バルト三国からの便り 2022年4月19日(月)
タイトル一覧
8224.【バルト三国旅行記】出発の日の朝に見た夢
8225.【バルト三国旅行記】出発の日の朝に見た夢の続き
8226.【バルト三国旅行記】旅の始まりを告げる汽笛を聞いて
8227.【バルト三国旅行記】青空と同化して/感覚の組織化と涵養
8228.【バルト三国旅行記】透き通る実存的空間に身を置いて
8229.【バルト三国旅行記】心地良い音楽に身を委ねて/神道と自分、神道と日本
8230.【バルト三国旅行記】心の躍動/箏奏者として
8231.【バルト三国旅行記】旅の空の上での上田賢治との出会い
8232.【バルト三国旅行記】神道の定義と信仰の定義/ヘルシンキ上空からの眺めより
8233.【バルト三国旅行記】ヴィリニュスの第一印象
8224.【バルト三国旅行記】出発の日の朝に見た夢
時刻は午前5時を迎えた。今、辺りは闇に包まれている。しかし、自分の心は光に包まれているかのようだ。そして、高揚感がある。というのも、今日からいよいよバルト三国旅行が始まるからだ。
今、洗濯機を回していて、洗濯物を干し、午前7時前を目処に自宅を出発しようと思う。厳密には午前6時50分に自宅を出発して、そこから朝の散歩を楽しみながらフローニンゲン中央駅に向かう。
今改めてフローニンゲン北駅から中央駅までのシャトル列車を調べてみたところ、昨日は表示されなかったが、早朝にも列車が何本か走っていることがわかった。今日はイースターマンデーで祝日であり、昨日の段階では午前中のシャトル列車は全く表示されなかった。ところが、今は何本か表示されている。ただし、ちょうどいい時間帯のものがないようなので、やはり今日は中央駅まで歩いていこうと思う。それは旅の出発に向けた良い運動になるだろう。
旅に向けた出発の朝にも夢を見ていた。夢の中で私は、人間の言葉を話すことができるビニール袋でできたホオジロザメに空気を入れてあげていた。そのホオジロザメの性別は雄であり、彼は私に危害を加える様子はなく、むしろ私たちは仲が良いようだった。そのホオジロザメの言葉から察するに、自分もよりも年齢は上のようである。
出会った時の彼は空気が抜けていて、ぺしゃんこのビニール袋の状態だった。彼は木のマットの上に仰向けになって横になっていて、私は彼に話しかけた。どうやらこれから海に出かけたいとのことであり、そのために体に空気を入れて欲しいと言われた。私たちは友達の関係だったので、友達を助けるためにも彼の要望に応えようと思った。
どのように空気を入れるかというと、別に特殊な器具を使うわけでもなく、彼が呼吸するのをサポートし、ビニール袋にちゃんと空気が溜まっていくように支えてあげれば十分だった。彼は私が支えていることに安心したのか、ゆっくりとだが大きな呼吸をして、空気を体の中に取り込んでいってどんどんと膨らんでいった。彼は友人なので自分を襲うことはないとわかっていたが、それでも彼の口の中を覗くと、人間なんて簡単に丸呑みにされてしまうと思うほど大きな口に恐怖心を抱いた。だが不思議なことに、彼の口には歯が一切なく、その点は恐怖心を和らげた。
しばらくすると空気が全て入ったようであり、私は空気が漏れていかないように彼の体に何か栓をする必要があるかと思った。しかし、彼曰く、その必要はないとのことだった。体に完全に空気が入った彼は嬉しそうにしており、いつでも出発できる準備が整ったようでご機嫌だった。彼が大海原に出ていくところを見送ろうと思ったところで夢の場面が変わった。
振り返ってみると、この夢に出て来たサメは不思議な存在だった。それはホオジロザメであるから凶暴なはずなのだが、私にはすこぶる優しかった。そして、彼の体がビニール袋であった点も謎である。いずれにせよ、新しい空気を取り入れ、海に向かって出発して行った彼の姿は、これから旅に出かける自分の何かを表しているように思える。ひょっとしたら、攻撃性のある深層的な自己が落ち着き、それが新たな変容に向けて旅立っていこうとしていることを象徴しているのかもしれない。フローニンゲン:2022/4/18(月)05:31
8225.【バルト三国旅行記】出発の日の朝に見た夢の続き
時刻は午前5時半を迎えた。今、空がダークブルーに変わり始めている。この分だと、自宅を出発する午前6時50分頃には随分と明るくなっているだろう。その時間帯はまだ強い朝日もなく、とても清々しい気温と雰囲気の中で駅まで向かうことができるのではないかと思う。
