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【成人発達心遊記】13392-13396:2024年10月12日(土)
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タイトル一覧
13392: 自己を涵養する深き闇/ダーマペンの施術から一夜が明けて
13393: 今朝方の夢
13394: 今朝方の夢の続き
13395: 「優秀な40代ビジネスパーソン」とは
13396: 「垂直的能力の成熟度合いと収入や社会的地位には相関があるのか」という問いに対して
13392. 自己を涵養する深き闇/ダーマペンの施術から一夜が明けて
時刻は午前6時半を迎えた。今、辺りはまだまだ真っ暗で、朝の世界は闇に包まれている。そんな中、暖房が動く音が時折聞こえてくる。それ以外には音はなく、闇と無音の双方に包まれた世界の中に佇んでいる。今年もまた長く続く深い闇の朝や夜が自己を逞しくしてくれるだろう。闇に包まれれば包まれるだけ、光を浴びた時の歓喜はひとしおであり、浴びた光による成長度合いも格段に大きくなる。ここからさらに深まっていく闇の世界の楽しみすら感じるようになったのも、この土地での生活が9年目になるからだろうか。オランダ永住権を取得し、この地で長く生活することを通じて得られたことは果てしない。それはとりわけ自己の存在変容において不可欠のものであった。今年の冬もまた自己は新たな変容を体験するだろう。それは大きなものではないかもしれないが、自分は着実に変わっている。変わりゆく自己を眺めることもまた生きていく上での楽しみであり、自己変容を観察することは一興である。冬が明ける来年の6月頃において、自分はどのような自己としてそこに存在しているだろうか。未来に想いを馳せながらも、常に只今この瞬間を生きたいと思う。未来を想像してしまうのは人間の認知能力の性であるが、それに縛られたり、執着したりするのではなく、時間としては今この瞬間しか存在しないのであるから、絶えず今この瞬間に存在の足を着けて生きたいと思う。
昨日ダーマペンの施術を受けたので、昨夜は入浴を控え、シャワーだけにしておいた。やはり入浴をした方が入眠が速やかであり、睡眠の質も深いような気がする。入浴はそれだけ体を深部からリラックスさせてくれる働きがあるのだと思ったし、シャワーよりも体温を上昇させ、そこからのクールダウン効果によって入眠が速やかになるのだと改めて感じた。早朝に洗面台の鏡で自分の顔を確認すると、すでに赤味はほとんどなくなっており、今日からまた入浴ができそうだと思った。ダーマペンの施術によって、肌のターンオーバーがより改善されるのはこれからだと思うが、一夜明けてすでに肌質が改善されているのを実感した。よりキメが細かくなっているのを確認したのである。一度の施術だけでもそれなりの効果があるというのは嘘ではなかった。今回スキンケアに関心を持ち、せっかく施術を受け始めたので、継続して治療を進めていきたいと思う。ダーマペンは確かに一度施術を受けるだけでもかなりの効果を実感できるが、継続すればするだけニキビ跡や小じわなども消えていき、毛穴の開きも小さくなって美しい肌に蘇っていくようなので、他の学びや実践と同じく継続を大切にしたい。今のところは6回ほどの施術を考えていて、その時にまた担当の施術士の方にさらなる施術が必要かどうかを確認したい。ダーマペンの効果は長く続くようで、仮にまた肌質が気になったらその時に再度施術を受けることにしたいと思う。フローニンゲン:2024/10/12(土)07:01
13393. 今朝方の夢
時刻は午前7時半に近づいているが、まだ辺りには薄暗さがある。遠くの方に明かりを灯している家が見える。今の気温は4度と肌寒く、今日の日中の最高気温は12度である。週間予報を見ると驚いたことに、来週は再び20度まで気温が上がる日が2日ほどあり、暖かさがもたらされる。おそらくそれが最後の暖かさのぶり返しであり、そこからは一挙に寒さが増していくのではないかと想像される。いずれにせよ、来週の水曜日と木曜日の暖かい日は、その暖かさを存分に味わいたいと思う。
