家で焼肉して泣いた話
先日、運転をしながらふと
「家で焼肉」
という言葉が浮かんだ。
僕は引きこもりである。
厳密に言うと、引きこもりではないが、常に引きこもりたいと考えているタイプの人間である。
家が好き。とにかく家が好き。
できることなら出掛けたくない。外に出たくない。
引きこもりたい。家に引き込まれたまま、生涯を閉じたい。
休日予定のない日、家に食べ物がないことに気づいたときに、コンビニに出かけるか、飢餓のためにイスを食い始めるまで我慢するか、猛烈に悩むタイプの人間である。
そして僕は、焼肉が好きだ。
焼肉と共に、この人生を歩んでいきたい。
僕がいるから焼肉がある。焼肉のために僕がいる。
焼きたい。死んで間もない牛の肉を焼きたい。
焼肉のためなら、あのー、あれしてもいい。
そんな「好き」を掛け合わせた、最高の言葉
「家で焼肉」
僕はこれを達成したいと思った。
これの達成こそが僕の人生だと思った。
人生における目的であると。
使命であると。
だから僕は検索した。
「家で焼肉」
シンプルに、このワードで検索をかけた。
目に飛び込んできたのは、たくさんの検索結果たち。
そしてそれらは僕に語っていた。
できるよって。
家で焼肉、できるよって。
プレート買えばできるよって。
Amazonで買えるよって。
プレート買ってきて、肉焼いちゃえば、それすなわち家で焼肉だよって。
泣いた。僕は泣いた。声を出して泣いた。
文字通り泣いた。震えた。天は僕を見捨てなかった。
できるんだよって。僕ら一人じゃないよって。
家で焼肉、できるんだよって。
気づいたら家にプレートがあった。
気づいたら手に肉持ってた。
気づいたら家に煙が充満してた。
気づいたら焼き上がった肉に塩振ってた。
気づいたら、泣いてた。
家で焼肉、最高なんですけど。
夢中になりすぎて、写真取るの忘れた。
とにかく、家で焼肉、最高なんで、オススメっす。
とりあえず僕はアメリカに行く。