出発する時刻における気温は6度とのことなので、やはりジャケットは羽織っておいた方がいいように思う。30分弱歩いて中央駅に行く頃には体も温かくなっているだろう。
出発に向けての準備はもう整っている。衣類は全てスーツケースに詰め終えているので、あとはこまごまとした必要品を詰めれば準備完了である。少し早めに駅に着くので、駅のカフェでコーヒーを購入し、それを持って列車に乗り込みたい。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても振り返っておきたいと思う。夢の中で私は、オランダの今の自宅の敷地内にいた。ちょうど買い物から帰ってきたところで、門を開けると、最近引っ越してきたお隣さんの家が賑やかだった。そこはアジア系の学生が数人住んでいるはずだったのだが、どういうわけか日本人が住んでいるようだった。彼らの話す言葉からそれがすぐにわかった。そしてどうやら彼らは音楽家であることもわかった。家の中から音楽の演奏の音が聞こえたのである。
彼らの家の横を通り過ぎようとしたときに、ちょうど彼らが外に出てきた。私は軽く会釈をすると、彼らもまた会釈を返してきた。それは間違いなく日本的な形での挨拶の仕方だった。彼らの大半は若い女性であり、そのうちの1人がゆっくりと私の後をつけてくるかのように私の家の方に歩いてやってきた。別に気味が悪かったわけではないが、私は早歩きをして自分の家に急ぎ、部屋の扉を開けてすぐに閉めた。
窓のレース越しに彼女の様子を確認したところ、彼女は自宅の扉の郵便受けに何か紙を入れてきた。実は扉を開ける際にも何か1枚紙が入れられていて、それについては家に入る際に抜き取っていた。その紙の中身を確認すると、コンサートの招待状だった。どうやら彼女はコンサートに招待してくれているようだったのだ。私がすでに招待状を扉の郵便受けから抜き取っていたので、彼女はまた新しいものを入れてくれたのだとわかった。
彼女は新しい招待状を入れてすぐに帰るのではなく、扉をノックした。ここまでのところで彼女の素性が大体わかったので、危険な人物ではないと判断して、扉を開けた。すると、彼女は招待状だけではなく、先ほど作った料理を持ってきてくれたのだった。私は有り難くそれを受け取り、せっかくなので少しその場で立ち話をした。
すると、後ろから彼女と同じ音楽仲間の女性が数名やって来て、私は彼女たちにも挨拶をした。すると、そのうちの1人が私の家に興味を示し、家の中を見たそうにしていたので、彼女を家に招き入れて、自由に家の中を見学してもらうことにした。彼女は玄関あたりの壁を眺めたり、フロアを眺めたりして嬉しそうにしていた。その後、彼女たちといったん別れ、コンサートには必ず参加するという旨を伝えたのに加え、料理のお礼も述べた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/4/18(月)05:47
8226.【バルト三国旅行記】旅の始まりを告げる汽笛を聞いて
列車の出発時刻まであと10分ほどある。先ほど列車に乗り込み、今、出発を待っているところだ。
先月末にアムステルダムに行った際には、平日の金曜日の昼前にもかかわらず随分と乗客がいたことに驚いたが、今日は打って変わって、ほとんど乗客がいない。今日はイースターマンデーという祝日ということもあって人が少ないのだろう。先頭車両の一等車両に座っているのは今のところ自分だけである。人の少なさに驚いたのは今だけではなく、自宅を出発してからも、通りに人がほとんどいないことに驚いた。確かに今日は祝日であり、祝日の朝7時前ということを割り引いて考えなければならないが、それでもすれ違った人はほとんどいなかった。まるでフローニンゲンの街全体が貸し切り状態であるかのように感じられ、道中の散歩は贅沢な時間となった。
今日は朝から天気が飛び切りよく、燦然と輝く朝日は眩しく、その光に活力を与えてもらった感じがする。自宅で天気予報を見ていた時よりも外の気温は低く、5度ほどだった。ジャケットを羽織って来て正解だったが、マフラーやヒートテックはもう使う必要がないと感じた。手に関しては若干悴んでしまうような寒さだったが、なんとかなった。
