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【サイケデリック学探究記】11748-11755:2024年1月2日(火)

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タイトル一覧

11748. 主客合観・表裏合観

11749. 今朝方の印象的な夢

11750. 霊・波・光の探究/宇宙的純粋経験の体現化に向けて

11751. 脳と意識と光と波/シンクロニシティについて

11752. エネルギーと情報とサイケデリクス

11753. 量子物理学と神道の交流に向けて

11754. サイケデリック研究の方向性の軌道修正をして

11755. 論文執筆という学術実践に向けて/ 「マインドレスネス」の大切さ

11748. 主客合観・表裏合観     

時刻は午前4時を迎えた。新年を迎えての2日目が静かに始まろうとしている。昨日は新年最初の筋力トレーニングとランニングを行い、身体が活性化され、今日もまた活動エネルギーに満ちた自己がいるだろう。ここ最近のフローニンゲンはそれほど寒くなく、東京とあまり変わらない気温だったが、いよいよ今週末から再び寒さが戻ってくる。最高気温が1度ほどで、最低気温がマイナス1度ほどの日々が週末から続いていく。昨夜ふと、いつか生活拠点にしたいと思っていたヘルシンキの気温を調べてみたところ、ヘルシンキは相当に冷え込んでいて、生活するのは少し厳しいかもしれないと思った。どれくらいの気温だったかというと、最高気温でさえもがマイナス10度で、最低気温に至ってはマイナス19度だった。数年前の年末年始をフィンランド北部のラップランド地方にあるロヴァニエミで過ごした時を思い出すような気温で驚かされた。仮に来年アメリカで再び生活を始め、いつかまたヨーロッパに戻ってくることがあった際にも、やはりオランダが一番生活しやすいかもしれないと思う。その他の候補としては、サイケデリック実践を法律の枠組み内で続けやすいポルトガルとスペインが候補に挙がっている。しかしそれらの国ついては、まだ具体的な町としてどこか生活拠点として望ましいかは決めかねている。オランダに戻ってくる場合には、フローニンゲンはもはや第二の故郷となったが、今度はフローニンゲンではなく、国際空港へのアクセスがよく、それでいて落ち着いた歴史ある町のライデンが良いかと考えている。そのようなことをつらつらと考えていた。

一昨日のシロシビン ・セッションでの体験と昨日に読み返していた川面凡児先生の書籍をもとにすると、今後は主観と客観を自由自在に行い、主客合観を自由自在に行うことを意識していこうと思った。同様に、表観と裏観を自由自在に行い、表裏合観を自由自在に行うことを意識的に訓練する道を歩んでいこうと思う自分がいた。日頃通常意識の中で生活をしていると、物の見方にどうしても偏りが出る。それは自分の価値観や世界観のバイアスだけではなく、上記のような認識方法の中でも偏りが生じてしまう。人間というのは面白い生き物で、本来多様な物の見方ができる潜在能力を持っているのだが、日頃は極めて限定的な物の見方しか採用しておらず、非常に狭い視野でリアリティを生きている。そうしたことを鑑みて、自分の物の見方を変幻自在に変えていき、このリアリティの多様な側面を縦横無尽に捉えていく生き方を意識的に構築していきたいと思った。そのようなことを起床直後に考えていた。フローニンゲン:2024/1/2(火)04:23

11749. 今朝方の印象的な夢

静けさに満ちた火曜日の朝。今日が火曜日であることを忘れさせてくれるほどに静かである。おそらく新年が始まってまだ2日目だからだろうか。とは言え、オランダの人々の生活の切り替えは早く、大半のお店は今日からやっており、ひょっとしたら仕事始めの人も多いのではないかと思う。欧米社会には日本でいうところのお正月気分というものはほとんどない。新年が明けてしばらくはお正月気分が集合意識から滲み出るのが日本の在り方だと思うが、こちらではそうしたことがなく、随分とさっぱりしている感じがする。

