セブ島で現地ミュージシャンとバンドを組み、日本でアルバムをリリースすることになった話③(結成前夜編)
前回の投稿では、Hourglass結成のきっかけとなった、私のセブ島移住について書きました。
今回は、どのようにして私がHourglassのメンバーと出会い、バンドを結成するに至ったかについてお届けします。
1. ミュージック・クラブへようこそ
前回も説明しましたが、セブ島に拠点を構える企業では「クラブ活動」が極めて盛んです。そして、その中にミュージック・クラブがあるのを、私は見逃しませんでした。
ある晩、会社のオフィスのフロアを歩いていると、ハードウェア部門の方からアコースティックギターの音が聞こえてきました。
アコギを爪弾いている、ガタイのいい男二人。
私は彼らに近づき、
と訊かざるを得ませんでした。その一人は、ニタニタ笑いながらYeah?と答えると、--当然私が日本人ということもあり--とても興味を持って色々と聞いてきました。私が楽器が弾けること、日本でバンドを組んでいたこと、YouTubeチャンネルにライブ動画や音源を上げていたこと...。
そして、毎週金曜、会議室でやっている「Friday Evening Jam」にギターを持っておいでよ、と言ってくれました。
その男が、それから私と長い付き合いとなる、HourglassのボーカルAndrew Garbanzosでした。
Andrewは私をミュージック・クラブのメーリングリストに登録してくれました。間もなくして、そのメーリングリストから「Friday Evening Jam」と件名にあるメールが届いた時、私は興奮した気持ちを押さえきれず、思わず「Reply All」(全員に返信)をクリックしました。
メーリングリストにはおよそ50人近くの社員が登録されており、いったいどんな人たちがいるのだろうと、胸を膨らませました。
(移住してすぐ、セブ島の人気楽器店JVS Audio Systemで購入したフィリピンのギターメーカーSqoe製のアコギ。7,000ペソ(=約15,000円)で、Fishman製ピックアップが付いてくるお得感。愛くるしいその小型ボディから鳴るフィンガーピッキングは、もちろんリリース予定のアルバムでも聴くことができる。)
2. すべては会議室ではじまった
突然ですが、皆さんは『はじまりのうた』(原題:Begin Again)という映画をご覧になったことはありますか?
作品の説明は端折りますが、私はこの映画の「うるさいバーでキーラ・ナイトレイが弾き語るのを、泥酔状態で聴いていた元敏腕音楽プロデューサーのマーク・ラファロが、頭の中で独自にバンドアレンジを展開してしまう」というのを、音と映像で再現しているこのシーンを偏愛しています。(音楽制作に携わったことのある方なら誰しも共感できるのではないかと...!)
全く同じことが、私にはオフィスの会議室で起こりました。
期待とは裏腹、前述した「Friday Evening Jam」の会場である会議室のドアを開けると、そこにいたのはたったの3人。HourglassのボーカルのAndrew、ギターのScad、そして翌年韓国の音楽フェスへHourglassのサポートとしてともに参加することになる、クラブ代表のKikoでした。
という、まるで大学の音楽サークルの終末のような台詞を吐かれると、なんだか妙に安心した気持ちにもなりました。(結局、世界のどこへ行こうと同じような場所に行き着くのだろうな、と。)
それから我々は毎週会議室へギターを持って集まり、ビートルズなどの知っている曲をセッションしたり、さらには一緒に外へ飲みにいくようにもなりました。(こういう時、音楽をやっていてよかったと本当に思います。)
次第に私は、AndrewとScadが曲を共作していることを知ります。そして、いくつかのデモ音源や、会議室でのジャムで、その曲を耳にすることになります。
再び突然ですが、フィリピンで人気な音楽とは、いったいどんなものだと思いますか?
