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健康の不平等と健康と社会的決定要因について考えてみる②
前回に引き続き、健康の不平等と健康と社会的決定要因について学んでみようと思います。
SDOHの現状・取り組み
SDOHの現状や取り組みにはどんなものがあるのか、WHOと日本をテーマに少し学んでみようと思います。
WHOの現状・取り組み *10
WHOは、健康の不平等の解消を目指して2008年に「健康の社会的決定要因に関する委員会」を設置し、2040年までに達成すべき3つの主要目標を設定しました。
国家間および国内の平均寿命の差を半減すること
成人死亡率を半減すること
乳幼児死亡率を90%、妊産婦死亡率を95%削減すること
これまでの進捗としては、以下のようになっており、現状達成に向けて不十分な可能性が露呈しています。
平均寿命の差では、2000年から2019年の間に、平均寿命で上位1/3の国と下位1/3の国の間の差が4年縮小していますが、目標達成にはさらに6年の短縮が必要とされています。
成人死亡率では、世界的に2000年から2016年に20%減少。低所得国では急激な低下が見られましたが、不利と見られる集団では依然として高い成人死亡率が続いており、コロナ禍ではその差は顕著でした。
乳幼児および妊産婦死亡率では、2000年から2021年にかけて5歳未満児死亡率は50%減少、妊産婦死亡率は34%減少しております。ただし、目標達成には進捗速度が不十分であり、特に妊産婦死亡率は2015年以降停滞が見られています。
現時点では、不公平な経済システムや構造的差別への対応不足が大きな課題とされています。また、医療サービス提供に偏った取り組みや、介入の有効性に関するデータ不足も改善が求められています。これらの背景に加え、気候変動やパンデミック、紛争などの危機が不平等をさらに深刻化させている背景もあります。
これらの課題を克服するため、WHOは経済システムの公平性向上、構造的差別の解消、社会基盤の強化の推進を考えており、これらのことをまとめた報告書が作成予定となっております。
日本の現状・取り組み
日本では国民皆保険制度が整備され、すべての人が医療サービスにアクセスできる環境が整っています。しかし、健康の社会的決定要因(SDOH)への対応としてはまだ不十分であり、健康の不平等の解消や健康寿命の延伸を実現するための重要な課題として注目されています。以下では、CDCモデルの主要要素ごとの日本での現状や取り組みについて少し自分なりに整理してみようと思います。
1. 経済的安定性
経済的安定性は、健康状態に直結する重要な要因です。低所得層は高所得層に比べて平均寿命が短く、疾病リスクも高いことが指摘されています。日本のような先進国では、相対的貧困率が高く、社会全体の健康レベルへの影響が懸念されています。 *11
先進国では、餓死や路上生活といった「絶対的貧困」は少数にとどまりますが、近年問題視されているのは「相対的貧困」の拡大です。これは、所得格差やその他の社会経済的格差の拡大を意味し、健康の不平等に大きく寄与しています。
例えば、厚生労働省「国民健康・栄養調査」の結果等による分析では、肥満者割合は世帯所得600万円以上に比べ200万円未満で有意に高く、また、家計支出が多いほど、多くの栄養素について厚生労働省による「日本人の食事摂取基準」の推奨量を摂っている人の割合が高いことが報告されています 。 *11
このように、所得などは健康とも関連し、政策としては賃上げや生活必需品への軽減税率などが関係してくる事柄かと思います。
2. 教育へのアクセスと質
一般に低学歴者は死亡率が高く、循環器疾患危険因子が多く、 ヘルスリテラシーが低い傾向が指摘されています。*11 また、教育格差は経済格差と深く結びついている点も特徴です。日本では、義務教育があるため、一見平等に見える部分もありますが、学習塾や私立小中学もあり、学習塾の利用の有無で学力格差が生まれているという報告もあります。*12
このように、教育格差は、経済的安定性とも関連しながら健康にも影響することがわかり、政策としては大学無償化などが関連するかと思います。
3. 医療へのアクセスと質
日本の医療アクセスと質の現状を考える際、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)は一つの視点となりうるかと思います。UHCとは、すべての人が必要な時に、経済的な困難を伴うことなく、質の高い保健医療サービスを利用できる状態を指します。日本は、国民皆保険制度を通じてUHCを達成し、その維持に成功してきた経験があり、海外からも注目をされています。*13
