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四軒目の家 #隣の家になにかいる

 前のおばあちゃんがいなくなって、空き地に家が四軒建った。おばあちゃんは時々プリンをくれたから、僕は残念だった。僕の名前は浩太。新学期から四年生になる。
 お正月までに二軒が埋まり、三軒目の家に智希(ともき)が越してきた。智希は新学期から一年生で、僕と同じ小学校に通う。僕には中学生一年生になる姉ちゃんがいる。今までは一緒に通っていたけど、新学期からは一人で通学することになるはずだった。紫穂(しほ)ネエと友だちがぺちゃくちゃ喋りながら学校に行くのを追いかけるだけの日々だったけど、今度は違う。
 僕が智希を連れて行くんだ。

 始業式と入学式が済んだ翌朝、玄関から出ると智希と智希のママが待っていた。ブカブカの黄色い帽子と大きなマスクで、智希の顔はほとんど見えない。僕は母さんに言われたとおり、マスクをつけたまま挨拶した。母さんも出てきて「おはようございます」と言った。母さんは僕たちを見送ってすぐに引っ込んだけれど、智希のママは角までついてきた。
「浩太君がいてくれて本当によかった。智希をよろしくお願いします」
 智希のママは、僕の母さんよりずっと若い。それになんだかいいニオイがする。
 一年生の昇降口まで智希を連れていった。智希は大きな目を開いて何か言いたそうだったけど、僕は向こうから歩いてくる真斗(まさと)を見つけたので急いで四年生の昇降口に向かった。一年生を連れてくるって、やっぱり疲れる。僕の後からついてくる智希の靴は小さくて、ランドセルはやたら大きい。

 学校から帰るとドッジボールを持ってみんなの集まる公園に行った。僕はそんなに得意じゃない。それでもドッジボールをしに行くのは真斗がいるからだ。
 五時の鐘を聞いてからもうひと試合して家に着いた時、僕は智希が新しい家の前に立っているのを見かけた。玄関を開けて「遅い!」と僕に怒鳴った母さんが、智希を目に留めて「あら」と言った。僕はさっさと台所に向かった。お腹がペコペコで死にそう! 
 ジャ〜っという音と、いい匂いが台所から漂ってくる。
「おかえり」と、フライパンに向かって父さんが言った。
 母さんはネットショップをやっているので、前から家で仕事をしていた。けれど例のコロナが流行り始めて学校も休校になり、父さんも家で仕事をすることが多くなった。一人時間を奪われた母さんは荒れ狂い、しまいに「家にいる人が平等に家事をする」ということで決着がついた。父さんは結婚するまでは一人暮らしだったからできないわけじゃない。父さんの作る料理は単純だけど美味しい。今日の晩御飯は「肉野菜炒め」。そんなの料理の本にのってないよね〜と、母さんは笑うけど、その割にパクパク食べて美味しいって言うから。
 食べ終わった後、お向かいの話になった。最初に越してきた二軒は、子どものいないご夫妻と、大学生のお嬢さんのいる三人暮らしの家庭。どちらも感じのいい人たちだけど、僕には関係ない。智希が越してきて初めて、素直に嬉しかった。
「最後の一軒、売れないわね」と母さんが言った。
「あれじゃあ日当たりが悪すぎる」と父さんも言った。紫穂ネエは自分のスマホを持って立ち上がると、僕の方を見て思わせぶりに言った。
「浩太、知ってる? あの家……出るんだってさ。みんなが噂してたよ」
 紫穂ネエはそういう話が好きだ。僕はダメだ。真斗にも言ってないけど、本当は暗闇が怖い。紫穂ネエはわかっててわざと僕にそういう話をする。
「『みんな』って誰よ。そういう言い方は……」
 言いかける母さんを無視して、紫穂ネエはさっさと二階に向かう。最近、紫穂ネエと母さんはケンカっぽくなることが多い。
「思春期ヤロー……」と母さんが呟く。大きな声じゃないのに、紫穂ネエは聞きつけて階段の上から爆弾を投げ返す。
「うっせ、クソババア!」
 父さんは苦笑いで僕を見て、それから母さんを見て言った。
「健全なり、健全なり」
 かあさんはふくれっ面になる。あ〜あ、きっと今日の皿洗いは僕だ。