自宅を出発したときに仰ぎ見た薄い瑠璃色の空を思い出す。そこには雲ひとつなく、朝日がこれから輝きを増してくることを手助けしているような空間が広がっていた。
自宅からノーダープラントソン公園を横切って、公園の静かな雰囲気を味わった。そしてそこから中心部に向かっていく際には、普段賑やかな中心部の静けさを味わった。
祝日のフローニンゲンの朝は良いものだ。そこには普段と違った顔がある。こうしたところに驚きと新たな発見がある。道中で一番遭遇したのは鳩である。彼らは通りに落ちている食べ物を美味しそうに突ついていて、彼らは自分の友達であるかのように感じられ、中心部で彼らを見かけるたびに心が和んだ。
もう間も無く列車が出発する。これから始まる旅の時間に思いを馳せる。そこでの時間はどのように知覚されるだろうか。きっと豊かに充実したものに感じられるに違いない。そこでふと、時間の本質について気づいた。私たちが時間の中を通過していくというよりも、時間が私たちの中を通過し、自己展開をしていくようなのだ。
今、汽笛が鳴らされ、列車が動き出した。旅が本格的に始まり、ここからの旅の時間は自分の内側を輝きと共に通過していくことが予感され、また期待される。スキポール空港に向かう列車の中:2022/4/18(月)07:38
8227.【バルト三国旅行記】青空と同化して/感覚の組織化と涵養
列車は順調にスキポール空港に向かっている。雲ひとつないスカイブルーの青空がどこまでも広がっている。それは無限の広がりを見せてくれていて、空を通じて宇宙と接しているような感覚がある。きっとそうなのだろう。あの青空の向こうには成層圏があり、その外側には広大無辺の宇宙が広がっているのだ。
何か手の届きそうな距離にあるように感じられる広大な青空。物理的な距離があったとしても、心の距離は限りなく近い。まるで広大に広がる青空と自分が一体となっている感覚がある。
空に浮かぶ雲がないというのは、一点の曇りもない澄み渡る心の境地を表しているかのようだ。今目の前に見える青空のように澄み渡る心を持つことは可能だろうか。
空の上でも色々なことが起こるのと同じく、心の中でも色々なことが起こるのは自然なことである。しかし、空そのものはいつも揺らがない。揺るぎのないほどに絶えず澄み渡っているのだ。自分の心もそのような境地に至ることができるだろうか。そこに向けた実践を日々積み重ねていくという気持ちを新たにする。
車窓からは長閑な風景が広がっている。今日が復活祭翌日のイースターマンデーという祝日ということもあって、いつも以上に雰囲気が落ち着いている。人の数はやはり少ない。農場でくつろいでいる牛や馬たちもどこかいつも以上に平穏そうである。
今日が祝日ということもあってか、乗車している列車が各駅とまではいかないが、準特急のような形で普段止まらない駅に止まった。乗車時間を確認すると、普段とあまり変わらない時間なので不思議である。これから2時間ばかり列車に揺られ、空港に到着することになる。
列車は太陽を追い越して、先ほどまでは左斜め前から差し込んでいた太陽の光が、左斜め後ろから差し込むようになった。どのような角度で太陽が差し込もうが、その光が優しく温かいことに変わりはない。このように言葉を紡ぎ出していると、言葉を通じて感覚が整理され、組織化されていくのを実感する。その結果、感覚はより一層磨かれ、さらに豊かなものになり、新たな感覚と言葉をもたらしてくれる。
今日から始まったバルト三国旅行も、感覚を養ってくれるものになるに違いない。今の自分は体験を積むことに囚われてはない。重要なことは、内側の感覚の涵養なのだ。それは自分の研究や実践の根幹を成し、それが自分をまだ見ぬ世界に連れて行ってくれる。そのようなことを実感したところで途中駅のアッセンに到着した。スキポール空港に向かう列車の中:2022/4/18(月)07:58
8228.【バルト三国旅行記】透き通る実存的空間に身を置いて
先ほど、フィンランドのヘルシンキ空港に向けて飛行機が大空に飛び立った。搭乗しているフィンランドエアーはとても快適である。フィンエアーは自分が好む航空会社の1つである。