今朝方はいくつかの夢を見ていた。夢の中には幾分緊迫したものもあったように思う。まず覚えているのは、近未来的な都市のど真ん中にある空港に向かっている場面である。その空港は町のシンボルでもあり、形がとても興味深く、ピラミッド型をしていた。ピラミッドの上部に滑走路が長く突き出していて、そこから飛行機が空に飛び立っていく構造になっていた。空港に到着し、空港の周りに張り巡らせた噴水の脇を通っていくと、空港の中に入るためのエスカーレーターがあり、それもピラミッドの全方位に張り巡らされていたので驚いた。飛行機を利用する乗客たちはどこからでも空港に入ることができる仕組みになっていたのである。適当に近くのエスカーレーターに乗ると、空港の入り口から外に出てくる人がいて、見るとそれは小中高時代の女性友達(MH)だった。彼女に声を掛けようと思ったが、少し距離が遠かったので、そのままエスカレーターに乗って上に向かって行った。すると今度は、大学時代のサークルの先輩がスーツケースを引いて近くのエスカレーターに乗り込む姿が見えたので、先輩に声を掛けた。私たちの行き先は同じくドイツで、先輩は大学時代に1年間ほど大学の交換留学制度を使ってドイツに留学をしており、久しぶりのドイツ訪問を楽しみにしているようだった。先輩は大学卒業後、財閥系の名門商社に入社したが、数年して幼少期からの夢である医師になるために医学部に入り直し、実際に医者になった。今目の前にいる先輩の格好や表情から察するに、商社マンではなく優しい医者のように思えたので、医者としての仕事について話を伺おうとしたら、先輩の方から笑顔で色々と自分の今の仕事について質問をしてくれた。そこからは結局先輩の仕事について尋ねることをせず、今から搭乗するフライトでの過ごし方について話すことにした。おそらく先輩もビジネスクラスだと思ったが、先輩の搭乗クラスが何かはっきりしなかったので、自分がビジネスクラスに乗るということは自分からは言わずに黙っていた。するとどうやら利用するラウンジが違うことから、利用する航空会社も違うことがわかり、心配損をしたと思った。そこからいよいよ空港の入り口に向かうに至って、エスカレーターがまるで遊園地のアトラクションのようにうねり始め、龍の背中のように上下にうねる形で入り口に一気に向かっていった。その時に私はエスカレーターから振り落とされてしまうのではないかという恐怖心が芽生え、仮に母が一緒に来ていたら母はさずかしこのエスカレーターを恐れただろうとその場にいない母の気持ちになって心配をしていた。そのような心配をしながら入り口に到着し、空港の中に入ると、そこからは迷うことなく搭乗口まで向かうことができた。しかしそこでふと、自分のスーツケースをホテルに置き忘れていることに気づいたのである。そのホテルには両親と宿泊していて、部屋を出る際にすでにスーツケースは持っておらず、かといって部屋の中でスーツケースを見た覚えもなかったので、どこにスーツケースを置き忘れたのだろうと思った。チェックインを終えて確かに部屋に持ち込んでいたはずなので、とても不可解に思った。両親に連絡してスーツケースを探してもらおうとすると、両親から文句を言われそうだったので、両親には告げないようにし、自分でなんとかスーツケースを探そうと思った。搭乗口にいた係の女性に相談をしたところ、ホテルにすぐに確認をしてくれた。時計を見ると、搭乗時刻がもう間も無くで、これはまずいなと思ったところ、スーツケースを保管している倉庫のようなものが搭乗口付近にあって、そこから大きなスーツケースが溢れてきて、搭乗口を塞いだ。それはまるでスーツケースが自ら意思を持って起こした暴動のようなもので、それが起きたことによって搭乗時間が遅れそうで助かったと思った。フローニンゲン:2024/10/12(土)07:42
13394. 今朝方の夢の続き
時計の針が午前8時に近づき始めてようやく辺りがかなり明るくなった。まだ完全に夜が明けたとは言えないが、明るさが出てきたことは間違いない。遠くの空にうっすらと見える朝焼けを眺めながら、今朝方の夢の続きについて振り返っている。先ほど振り返っていた夢の中で、両親と一緒に宿泊していたホテルの部屋の中で、提供してもらった食事の内容について少し意見が食い違っていたことを思い出した。自分はヴィーガンだったので、それに配慮した料理を注文したはずだったが、大きなカニの料理が出てきて、父はそれを喜んでいたが、自分はカニの腕をもいで食べることがとても残酷に思えてしまい、食べるのに躊躇していた。日本に帰った時だけ海産物を口にするペスカタリアンになるとは言え、カニを食べることには抵抗があった。その抵抗感から幾分気まずい雰囲気が広がっていて、自分でもそれをなんとかしようとして一口だけカニを食べてみることにしたのを覚えている。