 一緒に通学するようになってある日、智希が言った。
「……となりの家に……なにかいるんだ」
それはよく晴れた木曜日で、木曜日はロング昼休みがあるって決まっている。先生はきっとクラスで遊ぼうって言うけど、サッカーをやるのかドッジボールをやるのかが問題だ。僕はそのことを考えていたので、適当に返事をした。
「ママはウソついちゃいけませんって言うけど……コウタ君も……ボクのこと、ウソつきだって思う?」
 マスクを通してモゴモゴしゃべる智希の声には、とても真剣なヒビキがあった。
『あの家……出るんだってさ』
 紫穂ネエの声が頭の中で点滅した。智希は学校に着くまで話し続けていた。マスク越しの声は聞きづらかったし、話は分かりにくかった。おまけに最後の方はなんだか泣いているみたいだったので、僕はどうしていいかわからず、思わず言ってしまった。
「学校から帰ったら、智希の家に遊びに行っていい?」
智希はブンブン首を上げ下げしてうなずいた。大きな帽子が脱げそうになった。

 智希の部屋はスッゲーきれいだった。まず家が新しい。その上ピカピカの学習机、黄色い帽子と真新しいランドセルがかかっているキリンの衣装かけ。
 その日はツイてなかった。ロング昼休みはサッカーでもドッジボールでもなく「話し合い」だった。身体がウズウズする。ドッジボールがしたい。真斗にも声かけられたけど、今日だけは智希の家に行くことにした。 
「ここがね」と智希はベッドの横の壁を指指すと言った。
「隣の家。そして音が聞こえるのもこっち」
「どんな音?」と僕は聞いた。
 智希が口を開きかけた時、ノックの音がした。子どもの部屋に入る時ノックするのか? という疑問は、智希のママが持ってきたプリンの前で昇天した。トレーには氷の入ったカルピスも乗っていた。うちではいつも麦茶だ! プリンは苦いカラメルの入っている本格的な味で、僕はあっという間に食べた。昔、前の家のおばあちゃんにもらったのは「プッツンプリン」だった。あの頃は最高においしいと思ったけど。智希が僕を見て、自分のを僕の方に押しやった。
「コウタ君、食べていいよ」
 いやいや、いくらなんでも年下の子のおやつを取ったりしない。紫穂ネエに隠しておいたおやつを取られて大泣きして以来、僕は誓ったのだ。断る僕に智希は言った。
「『音』が聞こえるってママに言っても、そんなことないでしょ、おやすみなさいって言われる。無理してベッドに入ると、いつの間にか夢を見ている。そしてプリンの中でおぼれてるんだ。カラメルソースが口の中に入ってくる。プリンを見ると思い出すから、出さないでってママに言ったのに……」
 智希は泣きそうだった。こんなにうまいプリンを前にして泣くヤツを僕は初めて見た。プリンに罪はない。五秒後にプリンは僕のお腹に入っていた。
 黙って二人でカルピスを飲んだ。智希は少し落ち着いたようで、下を向いてカルピスを飲んでいる。僕は一生懸命考えた。プリンのお礼にできることはないだろうか? 
「なあ智希。もしさ、もしできるとしたらだけど……隣の家に……一晩泊まって何かが本当にいるのかどうか確かめてみないか?」
智希はパッと顔をあげた。 

 僕は真斗と紫穂ネエに話を打ち明けた。紫穂ネエを巻き込んだのは真斗のアイデアだった。
「大人はダメだ」と真斗は言った。僕たちは紙に計画を書いた。

【隣の幽霊の正体をあばき、智希がプリンを食べられるようになる計画】
・四件目の家が売れる前に行う(重要)
・土日にオープンハウスがある
・おばさんは土日とも朝九時に開けて、夕方五時に閉めて帰る
・おばさんが開けている間に忍び込み、そのまま隠れている。
・翌朝、おばさんが開けた後に帰る。
・すなわち「決行」は土曜の夜