先ほどふと、最終的にその人の価値は地位や名誉ではもちろんなく、はたまた獲得した知識や技能でもないということを思った。そのようなものではなく、お互いが何者かを知らないような状況では、とてもシンプルなことだが、その人の表情や佇まいなどにその人の価値が体現されると思った。端的には自我の付帯物を超えて、親切に目の前の人に向き合えるかが最終的にはその人の価値を決めるのではないかと思ったのだ。
なぜそのようなことを思ったのかというと、今自分がフィンエアーに乗り、何者でもない状況に置かれているからかもしれない。自分はこうした状況をいつも嬉しく思う。
裸の自分に戻ったという感覚、原始的かつ根源的な素の自分に戻ったという感覚がある。これは海外で暮らすことの最大の利点かもしれない。母国においては常に人は何者かであろうとする。意識しなくても自然と他者の目を気にしてしまい、それが自分の呼吸を苦しくするのだ。ところが海外に出てみると、自分を知る人などまずいない。そうしたことが手伝って、自分は何者でもなく唯一の自分であるという無かつ有の大海原に投げ入れられる。
欧米での生活を最初に始めたときにはそこに大きな解放感があった。ところが、そこから数年が経つと、今度は何者でもないということへの実存的不安のようなものが影をもたげてきたのである。そしてそうした実存的不安と逃げずに対峙することを続けていくと、いつの間にか暗闇を抜け、光のように透き通る実存的空間に自己は飛び出た。そこに今の自分の実存性が存在している。
時計を少し巻き戻してみよう。そうだ、今から立ち寄るフィンランドはオランダよりも時間が1時間早いのだ。パソコン上の時計の針も調節しておかなければならない。物理的な時を巻き戻すことはできないが、心の中の時ならいくらでも巻き戻せる。心の中の時を少しばかり巻き戻すと、スキポール空港に到着して驚いたことがあった。それは列車の中の人の少なさとは打って変わり、空港に数多くの人がいたことである。
イースター休暇を利用してどうやら多くの人が旅行をしていることがすぐにわかった。列車の中や空港駅に到着してしばらくはマスクをしなくても良かったが、ボーディングパスをかざして空港の中に入ってからはマスクの着用が義務付けられた。人は多かったがセキュリティーを速やかに抜けることができ、そこからいつもお世話になっているAspireラウンジでエスプレッソを飲みながらしばらく寛いだ。あと2時間ほどでヘルシンキ空港に到着するが、そこでの乗り換えを待つ間にもAspireラウンジで暫し寛ぎたいと思う。
ヘルシンキ空港はお気に入りの空港の1つであり、日本に帰るときには大抵この空港を経由して帰っている。昨年は例外的にアムステルダムからKLMを用いて直行便で関空に戻ったが、今年は例年通り、JALに搭乗しようと思っているのでヘルシンキ空港を経由する。この空港の作りや雰囲気を含め、どこか心が落ち着く。ちょうど先ほど聞いていたシベリウスの音楽のように、自分の心を深く落ち着かせてくれる何かがフィンランドにはある。ヘルシンキ空港に向かう飛行機の中:2022/4/18(月)12:40
8229.【バルト三国旅行記】心地良い音楽に身を委ねて/神道と自分、神道と日本
今、機内サービスの音楽を聴いている。最初、欧米の流行歌はどのようなものなのだろうかと気になってそれを聴いてみたのだが、幾分凡庸さを感じ、すぐさま聴くのを止めた。そして、いつものようにクラシック音楽を聴き始めた。
ここ最近は雅楽を含めた古典的な邦楽に関心を持っているが、引き続き西洋クラシック音楽は自分の心の友である。シベリウスとグリーグの交響曲が流れてきた時、透明な心地良さを味わった。この2人の北欧の作曲家は、自分の中でもとりわけ敬意を評している作曲家だ。実際にシベリウスが住んでいたアイノラの地を過去に訪れ、グリーグが住んでいたベルゲンの地にも足を運び、両者の住んでいた家を見学したことが懐かしい。
今はスメタナの交響曲が流れてきている。この曲もまた不思議な神聖さを感じる。スメタナが生きた場所にも足を運んでみたいと思う。
そういえば、昨日ロビンさんとのプライベートレッスンの際に、ロビンさんが2年前の誕生日に3週間ほど休暇を取って、アメリカのシアトルに足を運んだ時の話をしてくれた。そう、シアトルにはブルース·リーの墓があり、ロビンさんはそこを訪問したのだった。実は自分も少し前にその墓のことを知っていて、いつかそこに足を運ぼうと思っていた。こうしたところにもロビンさんとの思わぬ共通点がある。