今朝方は大変印象に残る夢を見ていた。それは具体的なイメージが伴うというよりも、そこでの体験が印象的だった。その夢について書き留めておきたい。

夢の中で私は、白黒の空間にいた。そこには色がなく、むしろ白と黒さえないような世界がそこに広がっていた。そこでは人のエネルギーだけが感じられる、あるいは人の霊だけが感じられるようにになっていて、霊的交流だけが実現する磁場に私はいた。そこは霊が集う宇宙空間と表現してもいいかもしれない。そんな空間で、私は日本人であろうと思われる他の1つの霊と交流していた。なぜ日本人であろうと推測されたかというと、その霊と日本語でコミュニケーションしていたからである。その霊とのやり取りの中で私は、自分が肉体を持って地球上で生活している場合にも宙に浮けることを披露したいと述べた。それは披露かつ宙に浮けることの証明であり、自分にはそれを通じて伝えたいメッセージがあった。実は宙に浮くことは簡単であり、地上に足を着けて何もしないで立っているだけでいいのだ。その霊には、地球上にいるイメージを想起してもらい、実際に想像世界に一緒に行って、その場で宙に浮くことの実演をした。最初その霊は、私が地面に足を着けて何もせず、そして何も起こらない状況にキョトンとしていた。「何も起こってないんですけど」とその霊が述べたので、「いや、宙に浮いていますよ」と述べた。その霊はまだ解せない感じをしていたので、種明かしをすると、地球が宇宙空間に浮いているのだから、その地球にいる私たちは絶えず宙に浮いているのだと説明した。すると、その霊にはそのような発想がなかったらしく、新たな発想を得たというような感じを受けているようだった。私は改めて、宇宙空間に浮かぶこの地球にいることそのものが宙に浮かんでいることであり、同時にそれに気づけば、宇宙と自分の一体感を完全に感じることができたのである。地球と宇宙の境目が実は存在せず、便宜上大気圏での区切りがあったとしても、宇宙と地球は空間として連続していて、それを思うと自分は地球上にいても常に宇宙と1つなのだという強い一体感があった。その考えが芽生えた時、自己の中心点と宇宙の中心点が合致するような感覚が到来し、自我は消失し、完全なる宇宙意識が自分の中に芽生えた。そこでは最初究極的な恍惚状態がやってきて、やがてそれも消えて、1点としての自己が宇宙に無限に拡散していき、宇宙全体と化すという体験が生じた。そのような印象的な体験をもたらす夢を見ていた。フローニンゲン:2024/1/2(火)04:43

11750. 霊・波・光の探究/宇宙的純粋経験の体現化に向けて

今日もここから正午にかけて、6時間半ほど読書に励もうと思う。午前中だけでそれだけの時間を読書に充てられることの幸せを思う。午後からもまた夕食準備までの時間を読書と思索に当てる。日々は読書と思索の往復運動から構成されていて、それもまた身体を活用する運動でもあり、柔軟かつ強靭な身体を構築・涵養することの大切さを思う。

小笠原孝次先生の『古事記解義 言霊百神』を通じて、神道においては物心双方の波動をひっくるめて霊と呼び、この霊が空間を往来する様子を光と呼ぶことを知り、随分と腑に落ちた。霊と波と光についてはそれぞれ個別に理解を深めながら、それらを総合する形で三者一体の理解を深めたい。今日の読書の最初に選んだ書籍は、仏教と物理学を絡めたテキストで、この本の中でもとりわけ波と光に関する記述には目を凝らしたいと思う。