ただ、それでもいくつかの課題は残っています。例えば、病院の外来受診や入院の利用は高所得者に偏る傾向があり、低所得者層では受診控えが多いことが報告されています。*14
さらに、国民皆保険制度が提供するフリーアクセスにも制約が存在します。特に、国民健康保険料の滞納・未納により短期被保険者証や資格証明書が発行される場合、医療アクセスが制限される事例が少なくないという指摘もあります。*11
これらのこともまた、他の要素とは切っても切り離せない関連性が見受けられるかと思います。
4. 物理的環境
住居環境や地域環境は健康に大きな影響を与えます。日本では公衆衛生や水質、大気汚染に関する問題は比較的少ない印象であるかと思います。ただ、住居の断熱性能基準は日本は世界的にも遅れております。 *15
住宅の断熱性や気密性は心疾患や脳血管疾患と関連していることが報告されており、例えば、北海道では、高断熱住宅の普及が進む地域などでは冬季の死亡増加率が低いことが報告されています。*11
このような背景から、住環境の改善が健康促進に寄与することが期待されています。
5. 社会環境
地域社会への参加や良好な人間関係は健康にプラスの影響を与えます。一方で、社会的孤立や孤独は健康リスクを高める要因となっています。
日本では、「ソーシャル・キャピタル」が豊かな地域に住む人ほど身体的・精神的な健康状態が良好であるという実証研究が報告されています。*11
例えば、認知的および構造的社会資本が精神的健康にいい影響を与える可能性が示唆されております。*16 また、感情的サポートの形での社会的支援は認知症の発症リスク低下に関連していることなどが報告されています。*17
以上のように、視点を分けてみることでできている部分とできていない部分の濃淡がわかり、また、1要素が解決できていたとしても、健康の不平等の解消につながるかというとそうではないことがわかってきます。とても難しい問題です。
SDOHとテクノロジー
SDOHとテクノロジーの関連についても少し調べておこうと思います。
データ駆動型アプローチ
SDOHへの対応には、データ駆動型アプローチが前進させる可能性があり期待されています。各データを統合し、行動科学や予測アルゴリズムにより、SDOHが健康に及ぼす影響を特定することで、個人であるミクロの面でも社会であるマクロの面でも恩恵を受けれる可能性があります。*18 PwCの資料では以下のようなケーススタディが紹介されています。
・多国籍企業であるBASF社では、疫学的因子をもとに、病気休暇取得率を推測しその結果を加味して健康管理プログラムを実施し予防につとめ、病気休暇の削減につながったと報告されています。 *18
・高齢者向けの食事配達サービス「Meals on Wheels」では、食事と配達時の会話・個人のデータを統合し、デジタルツインを作成・推計し、慢性疾患の症状を減らし、医療費削減にもつながったと報告されています。 *19
・Western Sydney Diabetesでは、複数のSDOHに対し、糖尿病の指標を定め、どういった介入が有効だったかを評価できるようにし、特定の地区などでも評価できる体制を整えています。 *20
デジタルプラットフォーム
SDOHへの効果的な対策として、デジタルプラットフォームなどの活用で地域リソースの連携や最適化の向上につながる可能性もあります。SDOHでは、仕事や生活環境など、医療と関係のない要素も多く、包括的に評価をすることが困難でした。その解決策の一つとしてデジタルプラットフォームの活用などがあります。例えば、Mavenプラットフォームでは、簡易スクリーニングを行うことで妊婦の社会的ニーズの特定やタイムリーな支援ができる可能性が示唆されております。*21
また、地理空間情報を活用して医療施設やモバイルクリニックを戦略的に配置することやウェアラブルデバイスや遠隔モニタリングを通じて個人の健康状態をリアルタイムで把握し、早期介入や個別ケアを促進する仕組みなども期待されています。*22
しかし、こうしたテクノロジーの活用が求められる一方で、プライバシーとセキュリティの確保やデジタルディバイドへの対策が求められます。これらの課題を克服し、関係機関が連携して地域住民の健康を支える体制を構築することで、持続可能で健康的な社会の実現に大きく貢献することが求められております。
健康の不平等と社会的健康決定要因について考えてみる
