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太陽の季節-Z世代のZ体験 Z 9-
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関西大学のフォトグラフィ実習にて、ニコンさんから機材をお借りしました。授業に提出したレビューを、noteにも記します。
Z世代を考える
Z世代は、他の世代と比べて明らかに「真面目」だと思う。
親世代は、学校が荒れていて窓ガラスをよく割っていたとか、授業をサボってふらふらしていたとかよく言う。少し上の30代40代の人たちは、ひとりで海外に放浪に出たとか(しかもそれが流行っていたらしい)、大学のテストの過去問が購買に売っていてみんな買ったんだとか自慢げに伝えてくる。今じゃありえないな。
後に「コロナ世代」と呼ばれるであろう私たちの代は、Z世代の中でも特に真面目な世代だと思う。1番精神的にも体力的にもハイな時期に自粛を迫られ、友達と騒ぐどころか会うことさえためらわれた。「このしんどい時期をみんなで乗り越えよう」という風潮の中で、大人たちは世の中(勉強とか諸々だが)についていけない子のサポートを徹底した。私たち自身も、コミュニケーションを取りにくいからこそ文明の利器を利用してより繋がろうとした。おかげで取り残されている子を助けるとか、周りに気を配るとか、そういう優しさは他のどの世代よりも持っている。ただ、上にひとつ抜き出る存在もまた減ってしまった世代だと思う。
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だから学生という立場では到底手に入れられないカメラを手にしたときも、やっぱり「日常を撮る」とか言う。私もそうである。ただしそれでいいと簡単に思えるほど、現代は単純ではない。私たちは「自分らしさ」を求められているのである。個人的に「自分らしさ」なんて「エモい」と並んで一時の流行だと思っていたのだが、昨年度出た生徒指導提要に「自分らしく生きること」という文言が入っている(原文は長いので割愛する)。つまり「日常」を撮るだけでは自分らしさを演出できないから、「私の日常」とかいうテーマで撮るのである。
Z 9を手にした私は、やっぱり「私の日常」を撮りに行った。
私は普段からよく難波に撮影に行く。道頓堀や宗右衛門町で撮るのが好きだ。あの空間は一言で表すとカオスである。地元民も観光客も、ホストやコンカフェ嬢もいればひっかけ橋で乞食をする人もいる。綺麗な街とは言いづらいが、このなんともいえない空気感が魅力的だと感じる。むしろお花畑とか海とか、THE・キラキラしたところはまぶしくて苦手だ。休みの日はカメラを持って映えない場所に行くことにしている。
Z 9はすごいといろんな人に言われていた。何がどうすごいのかはよく分かっていなかったのだが、そもそも価格が恐ろしい。特に写真が上手ではない人でも、すぐにいい写真が撮れるのだとも聞いた。それはすごいカメラだ。存分に撮ってやろう。期待に胸を躍らせて難波に向かう。
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わたしと、Z。
しかし現実は違ったのだ。普段私物のカメラを持って歩いている時は、1分に1回のペースでシャッターを切っている。ただのゴミや看板や細い路地さえ、ビビッときて反射的にシャッターボタンを押すのだ。私は普段この「第六感」的な衝動で作品を作っていく。だがZ9は私にその力を発揮するのを許してくれなかった。
シャッターを切るどころか、撮りたいものが見つからない。ゴミはゴミだし看板は看板で路地は路地である。こんなにいいカメラを持っているのに、私とカメラは全く連動しなかった。無理矢理にでもとりあえず撮ってみるが、やっぱり違う。
ものすごく焦った。私にまだZ9は早かったらしい。ふらふら歩いていると、白Tにジーンズの男が近づいてきた。
「お姉さん、それZ 9ですか??」
絶句した。こんな治安の悪い場所でこんな声のかけ方をされるのか。
「すごいっすね・・・」とカメラと私の顔をまじまじ眺めたあと、男は足早に去って行った。
戸惑いを隠せない。飲み屋と風俗とナンパ以外の声かけをされたのは初めてである。私物のカメラを持っている時に街で声をかけられたことなんてなかった。どうやらとんでもないものを手にしているらしい。私はこの日、難波でZ9を褒められるおそらく最初の学生となった。
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メンズポートレート
このところずっと、メンズポートレートばっかりやっている。
今年人生で初めて写真展を見に行くという経験をした。息をのむ写真も、綺麗な写真も、よく分からんが多分すごい写真もいっぱい見た。世の写真家の方はこだわりをもってシャッターを切っているのだと刺激を受けた。
その一方で、若い女性が女性というか女体というか、俗っぽい言い方をすればグレーな撮られ方をしている写真も多く見たのである。そういう写真を撮った経緯をご丁寧に解説してくれたのは9割方中年男性だった。
まだ「若い女の子を撮りたかった」とか「ちょっと官能的な写真に仕立て上げました」とか言ってくれた方が腑に落ちた。しかし中年男性たちは、「神秘的な世界観」とか「世の中のこういうものを表現したくて」とか喋る。グレー要素がまるまる抜け落ちて語られていた。そして興味深く観賞する私への彼らの第一声は決まって「モデルさんですか?」であった。
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思考。
この出来事からというもの、私は同じ世代の女の子を撮りにくくなった。そして男の子ばかりを撮るようになった。
Z 9に私の友達を紹介した。被写体をやってくれる私の友人や先輩や後輩。
Z 9に私の通う大学と、よく行く梅田を紹介した。
こんな高価なカメラを手にしても、撮る人も撮る場所も私はよく知っている。
人物を撮ることで何にシャッターを向けるかという迷いはある程度消えた。
とはいえやっぱり納得のいく写真を撮るのは難しい。誰だよ、すごい写真が簡単に撮れるとか言った奴は。
ただシャッターを切る中で、なんとなく思うことがあった。
中年男性たちが若い女性を撮るのは、彼らにとって非日常な体験であるからではないか。若い女性を撮ることで「神秘」を表現しようとするのは、まさにその現れではないか。日常を求めるZ世代とは違うのではないか。
Z 9を手にして、私が撮ったのはやっぱり「私の日常」である。周りの人たちと、いつもの風景。そこに神秘も世界感もまるでない。
私の日常も、私個人の日常というよりも、2002年生まれの私の日常である。
あの中年男性たちと私は、個人とか個性とか、そういうことではない何かがあるのだと思う。
現時点の私の思考はここまで。
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Writer
Aina
関西大学社会学部3回生
既視感からの脱却をテーマに日々シャッターを切る。
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