自分の感情にまっすぐな人が僕にくれた想い
競争嫌いの僕を、自分や他人に本気で向き合わせてくれたのはいつも周りの人たちだった。
幼い頃から勝負が本当に苦手で、「0点」よりも「失格」を好んだ。数字を持って白黒つくのが心の底から怖かった。
人間関係もそうだった。「ライバルと切磋琢磨」なんてできなくて、人から刺激を受けることが全くなかった。
相手に本気で向き合い「正しい方」を決めるのが辛かった。平穏を重んじ、ぶつかり合いを避けた。そしていつしか、感情にこだわりを持たなくなっていた。
譲れないものなんて何一つなかった。自分の人生以外は。
大学を休学してインターンを始めた時、初めて自分のわがままさに気づいた。意見もこだわりもないくせに、人生の決定権がないことだけは嫌だった。
中途半端な奴だった。だから自分の気持ちに向き合おうと決めた。
「決めること」の裏側にある意志や情熱や頑なな想いを、心の奥底から引っ張り出してやろうと思った。精一杯表に出していこうとした。
そして僕は変わった。「純粋すぎるような、自分の感情にまっすぐな人」たちが輝いて見えた。恥ずかしくても素直になって、人に刺激を与えたいと思うようになった。
デニムを販売し始めてその想いは加速した。気持ちが伝わることはこんなにも嬉しいのかと思える機会がどんどん増えていった。
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大学の友人がプロのダンサーとして生きている。縁あってEVERY DENIMを手に取ってくれた彼から、最近こんなLINEが届いた。
彼は昔からずっとこうだった。他人に対して素直に気持ちを伝えられた。
斜に構えるのが美徳だった当時の僕は、そんな彼のことをきちんと理解できてなかったように思う。
今こうして、デニムを通じて想いが届き、涙が出るほど嬉しかった。そして彼の純粋な気持ちをそのままに受け取れる自分の純粋さを誇らしく思った。
どんな人間にも感情はあって、でもそれはいつもうまく表に出てくれるとは限らなくて、隠れたり、歪んで本当の気持ちから離れてしまったりすることがある。
だからと言って表現することを恐れてしまったら、周りの人たちの表現にも気づけない、寂しい人になってしまうかもしれない。
周囲の目が怖いなら、自分だけを見ていればいい。自分が何に喜び、心動かされるのかをじっくりと見つめてみればいい。
見つかったのならそれをゆっくりと出してみればいい。あなたのことを大切に想ってくれる人はきっと、その感情も同じくらい大切に扱ってくれるだろうから。
山脇、毎日。