それ以外に覚えている場面として、実際に通っていた中学校の校庭にいた場面がある。校庭を歩いていると、校舎の付近にあるバスケットコートでバスケの練習がしたくなり、そこに導かれるようにしてコートに向かった。すると、見知らぬ男子学生がバスケットボールを持って倉庫にしまいに向かっているのが見えたので、近寄って声を掛けてみた。「君、何年生?」と尋ねると、「3年」と彼は少し無愛想に答えた。私はてっきり彼は1年生だと思っていたので、まさか3年生とは思っておらず、彼のことを自分の先輩のように感じて恐縮な気持ちになった。彼はそれ以上は何も言わずにその場を去った。誰もいなくなったバスケットコートで1人練習を始めると、しばらく経って同じ学年の男女たちが続々とコートに集まり始めた。過去一度もなかったことだが、バスケットコートの上で学年集会が開かれるとのことだった。クラスごとに男女がそれぞれ身長順に列を作っていき、自分は真ん中よりも少し後ろに立つことになった。列がひとたびできると一度全員がその場にしゃがみ込み、しばらく話をして過ごした。すると、サッカーボールを持ってきていたある友人が私の背中の上部にボールを当ててきた。それを受けて私は、広背筋の上部だけを器用に使ってその部位でリフティングをした。すると、近くにいた男女の友人たちが感心した眼差しで自分を見始めた。それに気を良くした私はさらに別の部位を使ってリフティングをしようと思ったが、そろそろ集会が始まりそうだったのでやめた。ふと右隣を見ると、ある女性友達(KS)が地面に何やら難しい二字熟語を書いていた。しかも同じ二字熟語を隣にさらに書いていて、不思議な四文字熟語に見えた。彼女にその漢字の意味を尋ねようとしたところで場面が変わった。
もう1つ覚えていることとして、同じ学生マンションに住んでいた大学時代の友人が実はトランスジェンダーであることをある女性友達から聞いて驚いた場面があったのを覚えている。彼には大学一年生から卒業まで付き合っていた彼女がいたこともあり、まさか彼がトランスジェンダーであるとは思ってもらず、ちょうど今ジェンダーについての研究をしていることもあり、今度彼に会って話を聞いてみようと思った。そのような場面もあった。フローニンゲン:2024/10/12(土)08:03
13395. 「優秀な40代ビジネスパーソン」とは
暖房がせっせと稼働してくれている中で、今日もまた昨日に引き続き、来週の頭に行われる予定の対談インタビューのトピックについて考えている。企画書を眺めると、そこに自分が考える「優秀な40代ビジネスパーソン」の定義は何かという問いがあり、これについて少し考えてみたいと思う。「優秀」という語源に立ち返って考えてみると、優れて秀でているということなので、平均的な40代ビジネスパーソンにはない能力について検討してみたい。発達測定の観点で言えば、世間全般として、組織や社会の価値観に染まり、組織や社会の決まりを盲目的に信じながら決まり通りに動く行動論理を持つ慣習的段階に意識の重心がある人たちが8割ぐらいであり、40代のビジネスパーソンの大多数も依然としてその段階にいることを考えると、その段階を脱却し、組織や社会の価値観を対象化させ、その価値観に染められていた汚れを落としていきながら、真に自分なりの価値体系を構築し始めた方が優秀な40代のビジネスパーソンの出発点かと思う。さらに理想的なのは、これまで自分が無意識的に染まっていた組織や社会の価値観をアンラーンするだけではなく、今現在進行形で構築しつつある己の価値観すらも絶えず客体化し、常にアンラーニングをしながら新たなアクションに乗り出していける人が優秀な40代のビジネスパーソンと言えるのではないかと思う。40代になると、幸か不幸かそれまでの成功体験がある程度積み重なっている人が多く、その成功体験にしがみついてしまうことによって発達的停滞を引き起こしたり、世界が絶えず変化をしているのに自らが変わらないという点において、発達的退行を招いてしまう人も多いだろう。マインドセット、ないしは在り方として優れて秀でているなと思うのは、老いていくことや特定領域の能力が減退することすらも変化として楽しめる心の器を持ち、絶えず変化することを楽しめるような素質を持っている、あるいはそのような心の在り方を育んでいこうとする人が優秀だと言えるかもしれない。
