自分を大切にする義務
桜の季節に上野に行くと、3年前を思い出します。
大学2年生が終わり、思い切って休学。4月に初めてインターンとして働き出した会社が、上野のオフィスでした。
結局そこには3ヶ月しかいなかったのですが、だからこそ、ぼくにとっての上野は春の思い出しかないのです。
アルバイトとはまた違う、組織に属すという新鮮な感覚。自由にやらせてもらえた結果、呆れるほど迷惑をかけて
自分の心の弱さを、痛いほど知りました。
改札を行き交う人たちを見て、「働くってこんなに責任感あることなのに、みんな平気な顔しててすごいなあ」
「自分には社会で生きていく力なんてないんだなあ」
そんなことばっかり考えていました。
数字を達成できない自分を責めるばっかりで、周りと比べるばっかりで、ワクワクなんて少しもしてなくて
予定を忘れて迷惑をかけて、体調を崩して迷惑をかけて、人前で泣いて迷惑をかけていました。
自分を大切にすることも知らなかったぼくは、いまから振り返れば本当に、自爆していたと思います。
あれから3年。当時より、「仕事ができる」ようになったかは、正直わかりません。
でも、あの頃の経験があったからこそ、真剣に「自分を大切にできる生き方」を探しはじめたのは間違いない。
臆病で、怒られるのが怖くて、逃げまくっていた。もう2度と、当時の自分に戻りたくなかった。
そして気がついたら、弟と2人で事業を興していました。
この季節、新しく社会人になる人たちに、1つだけ言えるとしたら
月並みですが、どうか、「自分のことを、何よりも1番大切にしてほしい」
自己犠牲や責任感が原因で、心を病むようなことだけは、本当にしないでほしい。
人によっては、甘っちょろく聞こえるでしょう。人によっては、きれいごとに聞こえるでしょう。
人の心のもちようは、本来は本人が決めるものだし、本人しか決められないと思っています。
心を病ませる原因が、結局は自分自身だからこそ、ぼくはこのことを、強く言いたいのです。
たとえば何かで深く落ち込んでいる人や、鬱になりそうな人がいたとして、
周りがどれだけ優しかったり、手を差し伸べてくれたりしても、その人自身が自分を否定していたら、状況は良くならないと思うのです。
なんでも簡単に自分のせいにしないこと。環境をきちんと見つめること。
環境を見つめるのは、自分から意識しなければできないと知ること。
「自分には自分を大切にする義務がある」
他人に優しすぎるすべての人に、この言葉を贈ります。
山脇、毎日。