「勝てないことがめちゃくちゃ悔しいサッカーの話」
5歳からサッカーを始め、29年サッカー漬けの日々を送る人生を過ごしています。
いま僕は、鎌倉インターナショナルFC(通称鎌倉インテル)という社会人サッカークラブで充実した生活を送っています。
僕とサッカーとの出会いをかいつまんで話しをすると、大阪府箕面市の牧落幼稚園年中時、転入してきた”あっくん”と仲良くなったことがきっかけです。
あっくんが好きなサッカーをして毎日遊ぶようになったことで必然的にサッカーをして遊ぶようになりました。
あっくんはその後ガンバJrユース→ガンバユースとエリートの道を突き進みます。
ここでの主人公である僕はと言うと、9歳で横浜市金沢区に引越しました。
野球チームに入るか迷った挙句、サッカーを続ける決断をします。
これは僕の人生で「最初の決断」かと思っています。
その後の僕は、様々な決断とともに紆余曲折を経てJリーガーとしてプロサッカー選手の道へ進みます。
これに関しては、運を味方につけたとしか言いようがありません。
要するに、幸せ者です。
京都サンガF.C.でキャリアをスタートし、ギラヴァンツ北九州へ移籍、計10年「Jリーグ」の舞台に身を置きました。
この10年間での経験は、今後の人生においてかけがえのないものになると確信しています。 Jリーグの恩恵を肌で感じた時間でした。
現在、僕は鎌倉という素晴らしい土地で不自由のない恵まれた環境のもとサッカーをしています。
見方によっては悠々自適な生活を送っているとも言えます。
なんせ、このような日常的な光景を前にこの文章を書いているのですから。
2022-06-26
この日、スポーツでありエンターテイメントであり人生の醍醐味でもあるサッカーの諸々を改めて痛感したことから、この文章を書こうと決意しました。
感情的になった瞬間を、感情と切り分けて書き残すことによって今後の糧とする自戒の念を込めて…
6/26は鎌倉インテルの公式戦がありました。
場所は我らがホーム
「みんなの鳩サブレースタジアム」
何かが特別かと問われると、唐突に気温が上がり梅雨明けを待たずして暑くなったこと以外は今ままでと何ら変わりない神奈川県社会人2部リーグの1試合です。
それでも、僕にとってはすごく大きな意味を持つ1試合になったことは確かです。
それは、今季開幕から5連勝で迎えた6戦目をドローという結果に甘んじてしまったこと。
その結果に対して悔しさを感じ、自分自身に対して憤りを感じました。
しかしながら、
感情的になり過ぎずチームに結果が出なかったことに対して自分の力不足を認めるとともに、責任の一端を受け止め整理することが出来ました。
これは非常に大きなことで、うまく行くばかりでない事象に対して過ちを繰り返さないための行動として自らを評価しており、成功に至るまでの「余白」であると認識しています。
その延長線上に次なる機会が生まれ、結果へと結びつくのだと理解しています。
変哲のない日が、特別であり格別
ただ、今日という日はそれだけではありません。
この試合に、中学時の恩師と高校の同級生(野球部)が観戦に駆けつけてくれました。
サッカーを続けていて、身近な人に応援してもらえるとか遥々鎌倉まで自分の試合を観に足を運んでくれるとか、こんな嬉しいことはないです。
今までも東京や埼玉、京都や福岡など県外から鎌倉に足を運んでいただいた方々が大勢いるんです。
鎌倉インテルでプレーする僕のサッカーの試合を観るために。
サッカーを形成する応援という交流。
僕はここに本質を感じており、いかにして付加価値を高められるかがサッカー選手としての挑戦であると考えています。
応援してくれる存在があってこそのサッカークラブ、サッカー選手であると。
選手としてそれほどまでにパワーを与えてもらえることはありません。
その方々の表情を見て勇気を貰うから走らなければならないし、走り続けたいと思えるんですよね。
だからこそサッカーというエンタメが成立し世界的に人気と人口の高いスポーツであると思っています。
無論、ほかのスポーツも然りではないでしょうか。
そんなことを昨年12/25発売の「湘南スタイルマガジン」にて特集いただきました。なんと見開き4ページも。今更ながらですが、是非に↓
そういった意味で、鎌倉インテルや代表を務める福岡を拠点とするNPO法人AC.HAKATA2020での活動に意義があると確信しています。
見てきたこと、感じたこと、考えてること。
今までのこと、今のこと、これからのこと。
そんなことをマイペースに綴っていこうと思います。
サッカーを通して交流を生むことや地域を活性化し還元をする。
その明確な目的の為にこれからも僕は走り続けます。
2022年6月某日、鎌倉某所から。
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