ここまでのところをまとめてみると、40代前後のビジネスパーソンは、組織や社会の変革を担っていく世代であり、自分も他者も含め、組織や社会を変革していく担い手になるためには、これまでの組織の決まりがどうだとか、社会の決まりがどうかとか、そうした慣習的なマインドを脱却し、自分自身、そして他者と社会が継続的に豊かに成長できるようなアクションを取れる人が自分が思う優秀な人である。繰り返しになるが、自分が専門とする成人発達理論の用語で言えば、慣習的段階を超えているという意味でポストコンベンショナルな段階の知性の持ち主が優秀な人材だと言い換えることができる。誰かが言ったことや決めたことをそのままなぞるというのは、慣習的段階の行動論理であって、ポストコンベンショナルな段階のアクションロジックは、誰かが言ったことや決めたことをまずは一度自分の価値体系や意思決定基準のフィルターを通して吟味し、自らの価値体系や意思決定基準もまた不可避の盲点や限界があるという明々白々な自己認識から、多様な人からフィードバックを受け、多様な観点を取り入れながら、置かれたコンテクストに鑑みて最適な意思決定をすることができる人が優秀な人材と言えるだろう。自分がかつて所属していたマサチューセッツ州の発達測定研究機関のレクティカでは、オバマ元大統領とトランプ元大統領のリーダーシップ能力の知性の発達段階を入手可能な情報から測定していくという試みがなされており、それとは違う発達測定手法を用いながら自分がこれまでの内閣総理大臣の知性の発達段階を簡便的に測定してみたところ、派閥や政党の旧態依然とした価値観に染まり、総理官邸での記者会見において、官僚が書いた文章を読み上げるだけの慣習的段階の総理たちから、ようやく自分の内側にある考えや思いを自分の言葉で語るというポストコンベンショナル段階の最低限の作法に則った総理がようやく日本でも最近誕生したことをここに記しておく。政治の話に逸れてしまったので話を戻すと、優秀という言葉は、優れて秀でているという言葉なので、その人の知性と在り方が世間の平均から脱却しているという点でも、成人発達理論でいうところのポストコンベンショナルな段階に至っている方は優秀だと述べてもいいのではないかと思う。ただ望むべきは、仮に我が国が先進国ということを自称するのであれば、今述べたようなポストコンベンショナル段階の入り口、すなわちロバート・キーガンが提唱する成人以降に見られる16個の発達段階のうちの4.0の段階(自己主導段階)に到達している人たちがマネジャーポジションにおいては当たり前になることが理想であり、カート・フィッシャーが提唱する0から13までの能力段階のうち、少なくとも組織や国の舵取りをするリーダーたちは11.0の発達段階(前期抽象システム段階)を超えていて欲しいところである。最後にまとめとして、優秀な40代のビジネスパーソンは、ポストコンベンショナルな発達段階に到達し、在り方として、世界の多様性と自分の未知なる可能性に開かれ、絶えず好奇心と探究心を持って自己と世界を探究し、自利利他の精神を持って智慧と慈悲に溢れた形で充実した人生を送ることができている人が優れて秀でている人間と定義したい。フローニンゲン:2024/10/12(土)09:17
13396. 「垂直的能力の成熟度合いと収入や社会的地位には相関があるのか」
という問いに対して
