生きた証のような物語を伝える
「モノを愛着持って永く使うことの楽しさを届けたい」
この言葉を、時には燃料に、時には灯火にして、今日までずっとやってきた。
昨日、花束について考えていたら
「モノって具体的には何だろう」
とか
「このメッセージにはどこにアクセントがあるんだろう」
とか、疑問が次々と湧いてきたので、改めてきちんと言葉に向き合うことにした。
愛着の楽しさを届けたいだけなら、なぜわざわざ自分たちで製品を企画しているのか。永く履けるデニムを卸して販売するのと何が違うのか。
この問いへの回答はとても明快で「製品について自分が他の誰よりも強い想いで語れるから」
そして、自分が誰よりも強い想いで届けるからこそ、受け取る人に気持ちが伝わり、大切に使ってもらえると信じているからなのだ。
「EVERY DENIM」は岡山のデニム工場を取材し、職人さんや経営者の方の姿をWEBで発信するところからスタートしている。
その後、もっと強く自分たちが想いを届けられる手段は何かを考え、文章としてではなく製品として、デニムの生産現場を発信していくことに決めた。
その時は、モノの強さに頼り切っていたところがあった。
生産背景が見えたり、職人さんが丹精込めてつくっている。「透明性が生んだわかりやすいストーリー」さえあれば、きっと多くの人に受け入れられると思い込んでいた。
でも今は、それじゃ足りないよとはっきり言える。何よりも大事なストーリーは「なぜその製品をつくることにしたのか」「それをどんな気持ちで届けようとしているのか」
モノの前後にある、熱くて真っ直ぐな唯一無二の文脈。泥臭くて非論理的でも、嘘がなくて力強い、生きた証のような物語でなければ、決して人の心は動かせないと。
ストーリーは見つけるものじゃなくて作るものなんだと。
「こんな技術を広めたい」「こんな人に着てほしい」考えの下行動した軌跡が物語となり、思い出を話すように楽しく伝えることで、初めて周りにも広がっていくんだろうと。
自分の思い出だからこそ、自分が一番強く語れる。自分の居ない物語を他人事のように話していて、どうして人の心など揺さぶることができようか。
主観でいいから、感情でいいから、とにかく、自分が一番強く語れる。その事実が尊いんだと、経験が僕に教えてくれたのだった。
山脇、毎日。