ロビンさんと宗教に関する会話をしている際に、最近自分が関心を示している神道の話となった。その時にロビンさんがふと、「普段、神道の実践を何かしているの?」という素朴だが、非常に深い質問をしてきた。その質問に対し、おそらく自分の日々の至る所に神道に影響を受けた実践があることを伝えた。そして、いくつかの具体例をロビンさんに提示した。ここからもわかるように、神道は自分にとって単なる思想体系なのではなく、自分の日々の実践行為と深く結びついたものなのだとわかる。そこに神道の自分なりの価値と意義を見出す。
宗教の価値というのは、外側から与えられるようなものでは決してなく、自分の内側から湧き出てくるものなのだろう。また、自分の場合は目には見えない形で自分の何らかの強い信仰心を形作っているのが神道だと言える。日常における実践的行為と信仰心と結びつかない宗教など単なる形だけのものであり、何の意味もないものなのだ。それはおそらく心の慰めにすらならないだろう。
少しばかり自分を離れ、日本という国と神道との関係について考えていた。歴史的には、過去に神道は歪曲化され、病理的な形で日本という国と結びついてしまった。それは第二次世界大戦時の国家神道として姿を現した。そうした病を患った以外は深く内側から日本と結びついているのが神道なのではないだろうか。それは日本人の目には見えない深層的な意識空間に根を下ろしていて、私たちの日々の実践や行為に影響を与えている。日本を通じて呼吸し、日本を通じて生きられるものが神道なのだろう。一方で、神道が私たち1人1人の生活実践にどのように影響を与えているのかを見つめたり、それが国家という集合規模の意識や精神にどのような影響を与えているのかを見つめない限りは、神道の本当の意義や価値というのは見えてこないのかもしれないと思う。
スメタナはリストにバトンを渡し、リストの玉虫色の音楽が流れ始めた。ヘルシンキ空港に向かう飛行機の中:2022/4/18(月)12:56
8230.【バルト三国旅行記】心の躍動/箏奏者として
心が動き、筆が動く。逆に言えば、心が動いていなければ筆は動かない。自らについて、自らの人生について綴り続けるためには、自分の心が絶えず動いている必要がある。
川面凡児の神道神学において、動的な性質は魂の本質に挙げられている。そうなのだ、魂は本来動的なものであり、存在の入れ子において魂の下部構造に当たる心もまた本来動的なものなのだ。それがひとたび静的なものになると、人は急速に老いていき、下手をすると病を患う。
とにかく心を本来の性質である活き活きとしたダイナミックなものにしておくこと。その大切さを常に思う。今回のバルト三国の旅は、心を動かし、心を活き活きとした状態にさせてくれるたくさんの養分が詰まったものになるだろう。
ヘルシンキ空港まであと1時間半ほどだ。そこでは1時間ほど乗り換え時間がある。ヘルシンキ空港からリトアニアのヴィリニュス空港までは1時間半ほどの短いフライトであり、現地時間の午後6時に空港に到着する。空港からホテルまではバスと徒歩を合わせて20分ほどなのでとても近い。
スキポール空港に行くまでの道中、箏に関してダウンロードしたPDF資料を眺めていた。そこで改めて、箏奏者と箏曲家の違いを知った。後者の場合は、単に箏の演奏ができるだけではなく、三味線の演奏や地歌が歌えなければならないとのことだった。そうであれば、今のところ自分は箏奏者として活動していこうかと思う。
今日からリトアニアでの滞在が始まる。次に訪れるのはラトヴィアだ。ラトヴィアの首都リガに到着している最中に箏の注文をしたいと思う。そうすれば、バルト三国旅行から帰ってきて比較的早くに箏を受け取れるだろう。自分の中にはすでに引きたい曲がいくつもあり、気が早いが未来の演奏会の曲の構成を考え始めている自分がいることを微笑ましく思う。クラシックや流行歌を含め、邦楽と洋楽の曲を交互に演奏して、箏の音色を通じて東西を行き来し、東西を繋げていくような感覚になる演奏会ができたら素敵である。
そのようなことを考えているだけでも心が躍ってくる。こうしたこともまた心の活力と密接につながっていて、それがあるがゆえに自分は絶えず新たな言葉と感覚を得ながら成長していくことができるのだと思う。