第23回のシロシビン ・セッションでは、自我が溶解し、霊と化し、宇宙全体と同化するという体験があった。それを日常の次元に落とせば、西田幾多郎先生が述べる「純粋経験」に該当するものだと思った。例えば、一輪の美しい花を見て、その美しさに魅せられるのは、その花を見た瞬間に自己がその花と一体化したからである。この自我の境界線を乗り越えての対象との一致体験こそが純粋経験なのであり、その究極的な形での万有宇宙全体と合一する体験が一昨日のセッションの中であったことを書き留めておきたい。こうした体験というのは、自己を絶対無にまで到達させる無の境地を通じて、如何様な存在とも合一できる有への準備が重要なのではないかと思う。シロシビンを含めたサイケデリクスはそれを誘引する重要な力がある。無即有の純粋直接体験の中にあっては、文字通り自分は宇宙万有全てとつながっていて、その感覚は揺るぎないものがある。セッションが終わり、自我が再び顔をもたげてくると、自我の重要な作用である分別機能により、自己はまた自己に付帯する境界線の中でその存在をあらしめるが、一昨日のような体験を積めば積むほどに、通常意識においても万有全てとのつながりを実感できる度合いと頻度が高まっていくことが想像される。合気道の開祖植芝盛平先生や古流武術の達人などは、おそらくそうした境地に自由自在に入れる人たちだったのではないかと思う。

第23回のシロシビン ・セッションを終えての次回までのここからの2週間は、とにかくセッション中に得ていた宇宙的純粋経験を日常生活の中でより体現させていくことである。究極的には、瞬間的に自我を溶解させ、全てと自由自在に一体になれるような在り方を実現したいものだ。それこそが何ものにも囚われない自由の境地だと言えるのではないだろうか。何ものにも囚われず、全てのものになれるという境地。そこに向かって日々歩みを進めていこう。フローニンゲン:2024/1/2(火)05:35

11751. 脳と意識と光と波/シンクロニシティについて

仏教と量子物理学の書籍を早朝より読み進めているのだが、ますます脳というものが意識を生み出す装置ではなく、意識を受信する装置であることが見えてきた。そもそもこの宇宙は意識であり、それを裏観すれば、宇宙はきっと光と波で構成されているのだろう。脳は意識を受け取る受信機という見方もできるし、それを裏観すれば光と波を受け取る装置だと見ることができる。物理学よりも意識研究を長くしてきた自分からすると、それが裏観の見方になるが、逆に物理学の探究を長く続けてきた人からすると、脳は光と波の受信機であるとする見方が表観となり、脳は意識の受信機であるという見方が裏観となるのだろう。いずれにせよ、脳と意識の関係性が量子物理学の観点のおかげでまた随分とクリアに見えてきた。ここからはやはり光と波についてもっと知りたいと思う。波をどのように知覚するのにかについて関心が高まっているせいなのか、BGMとして流している音楽が波の音である。正確な知識は持っていないが、光もまた波として私たちに知覚されているはずなので、波の性質を探究していくことの大切さを思う。

超心理学研究の泰斗でもあるディーン・ラディン教授が提唱した“the entangled mind”は日本語に訳すと、「もつれたマインド」あるいは「絡まったマインド」とでも訳せるだろうか。私たちの心(意識)は本当に興味深い性質を持っていて、心のもつれの概念を採用すれば、シンクロニシティという現象が容易に理解できる。心は特定の場所を持たず、絶えず互いに関係性を持っているがゆえに、二者間あるいは多者間でシンクロニシティが生じることがあるのだろう。とりわけ当事者同士の関係性が密である場合、シンクロニシティの頻度と度合いが高まると言えそうであり、実際にそれが自らが運営するゼミナールの中で奇妙なほどに、神妙なほどに生じているのを日々目撃している。厳格なLSD実践を自らに化して意識を探究したクリストファー・ベイシュ教授もまた、彼が大学で受け持つコースの中で、生徒たちとの間で生じる数多くのシンクロニシティ現象を経験していたことを思い出す。お互いの人生にとって望ましいシンクロニシティを起こす秘訣のようなものはあるのだろうか。それについてはまだ考察中であるが、少なくとも強い意識の受信塔を持つ人がそこにいればいるだけ、シンクロニシティの頻度と度合いが高まる可能性があるという仮説を立てている。その仮説に則り、自らはそうした強い意識の受信塔の役割を果たすべく、引き続き継続してシロシビン・セッションに従事していく必要があると感じた次第だ。取り急ぎ今取り掛かっている書籍の初読が終わったら、ディーン・ラディン教授の書籍を数冊ほど引っ張り出してきて読み返したいと思う。フローニンゲン:2024/1/2(火)07:01

