おだやかでいるということ
腹が減ると、いらいらする。腹が満たされると、幸福になる。
毎日くり返し一生を寄り添う「食事」という行為に、こんなにも気分が左右されるんだから、ずっと心をおだやかにしておくのは、本当に難しい。
でも、心がおだやかでないと、ぼくは人に優しくできない。だから、心がおだやかでいられる時には、その、なんてことなさそうな状態に、とても感謝する。
心がおだやかでいられることに、ちゃんと感謝できるようになれば、きっと自分の体は、おだやかさを求めるようになるはずです。
いままで自分の感情を、0から100まで目盛のついたメーターのように捉えてきたけれど、よく考えればそんなはずはない。感情に0なんてなくて、あるのは、あくまで”状態”だから。
本音を言える場所が減っているとよく聞くけれど、同じくらいきれいごとを言える場所も減っているんじゃないか。どちらも叩きやすいのは間違いない。
正論がつまらないと言われるのは、そこに意思が感じられないからであって、吐いた正論に向かって努力していれば、それをきっと、人は見てくれていると思う。
ぼくは、まだまだきれいごとや正論を吐いていたいし、それを叶える術を、自分で見つけたい。
山脇、毎日。