「いい先輩」から「いい後輩」へ
大学1年生のころに勤めていたバイト先では、「なるほど」という言葉が禁止されていました。
バイト経験のある人ならわかると思いますが、働き始めのころは与えられた業務を一生懸命覚えなければならず、メモをとることもたくさんあるでしょう。
上司や先輩から教えてもらったことを聞き取るとき「なるほど」と返事できないのは、当時のぼくとしてはなかなかに辛く、いつも指導を受けていました。
なぜ「なるほど」が禁止されていたかというと、曰く、「頭が悪そうに見えるから」だそうです。
「偉そうに聞こえるから」という理由であれば、確かに納得がいきますが、「頭が悪そう」という見え方については、辞める最後までうまく理解できませんでした。
「後輩を”後輩たらしめる”のは先輩なのだ」|2016/07/04「山脇、毎日。」
のときにも書きましたが、ぼくは、上司と部下、先輩や後輩などの固定した関係性において、各々が力を発揮するのは個人の資質よりもほとんど相手に依ると考えています。
「相手をどう”いさせる”かは自分によって決まる」と言い換えてもいいかもしれません。
よくある、先輩-後輩について向き不向きの”タイプ分け”。どちらが適しているかどうか、誰でも一度は試されたことがあるのではないでしょうか。
ぼくは圧倒的に「後輩タイプ」と言われることが多いですが、それは、ぼくが後輩としての資質を持っていたわけではなく、先輩方がぼくを気持ちよく後輩にしてくれたからに他ならないと思っています。
逆に言えば、後輩が後輩としての役割を発揮しているときには、先輩は、先輩としての役割を発揮していることになる。
「こいつ、いい後輩だなあ」と思うときは、もしかしたら、それは、自分がいい先輩だからなのかもしれません。
一見「鶏が先か、卵が先か」問題のように見えますが、力を発揮する起点になるのは、必ずしも平等ではなく、先輩のことが多いはず。いい関係性をつくるためにはいい先輩が不可欠なんだと思います。
けっきょくなにが言いたいかというと、「いい先輩」から「いい後輩」が生まれていくのではないかということ。まとめるととても当たり前のことになりましたが、「いい後輩」は単独では存在しないと考えました。
「いい後輩」は、やがて「いい先輩」へ。ぼくを素直でいさせてくれた先輩方へのたくさんの感謝は、後輩たちへの素直へと繋げたいです。
山脇、毎日。