「あんたたちってバカ?」
 紫穂ネエは紙を見るなり言った。僕たちは紫穂ネエの部屋に集まっていた。うちで唯一鍵のかかる部屋だ。母さんには真斗が紫穂ネエに勉強で聞きたいことがある、と言っておいた。母さんは真斗に一目置いている。塾に行かないのに成績がよく、スポーツクラブにも入っていない僕の貴重な友だちだから。
「どうやって忍び込むつもり?」
 僕と真斗は顔を見合わせた。智希も来たがったけど不自然すぎるから、自分の部屋で待っていてもらっている。
「僕がドッジボールを敷地内に入れて……取らせてくださいって、おばさんに言いに行きます」
「甘いね」と紫穂ネエは爪にヤスリをかけながら言った。紫穂ネエの部屋を作戦会議室に選んだわけは他にもあった。東向きの窓からは一直線に四軒目の家が見える。
「私が見たところ、チャンスは一度しかない。教えて欲しい?」
 紫穂ネエは喋りながら爪に透明なマニュキュアを塗り始めた。
「あたしは毎週あのおばさんを観察してる。観察したくなくっても、目の前に現れる。最近じゃ、好きな番組まで想像がつくようになってきた」と紫穂ネエは思わせぶりに言った。
「あのおばさんが鍵をかけずに家を離れるのは、『オープンハウス』の立て看を駐車場の入り口に置きに行く時、朝に一回、夕方に一回。それぞれ所要時間三分。その間に忍び込めるかなぁ〜」
 紫穂ネエはマニュキュアを塗った爪をひらひらさせて笑った。僕はポカンと口を開けた。けれど真斗は少し考えてから口を開いた。
「その三分を……引き伸ばせますか?」
 紫穂ネエは猫のように空中で爪を研ぐ真似をした。
「OK少年、お姉さんにまかせておきな!」

 夕方五時から朝九時までは十六時間もある。トイレはどうするか、食べ物はどうするか。計画を練りながら僕はだんだんワクワクしてきた。「秘密計画」ってそれだけで楽しい。
 コロナのせいで行事も中止ばかり。いつもの公園も最近大人たちの目がうるさくなって、この間「子どもが大勢遊んでいる」と通報されたらしい。翌日からボール遊びは禁止になった。
 智希は僕たちと行動するようになった。悪夢はまだ見るらしいけど、ずいぶん笑うようになった。うちの狭い庭でバーベキューしたり、小さなテントを出して寝袋で寝た。すべては「訓練」と「伏線」を兼ねている、と真斗がおごそかに言った。そしてチャンスを待った。僕はあの家が売れてしまうかもとイライラした。おばさんは毎週のようにやってきて、日に何組かの来客はあったけれど、週末ごとに看板は立ち続けた。四軒目の家は相変わらず空っぽで向かいから僕の家を見ている。ホッとするような怖いような。


「緊急事態宣言」が明けてチャンスが来た。両親をその気にさせたのは紫穂ネエだった。
「結婚十五周年だったよね。おめでとう」
 紫穂ネエは両親に花束を渡した。花束を買うために僕もお小遣いからカンパをさせられた。お父さんは笑い、お母さんはちょっと涙ぐんだ。
「『GO TO トラベル』使って旅行にでも行ってくれば。こいつの面倒はあたしがみとくよ。こいつももう四年生だし」
 お母さんがエッという顔をした。紫穂ネエがそんなことを言うなんて、という顔だった。お父さんはまた笑って、お母さんの方を向いた。
「なっ、放っておけば子どもは成長するもんだ。……仕事もひと段落ついたし、考えてみるか」
 喋るな、と紫穂ネエにきつく言われていたけど、僕も思わず口を開いた。
「もしお父さんとお母さんが旅行に行くんだったら、僕も真斗と智希を呼んで庭でキャンプしていい?」
お母さんはすぐにうなずいた。
「あらあら気が早いわね。お庭キャンプはいつでもどうぞ。どっちにしても真斗くんが来るなら、余計安心ね」

「その日」はいきなりやってきた。
「前から行きたかった温泉が格安で取れたの」と、能天気な両親は出かけていった。智希を預かる時は家族で挨拶に行った。
「遠足も何もかも中止でしょう。古い家ですから何もお気遣いなく。紫穂がいれば大丈夫ですから。もちろん、なにかあったらすぐお知らせするように言ってあります。この際、子どもは子ども、大人は大人で楽しみましょう」と、母さんは筋が通ってるんだかないんだかわからないセリフを述べ立てた。自分が楽しみなのがバレバレだ。
 紫穂ネエはこれ以上ないくらいの微笑みを浮かべて、智希のお母さんに挨拶した。化け猫シホ。
 僕たちは智希のお母さんの作ってくれた大量のサンドイッチをほうばりながら、最後の打ち合わせをした。
[実行班]は、僕と智希、[待機班]は真斗と紫穂ネエ。
 僕は真斗に一緒に来て欲しかった。でも、これは智希の問題だから、智希を外すわけにはいかない。智希は僕のことを頼りにしている。だから二人で行く。持ち物はブルーシート、寝袋、飲み物、小さくにぎったおにぎり、災害用のおしっこを固める袋、まさかの時のビニール袋、その他ティッシュなど。それを小さなリュックに押し込んだ。
「懐中電灯は無しだ」と紫穂ネエは無常に言い放った。
「明かりが漏れたらバレるだろ」
「これを持っていけよ」と真斗は新しいガラゲーを差し出した。
「小さな明かりがつくし、困ったらレスキューを出してくれ。1番が俺の家で2番がお前んち。2番を押せば、俺たちがすぐに駆けつける」
 真斗がガラゲー持っているなんて知らなかった。お前これどうしたんだよ、と聞きたかったけど、紫穂ネエの声が覆いかぶさるようにその瞬間を押し流した。
「明かりをつけるんなら服で包めよ。オメエはホント頼りねえからな」