今まではこういうことに関してはなんとなく教育を導入するのが一番いいのではと思っておりましたが、いろいろ学んでみると、そう単純ではないことがわかりました。例えば、義務教育で教育のアクセスや経済面が改善されても、引きこもりなどのケースでは社会的支援から外れてしまいます。その背景には、ソーシャルキャピタルとか人間関係のもつれなどが関係し、ニワトリ卵ではないですが、教育が起点としてあるというよりは、様々な要因がオーバーラップしながら、その時々の状況で起因されていくというイメージに近いのかもしれないなと思いました。
そのため、健康の不平等の解消は必要であると思うのと同時に、目指すアウトカムによって、複数の要因を全て考えていくというのはなかなか無理難題のように感じました。また、絶対的なアウトカムなどに注力しすぎると、相対的なアウトカムが問題として浮上してくるというトレードオフな状況もより複雑化しているように感じます。まずはWHOでも提唱している平均寿命などのハードアウトカムの部分を大きなビジョンとして、そこから個々の文脈に個別最適化して考えていくことがいいのかなと思いました。
また、テクノロジーの部分でも、先行事例を参考にしつつ、昨今、ARやAIなど新たなテクノロジー分野の成長も目を見張るところがあると思います。今後新たなテクノロジーをベースとしたデバイスが誕生したときには、IoTの幅が広がり、個人と社会でのデータの活用のGAPが小さくなってくる可能性もあります。多領域の横断したデータが統合され、連携が促進されることにつながるといいのかもしれません。
死亡に直結しやすいハイリスクな疾患や合併症リスクの高い疾患から逆算し、教育・医療アクセス、さまざまな環境を整え、その上で経済的安定性を担保できるようにしていかないといけない、言葉を並べるだけでもかなり難しそうですが、ヘルスケアというものは、単一の視点だけで解決できるフェーズではなくなり、より多面的な視点からヘルスケアというものを捉えていかなければいけなくなってきているのかなと思います。
普通に働く上では、このような広い視点で考えることは難しいし必要性は薄いかもしれませんが、社会的に決定されるメカニズムがあるということは知っておく必要もあり、個人的にはとても勉強になりました。
ヘッダー画像:generated by DALL-E
【参考資料】
*10:World Health Organization.Progress of the World Report on Social Determinants of Health Equity(2024年11月22日参照)
*11:日本医師会総合政策研究機構.2017-09-27.貧困・社会格差と健康格差への政策的考察
*12:文部科学省.学力格差にどう立ち向かうか(2024年11月22日参照)
*13:Nobuyoshi WATAHIKI, Takuya MATSUSHIGE.Journal of the National Institute of Public Health.2020 Volume 69 Issue 1 Pages 33-40.Workforce development for strengthening of social health protection is essential to achieve Universal Health Coverage
*14:豊川智之,et al.医療と社会.2012 年 22 巻 1 号 p. 69-78.医療サービスへのアクセスと水平的公平性
*15:断熱材.jp.住まいの新常識?日本の住宅に危険が潜む(2024年11月22日参照)
*16:Tsuyoshi Hamano,et al.2010;PMID: 20949091
*17:Yasuhiro Miyaguni,et al.2021;PMID: 34083332
*18:PwC.2020-09-01.今、何をすべきか‐健康の社会的決定要因への対策が急務‐
*19:MEALS ON WHEELS AMERICA.A COMPREHENSIVE STUDY OF THE EVIDENCE SUPPORTING THE POSITIVE IMPACTS OF MEALS ON WHEELS(2024年11月22日参照)
*20:Western Sydney Diabetes.OUR FRAMEWORK FOR ACTION(2024年11月22日参照)
*21:Neel Shah, MD.Jan 19, 2023.Digital solutions can address social determinants of health
*22:Medium.Kasturi Goswami.Jul 21, 2023.Addressing Social Determinants of Health & The Role of Healthcare IT