思いの伝え合い
日々ぼんやりと考えたことを、iPhoneのメモに記録している。
殴り書きのようなたくさんの言葉は、大体が単語や一文レベルのものばかりだ。
ただ、たまに、質問に答えているような言い回しをしているときがある。
明らかに誰かに聞かれた体で書かれているこの文章は、いつか本当に話したいと思ってメモしたのだろうか。あまり覚えていない。
質問の力というのは偉大で、ユニークであれば、新しい答えを引き出すことができる。みんなが互いの善き質問者になれば、たくさんの芽が育つんじゃないだろうか。
質問の奥には意図があって、意見がそれを支えている。そして意見は関心から生まれる。他人に好奇心旺盛な人は、とにかく質問が多い。
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「私はあなたのことをこう思う。」なんて、最近まで恥ずかしくて言えなかったなあ。恥ずかしいというより、野暮だと思っていた。軽々しく印象を口にすることを。
変わったのはやっぱり、言ってもらって嬉しかった経験があったから。自分のことを考えてくれる人がいるだけで、満ち足りた気持ちになれる。
言葉にして伝える勇気を持てたのは、勇気を持って言葉で伝えてくれた周りのりのおかげだと思っている。
思いの伝え合いが生む価値を、僕は心の底から信じている。手段はなんでも良い、物でも言葉でも。
人が人を想う気持ちをもっと彩りたい。当人たちにも、外側の人たちにもキレイに見える小さいやりとりを増やしたい。
なんとなく生まれて消えていく。を少しでも減らす。
身の回りに溢れる無味乾燥なモノたちを、次々と愛の力で染められたのなら、こんなに幸せなことはない。
山脇、毎日。