 窓から月の光が射し込んでいた。僕と智希は窓際に寝袋を並べて敷いた。ガチャッ、ガチャッと二度鍵の音がし、おばさんが帰ってしまってからもう三時間が経っていた。僕たちは「痕跡を残さないように」ブルーシートを引き、その上でおにぎりを食べ、宿題をしたり持ってきたゲーム機で遊んだりしだ。七月の夕暮れは長く、夜は永遠にこないように思えたけれど、気がつくとゲーム機の画面だけが薄闇に明るく光っていた。
「トイレは平気? ガマンしないでね」
 僕は声を潜めて智希に聞いた。お昼にコーラを飲みすぎたせいで、さっき僕が簡易式のトイレを一つ使った。「防災訓練」って親を騙して、庭キャンプでも使っていたから慣れているはずなのに、人が住んでいない空間では音が滝のように大きく響いた。コーラの香料とおしっこの混じった匂いが漂った時は、空気が濃い色に染まったような気がして、ああ、もうばれてしまうかも、と気が気じゃなかった。「潜入」はあんなに上手くいったのに。

 紫穂ネエを除く僕たち三人は四時ごろから外に出て、四軒の家が取り囲んでいる広場で「かくれんぼ」をして遊んだ。大人たちが出てこないように、子どもの人数が減っても目立たないように、この遊びを選んだけど、やってみると面白かった。家と家の間は狭く、子ども一人なら隠れられる場所も多い。五時の鐘がなろうとした時、紫穂ネエが家から出てきた。僕たちを呼びにきた、という設定だ。そのタイミングで真斗が「鬼」になっていることも設定通り。
「コウタ! 五時だよ」と紫穂ネエが呼んだ。真斗が答えて、四件目の家の方に駆け出す。
「紫穂さん、かくれんぼしてるんだ。すぐ見つけるからちょっと待って」
 五時の鐘が鳴った。おばさんが家から出てきた。紫穂ネエがコンバンワと挨拶し、おばさんが看板をしまおうとするのに手を貸した。紫穂ネエはおばさんに何かを話している。おばさんが紫穂ネエの方を向く。イマダ!
 真斗は周囲を確認し、手袋をはめた手でドアを開け、僕たちを中に入れると音を立てずにドアを閉めた。そして僕の家に駆け出してながら、大きな声で叫んだ。
「おうい! コウタ、そっちにいたのか!」
 僕たちはおばさんが戻って来る前に靴をビニール袋にしまい、大急ぎで二階に上がった。おばさんが二階に上がってきてもいいように、まずクロゼットに隠れた。家の間取りは母さんを誘って一緒に見に行った。僕がレゴで遊んでいると母さんはご機嫌だ。建築に興味があると言ったら、二つ返事で連れて行ってくれた。息子の将来に甘い夢を見ているのかも。ごめん、母さん、僕ハンザイシャになるかもしれない。