今、大きな拍手を伴ってリストの曲が終わりを告げた。聴いているクラシック音楽の曲集が一巡したので、また最初から聴き直したいと思う。再びシベリウスの曲を聴こえることに静かな幸福感を感じる。ヘルシンキ空港に向かう飛行機の中:2022/4/18(月)13:11
8231.【バルト三国旅行記】旅の空の上での上田賢治との出会い
あと50分でヘルシンキ空港に到着する。スキポール空港までの列車の中、そして機内で、上田賢治(1927-2003)という神道学者に関する日本語の論文を読んでいた。
上田の神道神学に関して響くものがあったので、備忘録がてら書き留めておく。上田の神道神学のユニークなところは、彼が1950年代の後半からハーバード大学神学大学院に留学し、そこでプロテスタント神学の泰斗であるポール·ティリッヒに師事し、その影響を受けているところである。それに加えて、当時アメリカで台頭し始めた実存主義的心理学やカール·ロジャーズなどの臨床心理学にも影響を受けているところである。前者に関していえば、明確な教義を持たない神道が国際的な宗教的議論に加わるためには教義体系が必要であるという考えのもと、上田はプロテスタントにおける組織神学のアプローチを採用して、神道における組織神学を創出しようとしたところが面白い。
ここ最近神道に関する書物を読む中で、自分も薄々とその点に関心があった。すなわち、神道においても洗練された神学体系が必要なのではないかと考えていて、上田のような先人がそこに大きな貢献を果たしていることを知り、大変興味深く思った。次回和書を一括注文する際に、上田の『神道の力』『神道神学』という2冊の書籍を購入したいと思う。
自分の中で神道の研究は単に学問的な研究であることを超えて、実践的なものでなければならないとずっと考えていた。上田の神道神学にもそのような意思が見られる。実際に上田は、現実世界で直面する倫理の問題を掘り下げており、臨床心理の知見に基づいて、神道の考え方と実践を応用神学として実践的な形で提示した。
宗教的観点から個人や社会の課題の解決に向けて実践的処方箋を提示するのが応用神学である。自分の神道研究もそこに連なるものになる。まさに今注目している古神道家の川面凡児は応用神学的な観点で神道の研究と実践をしていたのだ。
上田は、「宗教とは、人間の、価値への存在をかけた決断と行為」だと定義している。この定義も大変興味深い。そこには実存主義的哲学·実存主義的心理学の発想が見え隠れしているように思う。上田はキリスト教神学から出発し、実存主義的哲学·実存主義的心理学や臨床心理学を経由して独自の神道神学を打ち立てた。それは、自分が辿ろうとしているプロセスと似ている。こうしたことからも、川面凡児に加えて、上田賢治の仕事も辿っていこうと思う。
あと30分ほどで飛行機はヘルシンキ空港に到着する。旅の空の上で、上田賢治という優れた神道学者に出会えたことを心底嬉しく思う。ヘルシンキ空港に向かう飛行機の中:2022/4/18(月)14:49
8232.【バルト三国旅行記】神道の定義と信仰の定義/ヘルシンキ上空からの眺めより
ヴィリニュス行きのフライトの搭乗が完了した。飛行機はまだ地上にあって、これから滑走路に向かっていく。
アムステルダムからヘルシンキへ向かう飛行機に少し遅れが出て、結局ヘルシンキ空港に到着するとラウンジに立ち寄る時間が全くなく、すぐにゲートに向かった。ゲートに到着後、そこから速やかに搭乗が始まったので、少し冷や冷やさせられた。
アムステルダムからヘルシンキに向かうフィンエアーの機体はとても大きく、シートには個別モニターがあったが、今搭乗したフィンエアーの機体はとても小さい。移動するフライトの大きさから、目的地がどんな場所が自ずとわかってくるかのようだ。おそらくリトアニアのヴィリニュスに行く人はあまりいないのだろう。
飛行機が空に飛び立つ前に神道の定義について考える。その定義は困難である。というのも、憲法学的、歴史学的、民族学的、宗教学的、社会学的、神学的観点から定義が可能であり、それによって定義の意味が変わってくるからだ。そうした客観的な学問的観点から神道を定義づけることにも当然意味はあるが、自分にとって大事なのは自らの体験に基づいてそれを定義づけていくことだ。自分にとって神道は、生き死にに関係する信仰実践体系のように思える。