11752. エネルギーと情報とサイケデリクス  

量子物理学を含め、物理学全般について関心がどんどんと高まる中で、意識と宇宙を探究する際には、どうしてもエネルギーと情報という現象概念について理解を深めなければならないと思い始めてきた。光と波に加えて、エネルギーと情報というものが何なのかについて考察を深めていこう。物理学のテキスト的な説明を押さえるだけではなく、エネルギーの哲学や情報の哲学などの分野があれば、それについてもテキストを求めて考察を深めていく。

取り急ぎ学術書を調査したところ、幸いにもオックスフォード大学出版から"The Philosophy of Information”という書籍が出版されているのを発見し、これは必ず購入しよう。また同出版社より、光に関する概説書、波に関する概説書があったのでそれらも購入する。自分が関心を持ったトピックに対してこうして既に自分ではない誰かが学術研究をある程度のところまで進めてくれていることに本当に感謝したい。そうした他者の仕事があってこその自分の仕事であり、ここにもまた縁起性を感じざるを得ない。

上記の書籍以外にも、ルートリッジ出版の“The Routledge Handbook of Philosophy of Information”という論文集も大変興味深く、特に同書の最終章である“The spiritual value of information”という論文はぜひ読んでみたいと思う。それ以外の論文は少し専門的なので、購入は一旦保留し、その論文だけ学術機関に所属したタイミングでPDFとしてダウンロードしたいと思う。

情報の哲学をするに際しては、そもそも日本語でいう「情報」という言葉の語源と、英語の“information”という語源に立ち返ることが重要かと思う。想像の範囲で書き留めておくと、前者に関して言えば、それは情に報じるもの、つまり情に伝わってくる何かだと言えるだろうか。後者の“information”について言えば、“inform”というのもまた伝えるという意味合いを持ち、その言葉をさらに分析すれば、「内側に形成する(in-form)」となるだろうか。言葉の語源に立ち返ると、情報についてそのようなことが言えそうであり、それを自身のサイケデリック体験と絡めると、色々と見えてくることがありそうである。「情」という言葉をさらに辿れば、それは人間の本質や我を意味するらしく、そうなってくると尚更情報というものが、人間存在の根幹にあり、同時に本質や我に働きかけてくる何かだということが見えてくる。そして情報を受けることを通じて、内側に何か新しいものが形成されるというin-form性も見えてくる。「情」という言葉はとても興味深く、「心」と「青」からなり、それは人間の生まれながらの心を指していることが見えてくる。サイケデリクスの摂取体験中に起こる超越的な情報受信体験は、この生まれながらの心に強く働きかけてくるものである可能性がありそうだ。情報とサイケデリクスの関係性についてはここからまだまだ考えを広げ、深めていきたい。フローニンゲン:2024/1/2(火)07:34

11753. 量子物理学と神道の交流に向けて 

――考えることは創造することである――ジル・ドゥルーズ

午前中の狩猟的な読書が捗っている。朝から一体何冊の書籍を初読し、何冊の書籍を再読したかもうわからないぐらいである。それでもまだ正午まであと2時間ほどあるので、ここからもまた旺盛な知識獲得と考察を続けていく。それは今聞こえてくる波の音の音源のように、無限に繰り返される運動のように思えてくる。絶え間なく寄せては返す波のように、知識の獲得と考察の往復運動に従事していこう。そのようにして自分の知性は磨かれ、霊が輝く。