 この部屋が智希の部屋の向かいにあることは「下見」の時に確かめた。月の光と智希の家からの明かりが、薄く室内を照らしている。おかげでお互いの顔が見える。七月の夜は寒くはないはずだが、何もない板張りの室内は思った以上にひんやりしている。僕は智希の分も寝袋を広げてやった。上着を丸めて枕にしてやった。ウチはお金ないから、旅行といえば大抵キャンプだ。父さんと母さんだって温泉に泊まるのは新婚旅行以来と話していた。今頃、温泉に浸かって美味しいもの食べているのかな。それなら僕もちょっとはいいことしたことになる。ショージキ僕は幽霊とか心霊現象とか信じていない。今晩何も起こらなければ、智希だってきっと納得する。そうしたらもう怯えて眠らなくてもいいはずだ。
 こに来てから智希はほとんど口をきかない。一度だけ「帰る?」と聞いた。僕さえ残れば中から鍵は開けられる。智希は庭のテントで寝ればいい。そういう場合も考えてあった。智希は首を振った。そして「おしっこ」と言った。自分で持てない智希の代わりに僕が簡易トイレを広げた。ジャーって音がして、袋が暖かくなって重くなる。音がして匂いもする。生き物の匂いだ。汚い、という感情はなかった。僕の他に生きているものがいるって素敵だなって思った。幽霊はいらない。
「もう寝よう」と僕は言った。どうせ何も起こらないさ。とことんお腹をすかせて帰る。真斗に大冒険の話をする。そして明日のお昼はたこ焼きパーティーだ。
 念のため、真斗のガラゲーを枕元に置いた。智希が寝転んだまま、顔を寄せてきた。
「まだ夢は見るの?」と僕は聞いた。智希がコクンとうなずいた。
「いちごプリン……」
 消え入りそうな声で智希は言った。
「そりゃ、おいしそうだ」
 僕はわざと明るくささやいた。眠りの沼が近づいてきた。智希がもぞもぞしているのを感じたから、寝袋から手だけ出して繋いだ。僕より小さくて、温かい手。智希の手の温もりを感じながら、僕は眠りに落ちていった。

「それはサンジソウだよ」とおばあちゃんが言った。
「三時になると咲くのさ」
「うっそだ〜」と僕は言った。手にはカナヘビの「カナべえ」の感触があった。あれっ、おかしいな。智希と手を繋いで眠ったはずなのなのに。
おばあちゃんはニコニコして、皺だらけの口元をすぼめた。
「明日、三時になったらきてごらん。そうしたら、おばあちゃんがウソついてないってわかるから」
そうだよね、おばあちゃん。サンジソウは三時に咲くんだった。サンジソウを見に行くと、おばあちゃんは手招きして、プリンをくれた。この底のツノを折るとお皿に出てくるよって教えてくれた。でも僕はいつも庭で食べてしまった。だって台所で食べていると化け猫がやってきてプリンをよこせって言うから。今日は庭まで化け猫がやってきて僕のプリンを取ろうと牙をむくボクは取られないように化け猫をおどすバケネコはボクの手にツメをたてるボクノ手カラ血ガアフレテプリンニカカルプリンハ赤クソマリイチゴのカタマリウゴメクおばあちゃんガ胸noトビラwoヒライテプリンwoサシダスサア〜オアガリコウタ〜

 音が鳴っていた。音は外と内からやってきた。マナーモードにしたガラゲーがブルブルなる音。自分の荒い呼吸。そして智希がすすり泣く音、智希の手は僕の身体を揺すっている。
「起きてよぉ、お兄ちゃん〜」
訳が分からず、まずガラゲーを取った。
「バカヤロー」と紫穂ネエの怒鳴り声が響いた。まてよ姉ちゃん、声がデケエ!
「生きてんだったら、今すぐワメクのをやめろ! 近所中起こす気か!」
「待って」と僕は言った。「叫んでた? 誰が?」
「オメエか、チビかどっちかだろ」
僕は智希を見た。顔は涙でグシャグシャだけど、泣き声を出さないよう必死にこらえている。
「僕が……?」
「お、おにいちゃん、おっきな声で……」
ガラゲーの向こうで、紫穂ネエが「フン」と言った。
「ざまあねえな。真斗をやるから、オメエたちは戻れ。まずカギ開けろ。手袋すんの、忘れんなよ」


 紫穂ネエは、翌朝九時に玄関の掃き掃除をしていた。一回もしたことがないくせに。そして、おばさんが来て家の鍵を開け、看板を立て始めると、嬉しそうに話しかけた。
「やっぱり『愛の不着』って、サイコーですね! 昨日、徹夜で見ちゃいました!」
 おばさんはすぐ反応した。
「そうでしょ! 結構笑えるところもあるし なんてたって主演の二人が……」
 それは、宅急便の不在票から始まる愛の行き違いを描いた流行りの韓流ドラマだ、と紫穂ネエが話してくれた。
 その隙に開いたドアから真斗が忍びだし、庭に回ったのを僕は確認した。
 計画は完了した。

 あの夜、真斗と入れ替わった僕らは、紫穂ネエに「寝る前にすべて話せ」と言われた。僕は完全に目が冴えて眠るどころじゃなかった。おばあちゃんの夢のことを話した。面白いことに智希はあの晩、夢も見ずにぐっすり眠ったそうだ。そして僕のわめき声で目が覚めた、というわけ。
「あの下におばあちゃんの死体が埋まっているのかな」と言ったら、紫穂ネエに鼻で笑われた。
「コ○ンじゃねえし」

