人脈をつくったことはない あったかい人間関係のつくりかた
メルマガより転載
人脈をつくったことはない。あったかい人間関係をつくってきただけだ。そして、人間関係は互いにつくるものであって。「ブロックしてやった」「絶縁した」みたいな人を下請け扱いした人間関係って苦手。「人脈自慢」も。ネームドロッパー(人脈を自慢する人)になってはいけない。
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https://www.youtube.com/watch?v=6a31XtBrCJc
というわけで、陽平祭50は無事に終了した。
社交辞令だけでなく、皆さんのおかげだ。
感謝。
私にとって大変感動するイベントだったのだけど。
参加者の方から
「あたたかい空気だった」
「常見さんだけでなく、
みんなにとっての決起集会だった」
「こんなに楽しんでいいのか」
「感動してこっちが泣きそうになった」
「参加者がみんな素敵だった」という声を頂いた。
感謝。
こういうイベントに関係なく
「人脈がすごいですね」と
言われることがよくある。
おかげさまでたくさんの
よい出会いがある人生を送っている。
ただ「人脈」をつくっているというつもりは、
私にはまったくない。
というか、「人脈」という言葉は
いかにも意識高い系が使いそうな言葉、
意識高い系仕草で嫌いなのだ。
もちろん、このように話しかけてくれる人は、
純粋に褒めてくれているのだと思うし、
ましてや悪気などないだろう。
私もその人を批判したりはしないし、
嫌悪感はない。
あくまで、私の生きる上で
大事にしていることとして
「人脈」という言葉を使わないし、
意識すらしないのだ。
最近は、友人・知人という言葉は
便宜上、文章を簡略化するために、
読者にとってわかりやすいものにするために
使うのであって、友人と呼べる人は誰で、
知人とは誰でなどと、まったく考えなくなった。
なんでもそうだが、いったん言葉、概念を
大胆に手放してみた方が見えることがある。
「ドラえもんはロボットじゃない。友達だ」は
『ドラえもん』の、のび太くんの名台詞だが、
「友達」という言葉すら超えて
「ドラえもん」は「ドラえもん」なのだ。
自分らしく生きることに一生懸命で、
好きなこと、やりたいことに正直で、
駄目なものは駄目と言い、
可能な限りオモテウラなく生きてきた。
労働問題について論じながらも、
楽しく消費している姿が矛盾していると
言われるが、あれもこれも自分なのでしょうがない。
常に髪の色が変わり、
「服装の自由化」が叫ばれつつも
普通のビジネスパーソンはまず着ない服を着て
働いている。
難しい本を読み、天下国家を語る瞬間も、
ロックに身を委ねている瞬間も好きだ。
あれもこれも私なのだからしょうがない。
もちろん、大学教員として、
評論家として、親として、役割行動を
果たさなくてはならないことはあるのだけど。
50歳記念動画でも、会場でも伝えたのだが、
40代は「人間活動」に力を入れた。
ちょうど今日、ベスト盤を出した
宇多田ヒカル風に言うと。
主夫であることを優先し、
人間活動第一、仕事第二主義を貫いた。
基本、6時間寝る。8時間以上働かない。
酒は40代前半でやめた。
セックス、ドラッグ、ロックンロールというが、
気づけば私にはロックンロールしかないわけだ。
そんな「人間活動」に没頭する私に
ついてきてくれた人、支えてくれた人、
その姿をみていた人、
私をほおっておけない人が
集まったのだから、
優しく、あたたかい空気になったのだろう。うん。
人間関係の悩みの相談をよく受ける。
私も悩んだことは何度かある。
解決するためには、まず自分が
ひたすら気持ちよく生きることという手もある。
もちろん、そうできなくて
悩むこともあるのだろうけど。
気持ち良い生き方をしていると、
気持ち良い仲間が増える。
どっちが先かという話もあるし、
制約もあるわけだが。
小学校の同級生から最近知り合った人、
さらにはその日、初めてお会いする人まで。
集まってくれて感謝。
気持ちよく、自分らしく生きよう。
今日も5時から働いている。
札幌在住の高校同級生愛さん
(陽平祭のケーキ、ひとつは彼女のもの
会場にかけつけてくれて感謝)
が編集したこのメルマガを仕上げ、
送信予約にしたあとに、
新聞たちと論文を読んで、
家族の朝食と弁当を製造。
気持ちよく生きるためのルーティン。
今日は近所の友人がお茶をしにやってくる。
夜は若い友人の相談にのる。
今日も、楽しくいきますかね。