うぇる
毛穴に差し込まれる感触には官能の予兆がある。今年のエステシャンは腕がいい。細い苗を的確に差し込む動作に柔らかな砂糖水のような慈愛を感じる。
植叢サロンYuiはSNSでの評判もよい。半年待ちもあると聞いていたので運がよかった。脱毛が隆盛を極めた時代もあったと代理母から聞いたことがある。なんてもったいない、とエサラは吐息をつく。
令和の米騒動の話は授業で習った。島国でコメが自給率の優等生と言われた時代は去り、少なからぬ人が飢えに苦しんだという。土地は余っている。が、作り手がいない。耕作放棄地だけが増えていき、高齢の生産者を一層苦しめた。
最初は流行り、ファッションだった。
「No more hair. ウィッグの代わりに植物を!」という特集がファッション誌の表紙を飾った時は、尖ってると感心した。頭頂に入れるのはためらわれたが、耳脇にひと束、垂れるように植えたエリアンサスはその時付き合っていた女子にはウケが良かった。
「あなたの光合成で温暖化を止めよう」
サイエンス誌が書き始める頃には、街中に猫じゃらしの耳マフや、ススキの帽子を見ることは普通になっていた。頭に芝を植え、月に一度散叢をかかさなかったのは職場の上司。彼とは一度朝まで過ごしたことがある。抱き合った時に草の匂いがするのは悪くない。
いかがですか、と掲げられた鏡に映る背中の叢は見事な等間隔に揃えられていた。肩甲骨の下から骨盤の上まで。鏡にまといつくのはふと置かれたくなる指だった。施術ベッドから立ち上がり、衣服を纏う。いまやファッションも植叢を抜きにしては語れない。どこに植えるかによってランジェリーもドレスも選択できる。合わせただけで布同士が絡み合う新素材のワンピースは、緑の苗にツヤツヤと映えた。
今週は水分をたっぷり摂ってください。軽くうなずき、エステシャンの服装に気づく。両脇からのぞいている紫色の古代小麦、黒いシャツとの映りもいい。また、来ようかな。あっ控除の申請しておかなきゃ。
「十億総田んぼ」の見出しがネットニュースで流れ始めたのはいつだったか。もともと植叢には「イネ科」が使われていた。単子葉植物だから差し込む時、身体に負担が少ない。特筆すべきは成長点の位置だ。ほとんどの植物が茎の先端から伸びるのに、イネ科の成長点は根本にある。つまり葉先をカットしても必ずしも植え替える必要がない。植叢料金は安くはない。カットだけという選択肢が植叢を一層身近にした。いままで手をこまねいていた層がエステサロンに行く気軽さで通うようになった。植物を育てるのに身体の栄養を使うから、期せずしてスリムボディが手に入る。だが、その先へ踏み込むにはしばらくかかった。賛成派と反対派の論争が行き着くところまで行くと、政府が動いた。遺伝子組み換えマイクロ稲の開発も後押しをした。「食糧生産控除」が設定され、自分の食料を自分で生産することが経済効果につながった。
街の風景も変わったな。サロンの待合室から金色の葉が飛び交う街路が見える。エサラはヒューマニックライスラテをひと口飲んだ。からだの一部に植物を植えている人が大半で、行き交う人混みにも草色/褐色/金色が混じる。穂の出ている人もちらほら。緑のない都会では代わりに人が街の景観を作る。
名前を呼ばれ、施術ベッドに横たわる。出穂前の定期検診だ。この時期はとにかくお腹が空く。何を食べても太らない。血となり肉となり、やがて米となる。
「幼穂ができていますね。順調です」
エサラの耳元でささやく声は叢をなでる風だ。今日のシャツは脇が縫い合わせてあるタイプだった。エサラの視線に気づき、その人は薄い笑みを浮かべる。刈り入れました。お似合いでしたのに。別なのを植えましたよ。どこに?
室内にはベッドの他にチェアが備えつけられていた。からだの叢をつぶさぬようにまぐわうのは常識、正常位の概念も変わった。相手の叢に敬意を払わない奴とは交われない。
口づけた時のジョリジョリする感触。想定された器官が股間にぶら下がる。その前を青々とした叢が覆っていた。勃たないんです、とその人は微笑む。エサラは指で叢をすく。スズメノテッポウの小さな穂が見える。舌で叢をなぶると息が荒くなる。植物の根は皮膚に入り込み、感覚をともにする。もうわたしたちは別の生き物。誘うように四つん這いになる。その人は叢をこすりつける。熱い舌が、指が入ってくる。感覚が極限まで開かれたとき、背中の稲穂が一斉に出穂し、花を開かせた。
風媒花。うつ伏せのまま達したエサラの叢を繊細な指がさらさらと解く。美しい、とその人はささやく。繁殖したいと思ったことはないけれど、こういうのも悪くない。
ネットで近頃ささやかれていること、年老いたとき、逝きたくなったとき、稲を植える。出穂間近になったら水以外摂らず、その日を迎える。命が誰かの糧になりますように。そんなきれいな死に方、できるわけない。
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