 紫穂ネエがその話を蒸し返したのは、たこ焼きパーティーの時だった。
「死体が埋まってないのは確かだよ」
 不思議そうな顔で見返す僕らに、紫穂ネエは断言した。
「あんたはプリンしか覚えていないかもしれないけど」
「プリンとサンジソウ!」
「はいはい、あの家には大きな桜の木があったんだよ。あたしが小学校一年生の時さ、散り始めた桜があんまりキレイで黄色い帽子にいっぱい集めようと思ったんだ。でも、集めても集めてもいっぱいにならない。暗くなってくるし、泣きそうになっていたら、おばあちゃんがいつの間にか後ろに立っていた」
 紫穂ネエはクルクルとたこ焼きを裏返しながら続けた。
「おばあちゃんは帽子を見て、アラっと笑った。そして家の中から、大きな桜をひと枝取ってきてくれた。それからさ、あたしとサクラの木は友達になった。もちろん、おばあちゃんもね」
 僕は、紫穂ネエが皿に出したたこ焼きにソースをかけ、真斗がマヨネーズをかけた。最後に智希がハラハラとかつお節を散らした。紫穂ネエが小学校一年生の時なんて、想像もつかない!
「あの家が取り壊された時、サクラの木が心配でいつも現場を見ていた。……悲しかったねえ、とうとう切り倒された時は。悲しくて、あんまり悔しくて建築工事が始まってからも、にらみつけるように目を離さなかった。だからさ、死体が埋まっていれば絶対見逃すはずがない」
 紫穂ネエは次の回にかかった。紫穂ネエがたこ焼きの生地を流し込んだら、素早く材料を放り込むのが僕たちの役目だ。智希は一番簡単なタコの役だ。僕たちは忙しく働いた。ジュウジュウいう音が響き、しばらくは誰も口をきかなかった。
「じゃあ、智希の悪夢はなんだったの」と僕は聞いた。
「知らないね」
 紫穂ネエが興味なさそうに答えた。ずっと黙っていた真斗が口を開いた。
「死んだのはおばあちゃんだけじゃない」
エッ、とたこ焼きを注視していた紫穂ネエが顔を上げた。
「サクラの木も無くなった。サンジソウもない。草も木も、そこに住んでいた生き物たちも」と真斗が言った。
「そう言えば」と僕は言った。「おばあちゃんの庭に池があった時は、梅雨の前にいつもカエルのチビが来てたけど、あれもいなくなった」
「ああ」と紫穂ネエは鼻で笑った。「あんたがペットボトルいっぱいに詰め込んだやつら」
 それきり、そのことは話題にならなかった。

 父さんと母さんは夕食前に戻ってきた。母さんは智希を送って行くついでに智希のママにお土産を持っていった。
「ずいぶんお世話になったみたいで、ありがとうございました」と智希のママは言った。まだ主人の仕事が片付いてなくて、しばらく単身赴任状態なんです。昨日は引っ越し以来、久しぶりにゆっくりできましたわ。
 真斗も帰っていった。結局ガラゲーのことは聞きそびれた。その後、家族で「回転寿司」に行った。父さんも母さんも、紫穂ネエも僕もいっぱい喋っていっぱい食べた。そして、いっぱい笑った。

 真斗は塾に通うようになった。そのためのガラゲーだったんだ、と僕は悟った。塾のない日には家の庭や智希の家の前で一緒に遊ぶ。「中等」(中学高校一貫校)を目指してみると真斗は言った。
「納得できないことばかりなんだ。環境、環境っていうけど、どうして草や木は大切にされないのかなとか、コロナってなんなのかとか」
 親友の「宣言」はショックだったけど、僕も今回のことで色々考えた。本当に建築家になるのも悪くないな、と思った。草も木も生やさずにこんなにびっちり家を建てたりしない建築家に。
 真斗がいない日は智希と探検に行く。自転車でも出かける。
もう悪い夢は見ないよ、と智希は言った。それに、プリンっておいしいんだね。

四軒目の家はまだ空き家のままだ。

*2021年「北日本児童文学大賞」応募作品。
選者の那須正幹さんの死去に伴い、コンテストは中止になりました。
他に出せればと思っていましたが、潔く再公開いたします。
#隣の家に何かいる  から始まったほんの小さな試みでした。



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