私の感覚では以下のように分けられます。
セブで「バンドを組もう」となったら、だいたいこの1か2をやるバンドで、もしくは3のカバーバンド、となるのが主流だと思います。特に、3のカバーバンドで、バーやレストランで演奏して生計を立てている or 副業している、という人たちは多いです。
このような背景もあり、私が初めてAndrewとScadの曲を聞いた時、それは自分にとって衝撃であり、セブに来て初めて「こういう音楽をやる人もいるんだ」と思った瞬間でした。
それは、ざっくり言うと以下のようだったからです。
1について、彼らの音楽をジャンルでくくるとしたら、オルタナティヴ・ロックです。ただ、セブ島でこの音楽をやるバンドはほとんどいません。
一方、首都のマニラではもっと音楽性の豊かなバンドシーンが昔から存在しており、Orange & Lemons(フィリピンのThe Smiths)、Eraserheads(フィリピンのThe Beatles)、Itchyworms(これもフィリピンのThe Beatles)など、数々の優秀な国民的オルタナティヴ・ロックバンドが生み出されてきました。
したがって、Hourglassの音楽はセブ島ではマイナーでも、首都マニラやフィリピン国外で認知を上げていけるポテンシャルがあるのではないかと思います。
2のように技術的なところでは、彼らの曲はコード進行が独特で、コードにもメジャーセブンスや複雑なテンションが多用されていました。パワーや勢いが物を言うセブ島では、とても珍しいことです。
歌詞を見ても、フィリピンのポップスに多いイージーなラヴソングではなく、シンガーソングライターとしての独自の苦悩や表現が感じとれました。
ジャンルでいうと、Oasis、U2、The CureなどUK寄りのテイストが強く、それはUKロックを聴いて育ってきた私の趣向とも合っていました。そして、それはフィリピンでは中々ないことだと、彼ら自身も自負していました。
でも、そんな彼らには一つの弱みがありました。それは曲のアレンジができないことでした。事実、彼らは譜面も読めず、音楽を構造的には深く理解していないことを認めていて、楽器もギター以外何も分かっていませんでした。
AndrewとScadはギターで曲を共作していたものの、それまではバンドとして曲を演奏することはありませんでした。
一方で私は、それまでいくつかの自作曲をリリースしたり、他人の曲のアレンジを担当したこともあったため、彼らのデモを聴いていると、不思議なほど次々とアレンジが浮かんできました。
私は会議室の「Friday Evening Jam」で、自分を前述の映画のマーク・ラファロと重ねざるを得なかったのです。
また、彼らの曲には、フィリピンで耳にしていた他のどんな音楽よりも自分にとって確信に近い、「響く」ものがありました。
次第に私は、彼らの曲が「骨」だとしたら、「肉」をつけていくのが自分の役目だと思い始めました。事実、リリース予定のアルバム全10曲が、そのようにして作られました。
左:Andrew、右:Scad
少しずつ「骨」に「肉」がつきはじめた時、我々はバンド結成の可能性を強く感じました。
Chris Martin (Coldplay)やAdam Levine (Maroon 5)のような高音ボイスに「黄昏感」を与えたようなAndrewのボーカル。
テンションを多用したコードを無心にストロークするScadのリズムギター。
私は再び楽器屋を訪れ、レスポールモデルのエレキギターを購入し、いつでもリードギターとして彼らとバンドが組めるように準備をしました。
セブに住んでいたら、「友達の友達」は友達。横のつながりがとても強い社会です。リズム隊(ベースとドラム)が見つかるまで、それから不思議と時間はかかりませんでした。
(17,000ペソ(=約35,000円)で購入したCort製レスポールモデル。当時は特にThe Allman Brothersのギタープレイに憧れていた。アルバムレコーディングのほぼ全曲で使用。)
次回予告
「セブ島で現地ミュージシャンとバンドを組み、日本でアルバムをリリースすることになった話④(活動開始編)」
次回は、Hourglassの誕生から、初めてのライブ活動・スタジオレコーディングについての記事を予定しています。乞うご期待!
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Hourglass1st Album『Quarter Life Crisis』10/14(水)発売予定
トレイラーぜひご覧ください!