仏教は積極的に量子物理学との関係性を見出そうとしているし、量子物理学者もまた仏教の思想に注目している状況が学術書を通じて見受けられる。非常に残念なことに神道に関してはそれが本当に希薄である。神道神秘主義思想もまた自分からすれば十分に量子物理学との交流が実現できるはずなのだが、神道の密教的な思想がそもそも英語を含めて日本語以外の言語で発信されていないという偏狭性ゆえにそうした交流が実現されていないのではないかと思い、この状況はひどく残念である。そうした状況を鑑みて、仏教と量子力学の交流の在り方と方法を参考にしながら、それを神道に対しても当てはめて研究を進めてみようと思う。今、仏教と量子物理学を絡めた書籍を熱心に読んでいるのは、もちろん仏教思想と量子物理学のつながりを理解するためでもあるが、その交流の枠組みを応用して、神道思想と量子物理学を架橋させることの実現に向けたものでもある。神道の神秘思想ないしは密教思想には本当に無限の可能性を感じる。その可能性の1つが量子物理学との交流であり、それが実現されれば、両者は関係性を深め合って相互にさらなる発展を遂げ、人類社会に貢献を果たしてくれるのではないかと思う。

直感的に複雑性科学の理論よりも量子物理学の理論の方がサイケデリック哲学と絡めて論じやすいというのが今のところの感覚である。来たるべき論文執筆に向けて、今はひたらすらその瞬間の自分が関心を持った学術書に手を伸ばし、英文リサーチノートを執筆し続けている。ここに自分のアイデアの全てが詰まっていて、そこから自分の学術的な仕事が花開いていく。リサーチノートに掲載されている事柄は、自分の研究上のアイデアの種であり、その種に少しずつ水と養分を与える試みとして読書と考察がある。それを続けていけば、いつか必ず論文という花という形になるだろう。ひとたび学術機関に戻ったら、自分はもう旺盛に学術論文の執筆に全てを捧げたいと思う。フローニンゲン:2024/1/2(火)09:47

11754. サイケデリック研究の方向性の軌道修正をして    

時刻は午後3時を迎えようとしている。つい今し方、雨が降ってくる前に散歩がてら近所のスーパーに行き、果物と野菜を購入してきた。スーパーの行きと帰り、そしてスーパーの中でも歩きながらずっとここからのサイケデリック研究について考えていた。特に、サイケデリック体験と神道神学をどのように絡めていくのかについて考えていた。正直なところ、サイケデリック体験と仏教の思想を絡めることは非常に容易かと思う。なぜなら仏教の意識論は相当に精緻なモデルが作られているし、それらに関する英語文献は事欠かないからである。それに対して神道の意識論は、川面凡児先生のモデルがあるにせよ、それは日本語の文献であり、自分で英語翻訳をしながらサイケデリック体験と紐づけていくというプロセスを挟まないといけない。また仏教の意識論のように様々な識者が対話と議論を重ねて練りに練った形で醸成されたとは神道の意識論に対して言えない節がある。どうしても川面先生のような1人のごく僅かの天才的な神道家の神秘的直接体験から意識論が展開されているように見受けられるため、それをすぐさま採用するのはなかなかにハードルが高いというのが正直なところである。こうしたことは小笠原孝次先生の言霊学に対しても言える。小笠原先生の言霊学を通じてサイケデリック体験を紐解く道も考えているのだが、こちらもなかなかに厳しい道である。自分はひょっとしたら茨の道を歩もうとしているのかもしれないと思いながらスーパーに向かっていた。