今日はそよ風が吹いており、紅葉した木々の葉を優しく揺らしている。その様子を眺めながら、再び来週の対談インタビューのトピックについて考えを巡らせている。次のトピックは、 垂直的能力の成熟度合いと収入や社会的地位には相関があるのかどうかというものである。まず垂直的能力を自我の発達領域とリーダーシップ能力の発達領域に限定し、そしてまずは社会的地位というものを組織内の地位に限定してみると、そこにはやはり相関関係が見出される。2005年にアメリカでサンプル数は少ないが、売り上げ規模が6000億円ほどのアメリカの大企業を対象に、その組織の課長や部長クラスのマネージャー層とエグゼクティブ層の発達段階をロバート・キーガンの測定手法を用いて測定したところ、厳密な相関係数の算出までは行われていないが、役職と発達段階の間にはどうやら関係性がありそうであり、マネージャー層は発達段階4の前後に多く分布しており、エグゼクティブ層に関しては発達段階4を下回る人は誰もいなかったという結果が出ている。この調査結果を受けて、2015年に日本に1年間生活していた時にリクルートマネジメントソリューションズさんと同様の問題意識の調査を行ったところ、ここでも厳密な統計手法を用いた相関係数の算出までは行っていないが、日本の大企業のマネージャーを対象として発達測定を行ったところ、アメリカの大企業のマネージャー層の発達段階の分布と似たような結果が得られた。こうした調査結果から、世間一般の傾向として、組織内の地位と収入に相関関係があり、組織内の地位と発達段階に相関関係があれば、発達段階は組織に属している人であれば収入とも相関関係がありそうである。ただし、直接的に発達段階と収入との相関関係を調査したものはなく、学歴とであれば発達段階と学歴との相関関係を見出したものならある。ここで言っている発達段階は、自我の発達領域で、そこには視点取得能力が極めて重要になるので、視点取得能力を養う知的トレーニングが伴う大学院レベルの教育を受けた人であれば、自己理解に対する内省能力も教育がない人に比べれば高い能力を発揮できるのはおかしなことではない。
そのほかの調査として、カナダの精神科医かつ発達心理学者のエリオット・ジャックスの研究においては、職務階層とタスクレベルの間には相関があり、複雑性の高いタスクをこなすためにはそれ相応の認知的発達が要求され、職務階層と認知的発達度合いには相関関係があることを明らかにしている。しかしこれはよくよく考えてみれば当たり前のことで、タスクに伴う複雑性の度合いに応じて職務階層を規定し、タスクの複雑性を超えた認知的発達度合いを持つ人をその職務にアサインするというのは何もおかしなことではない。これと同様の研究としては、レクティカがFBI、CIA、NSAといったアメリカの連邦警察さらには国家諜報機関の職員を対象にした調査がある。この調査の背景として、それらの国家組織のマネジメント層に要求されるタスクがどんどんと複雑になる中で、役職に応じた複雑性をハンドルできないリーダーが多くなっているのではないかという危機感からレクティカに調査依頼があった。その調査結果として、ジュニア、ミドル、アッパー、シニアの4つのマネジメントレベルにいるそれぞれの階層のほぼ全ての人が、本来その階層で要求されるリーダーシップ能力よりも低いことが明らかになったが、職務階層とリーダーシップ能力の間には正の相関があることがその調査でも明らかになっている。余談としては、レクティカが用いている発達測定は、ハーバードビジネススクールのカリキュラムの策定にもかつて活用されたことがある。そこではビジネススクールの学生のリーダーシップ能力を開発するべく、カリキュラムの難易度を発達測定を活用しながら決定していき、学生にとって難しすぎず、優しすぎずの課題図書や課題論文の作成、さらには適切な負荷量のプロジェクトワークを提供するなどの試みがかつて行われたことがある。発達測定は人に対して適用できるだけではなく、書籍のレベルの測定やタスクやプロジェクトのレベルの測定にも活用できる。
最後にようやくすると、自我の発達領域であろうがリーダーシップ能力の発達領域であろうが、それらの発達段階と職務階層の間には相関関係があるため、職務階層に応じて収入が異なることが一般的であることを考えると、発達段階と組織に属している人の収入との間にも相関関係はあると言えるだろう。フローニンゲン:2024/10/12(土)11:20
Today’s Letter
Deep pleasure naturally emerges from inner serenity. My joy originates from a vast ocean of tranquility. Calmness seems to lie at the core of the universe. Groningen, October 12 2024