立な場合」の研究から始めた。そうすると、協力が進化的安定にならないことが一般的に示せてしまった。これはわかってしまえばある意味当たり前の結果だったのだが、最初に気づいた時には共著者とともにかなり驚いた。
では、この理論から少し進んで相関を導入したらどのように結果が変わるかを調べてみることにした。独立な場合からの「ずれ」を近似的に求められれば良いかと思っていたのだが、実は協力が安定になる条件が求められることがわかった。(後から気づいたことだが、間接互恵のモデルは本質的に三人の間の相互作用なので、2体の相関までわかれば良いのだ。)
その後、先行研究のモデルが我々の理論の特殊な場合として整合するかどうかを調べていった。その際には、過去の論文を読み込むだけでなく、その論文の著者にコンタクトをとってわからない部分を個別に教えていただいた。詳しい計算まで丁寧に教えていただき、我々の一般化理論と整合することがちゃんと理解できたのだった。まさに「巨人の肩の上にたって」可能になった研究である。

そして、数値計算での検証も行ったら、結果が見事に一致したので我々としても驚いた。(もちろん、数学的に正しいのだからうまくいくはずなんだけど、たいがいの場合、何かミスや勘違いをしていてうまくいかないのだ。)
論文を投稿したところ、査読者からもとてもポジティブに評価していただき、かなり短い期間でアクセプトされた。

In my opinion, the paper addresses an important question. (私の考えでは、この論文は重要な問題に取り組んでいる。)

the implementation is quite elegant, as can be seen, e.g., from Fig. 1, which shows how most other models fit neatly into the framework. (例えば図1を見ればわかるように、この実装は非常にエレガントである。)

In short, I very much appreciated the paper. (要するに、私はこの論文を非常に高く評価した。)

The paper is well-written and enjoyable to read. I believe it would be of interest to a broad range of scholars interested in the study of social behavior, from theoretical biologists and behavioral scientists to applied mathematicians. (この論文はよく書けており、読んでいて楽しい。理論生物学者や行動科学者から応用数学者まで、社会的行動の研究に興味を持つ幅広い研究者の興味を引くと思う。)

なぜ異端が排除されたのか

最近、私は「チ。地球の運動について」というアニメにハマっている。この世界では、天動説が教会の「正しい」教えとされており、地動性を唱える研究者は異端の学問として、教会から敵視され排除される。私の視点でこのアニメを見ていると、これは意見同調の話のように思えてならない。なぜ教会は異端を極端に排除しようとするのか?それは社会の協力を維持するためだったのかもしれない。(それを教会が意識的に行なっていたのか、本能的に行なっているのかはわからないが。)
現代の感覚からすると、シンプルに怖いし、あまりにも集団主義に思えるだろう。しかし、現代人の我々には、協力するかしないかというのは優しさやモラルの問題と思えるかもしれないが、昔はもっと深刻な死活問題だったはずだ。進化の時間スケールで考えると、大半の時間、ホモサピエンスは小規模な狩猟採集社会を営んで協力することで生き延びてきた。その中で間接互恵性という仕組みが生み出され活用されてきたのであろうが、その時には周りに協力してもらえるかどうかというのはまさに生死に関わる問題だったはずだ。間接互恵性が支配的な社会で生きのびるには、「実際にいい人かどうか」よりも「周りにいい人だと思われるか」がより重要だ。(同調圧力の強いムラ社会みたいなものを想像すると良いだろう。間接互恵性の支配的な社会は生きづらそうだ。)そのためには、真理を追い求めるよりも、周りの空気を読み、意見を同調させることが重要であり、「異端」を排除するという本能が進化的に獲得されたのかもしれない。

(言うまでもないことだが、仮にこのような意見の同調傾向が進化的に獲得されたものだとしても、現代社会において異なる考えを持つ少数派を排除することは決して正当化されない。むしろ、現代の情報化社会では、意見の同調が過度に増幅され、いじめやSNSの炎上などにつながる傾向がある。
私たちの中にある同調バイアスに自覚的であることで、不当な「異端の排除」を行なってしまうことを防ぐことが重要なのかもしれない。)

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