スーパーからの帰り道、いつかどこかのタイミングで神道神学や言霊学を通じてサイケデリック体験を紐解いていくことを行いたいと思うが、英語文献の豊富さからすると、仏教や日本思想からサイケデリック体験を紐解くことから始めた方が論文を執筆しやすいように思えた。論文の執筆のしやすさを優先させているわけではなく、今の自分の手に負える範囲のことから出発するのが賢明だという判断である。仏教の意識論や宇宙論、そして日本思想の観点からの方がサイケデリック体験を紐解きやすく、論文も結果的に書きやすいという感じがする。おそらくこれまでインテグラル理論や成人発達理論を学ぶことに並行して仏教に親しみ、日本思想に親しんでいた自分がいるからだろう。もちろん引き続き川面神道神学と言霊学の探究を続けていくが、それをすぐさまサイケデリック体験と結びつけて論文を執筆しようとせず、それは博士論文を書くときまで温存しても良いという態度を一旦持っておこうと思う。その代わりとして、まずは仏教の意識論・宇宙論と自分が関心を持っている日本思想の観点からサイケデリック体験を紐解いていき、論文を執筆していくという方向性を一旦採用したい。フローニンゲン:2024/1/2(火)15:03

11755. 論文執筆という学術実践に向けて/ 「マインドレスネス」の大切さ     

先ほど今後のサイケデリック研究の方向性について書き留めていたが、結局のところ実際に学術論文を少しずつ執筆していくことをしていかない限りは、その方向性が明確なものとならないと思った次第だ。今は暫定的な方向性が見えているだけで、その暫定的な方向性に従って学術実践としての学術論文の執筆に従事しない限りは、道が形成されないのである。それは他の実践においても当てはまる原理的なものであり、この原理が少し頭から抜けていて、方向性を実践抜きで頭の中だけであれこれと考えていた節がある。つべこべ言わずに論文を書くというシンプルな実践に早急に取り掛かりたい。それができる環境に身を置くことが兎にも角にも重要であり、そのための大学院の進学なのである。今は論文の執筆に向けて地道な準備を積み重ねている段階で、そのプロセスには楽しさもありながら辛さもある。とにかく自分は創造することに楽しさを覚える人間のため、単に学術書を読むだけでは満足できないのである。自分の手で、自分の言葉で形としての論文を生み出すことにこそ最大の喜びと楽しみを見出す自分がいるはずであり、それを長らく封印していたように思う。それは自らが封印したというよりも、自分を超えた何ものかがそうさせたのだろう。いずれにせよ、ひとたび大学院に戻ったことを契機として、少しずつ着実に論文を執筆するという実践を積みながら、形を残しつつ方向性を形作っていくということをしたいと思う。それを地味に続けていれば、必然的に道が開かれ、己の道が自然に形成されていくだろう。

それ以外に考えていたこととして、シロシビン・セッションを体系的に実践し始めてからというもの、直観と直感が随分と冴え渡っているように感じるという点についてである。午前中にふと、「マインドフルネスよりもマインドレスネスの方が圧倒的に重要である」という気づきが降ってきた。究極的なリアリティと一つになる際にはマインドフルネスでは物足りないのである。むしろマインドフルネスの状態は、宇宙全体と一つになることの妨げでしかないというのがこれまでのセッションを通じた体験からもたらされる考えである。むしろマインドを空っぽにし、無の境地になることが重要で、それができて初めて宇宙全体と一つになれる。宇宙万有と一体化するためにはマインドフルの状態ではダメなのである。マインドがフルな状態でどうやって他の存在者と同一化できようか。マインドがフルな状態はその余地がないのである。そうしたことからも、自分はシロシビン・セッションを通じていかにマインドフルネスの状態から脱却し、マインドレスネスの状態になれるかを試していき、マインドレスネスの状態をより日常でも体現できるようにしていきたいと思う。マインドを満たすのではなく、マインドを空(から)にすること。それはマインドを空(くう)にすることに等しい。マインドを空にしながら、今はひたすらに関心を持ったテーマについての読書を続けていき、来たる大学院への進学と、そこでの旺盛な論文執筆に備えて準備に準備を重ねていきたい。フローニンゲン:2024/1/2(火)15:33

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