武藤敬司とI AM BOSS
こんにちは、プロレスも好きなようへいです。
12/15に書いた新日本プロレスの元プロレスラー木戸さんの記事。
これにちなんで、新日本プロレスの話です。
I AM BOSS
プロレス団体って色々ありますが、自分が好きな団体は新日本プロレス。
特に、nWoが全盛期の頃が一番面白かったし思い出深いですね。
木戸修をリスペクトしていましたが、武藤敬司もリスペクトしていました。
なんといっても「I AM BOSS」。
「I AM BOSS」のTシャツ、パルコで2パターン買いましたからね。
昔のガラケーのデータは今でもパソコンに入っていて、引っ張り出してきました、I AM BOSS。
着過ぎてボロボロになったI AM BOSSのTシャツ。
そのまま捨てるのは惜しいので、前面のプリント部分だけ切り取って部屋に飾っていました。
I AM BOSSで絡まれた
当時は新日本プロレスがとても人気で、「I AM BOSS」Tシャツを着た人が多かったですね。
中学生の頃、このTシャツを着て夏のビアガーデンを歩いていたら、同じTシャツを着た怖めのお兄さん達に絡まれて、なぜか意気投合してご馳走になりました。
自分はジュースでしたけどね。
「武藤好きに悪い奴はいねぇ!」
っていう言葉が今でも覚えています。
あのお兄さん方、今では多分50歳手前くらいかな、偉くなっているかもしれないですね。
I AM BOSSが生まれたきっかけ
武藤がI AM BOSSを言い始めたのは、当時nWo JAPANのボス蝶野正洋が首を負傷して長期欠場した後だったと思います。
蝶野欠場後、武藤がnWo JAPANのボスになりました。
そこから武藤が言うようになった「I AM BOSS」。
小島聡をnWo JAPANに引き入れ、これに猛反対していた天山にも認めさせました。
天山を納得させたのが、ボスを名乗るに相応しいポイントでしたね。
ボスに必要なのは、チームをただ変えるだけでなく、その変化を周囲に認めさせること。
武藤はボスの器だったと思います。
「I AM BOSS」っていう響きが好きでした。
I AM BOSSのその後
蝶野が本格復帰後、蝶野率いる「T-2000」と武藤率いる「nWo JAPAN」の抗争が勃発。
2000年1月4日東京ドーム?でしたでしょうか?
武藤が蝶野に負け、nWo JAPANが消滅してしまいました。
この時の新日本プロレスはドラマでしたね。
毎週ワールドプロレスリング(土曜26:00くらい)を楽しみにしていました。
次はどんな抗争に発展するんだろう?
どんな展開になるんだろう?
毎週ワクワクしてましたね。
またあの頃のプロレスを見てみたいですね。