優等生の欠点
「議論を始めた時に、すぐ落とし所を見つけようとするのが、優等生の欠点」という主旨のツイートを見つけました。
ぼくは、自分のことを「優等生だなあ」と思うことが、たまにあります。
それはけっして良い意味ではなくて、どちらかといえばネガティブな意味で。
「規律を守る」とか、「期待に応えようとする」とか、場面によって良い悪いどちらにも転がるような要素を、優等生という言葉は持っています。
ぼくが自分を優等生だと認識するのは、悪い方に転がったとき。いつも、ああ、またやってしまったという感覚です。
先のツイートは「痛いところを突かれた」という思いで、確かにいままでの経験上、主張を押し切った記憶があまりありません。
それは単に、意見を譲り続けたという訳ではなくて、妥協点を探すのが早かったり、そもそも議論しないようにしたり。
物分かり良いふりをして、本当は何もわかってない、深い話もできない。
誰とも衝突しない代わりに、みんなから優しく疎外される。そんな人間だったのかもしれません。
小さい頃から、噂話とは本当に無縁でした。今もそう。それが、少し寂しかった。
「優等生には、本当の人の心がわからない」
そう悩んでいた自分を変えるきっかけをくれたのが、この「山脇、毎日。」です。
会った時には簡単に思いを表せなくても、この文章をきっかけに、自分のことを知ってもらいたい。
これを書いてるときほど、自分の思いを外に出すことはないから、ちょうど、いい訓練になっています。
来月で1年を迎えるこの習慣。「欠点を持った優等生」山脇耀平の存在が、少しでも伝われば嬉しいです。
山脇、毎日。