ここでふと、上田賢治の信仰に関する定義を思い出す。上田は、「信仰とは、感性に基づく価値に向けられた人間の決断と行動との体系である」と述べている。信仰とは、単に心の中で思うようなものではなく、価値の行動的現れなのだ。あるいは、行動を通して現れる価値そのものが信仰だと逆に言い換えてもいいかもしれない。
今、ヴィリニュスに向かう飛行機が空に飛び立ち、安全ベルトのランプの点灯が消えた。ヘルシンキ上空から眼下を眺めて驚いたのは、4月も半ばを迎えたというのに、ヘルシンキにはまだまだ雪が残っている箇所があるということだ。入江の水面にはまだまだ凍っている箇所があり、入り組んだフィヨルドが白く色付いている様は何とも言えない美しさを持っていた。
神話には人に霊感を与える何かがあるという考え方に基づいて、神道神話を大切にして上田賢治。今の自分はそれほど神道神話に関心を示していないが、きっといつかそれを大切にして探究する日がやって来るだろう。その探究は今ではないというだけであって、きっといつかそこに向かう日がやって来ることを予感している。
上田は神道倫理の体系的な教学の構築に向けていくつか論考を残しているようであり、それを是非参照してみよう。川面神学と上田神学を比較し、統合するような試みを企てている。
それにしても空の上は実に平穏で穏やかだ。地上における種々の事柄が些細に思えて来る。そう、人間はいつでもこの地上で小さな自我に囚われて馬鹿げたことに従事している。そうした滑稽さが人間にある。私たちは時に空を見上げ、澄み渡る上空にいるような感覚をもっと持って生きるべきではないだろうか。ヴィリニュス空港に向かう飛行機の中:2022/4/18(月)16:35
8233.【バルト三国旅行記】ヴィリニュスの第一印象
時刻はゆっくりと午後9時を迎えようとしている。今、この日記をリトアニアの首都ヴィリニュスのホテルの自室で執筆している。
ヘルシンキ空港からヴィリニュス空港へは予定通りのフライトであり、空港に到着後、市内に向かう88番のバスにすぐに乗った。少し待つかと思ったらバスの運行間隔がとても良いらしく、ほとんど待つことなくバスに乗ることができた。
バスからの情景について述べる前に、ヴィリニュス上空からこの町全体を眺めた時の印象について書き留めておいた方がいいように思う。少し驚いてしまったのは、首都ヴィリニュスの少し郊外に行くと、アスファルトで塗装された道よりも土のままの道が多く張り巡らされていたことだった。バルト三国の中でリトアニアが一番経済的な発展を遂げていないと聞いていたが、未整備な道路からもそれが伺えた。ここではもちろん道を整備することの良し悪しを述べているのではない。そうではなく、経済発展を遂げた西欧の首都の郊外ではあまり見られない情景が広がっていたことに言及したかったのである。
それともう一つ印象的だったのは、感覚的なものだ。今から5年ほど前にポーランドのワルシャワを訪れた時に、中央駅を降りて街に出た瞬間に思ったのは、ワルシャワには哀しみが流れているというものだった。
第二次世界大戦の跡は確かにほとんど見られなかったのだが、ワルシャワの街の目には見えない根底には哀しみの感情が渦巻いていることが知覚されたのである。端的には、ヴィリニュスに到着した際にも同様の感じがあった。この感情の由来がなんなのかについては、ヴィリニュスの歴史、そしてリトアニアの歴史について調べてみないといけないだろう。
ヴィリニュス空港もとてもこじんまりとしていて、空港から市内へ向かう道中の風景も、どこか何ともいえない侘しさを感じた。バスに乗車していたのはわずか10分強である。街の中心部でバスを降りた時、詫びさの感情は強さを増した。今日はイースターマンデーという祝日からだろうか、ヴィリニュスの街は閑散としていて、人がほとんどいなかった。この祝日は自宅や教会で祝うだけなのだろうか。そうでなければこれほどまでに街の中心部に人がいないことの説明がつかない。
明日から本格的に観光を始めるので、明日の様子を見てから今日の情景について再度解釈をしてみよう。今夜は移動の疲れもあるので、もう少ししたら就寝したいと思う。いずれにせよヴィリニュスの街には歴史を感じさせられることは確かなので、明日からの本格的な観光が楽しみである。ヴィリニュス:2022/4/18(月)21:05
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