吐
自分は何者なのか日々考える
起きたらまず、Twitterのタイムラインを見る
寝る前から特に変わったことが起きていないことを
両目0.1以下の視力で見える範囲で確認して
重だるい体で寝返りを打つ。目を瞑る。
今は何時なんだろう。
1日を無駄にしてしまったかもしれない。
携帯を手探りで探し、画面を見ると12:04
1次起床から2時間も経ったのか
ああ、今日は何をしよう。
カーテンの下から差し込む光の具合で
今日は晴れらしいとわかる。
相変わらず体は重いけれど
ここで起きなければ罪悪感に支配された1日になってしまうとの強迫観念から
活動を始めることにする。
自分は何者なのか日々考える。
起きてから寝るまで考える。
就職活動に失敗したあの頃よりも
大学受験に失敗したあの頃よりも
ずっと前から考えている。
「俺は〇〇大学に絶対合格するんだとオリオン座によく願ったものです。」
その国語の教師にとって、三浪の末に有名大学へ合格したオリオン座の話は
鉄板ネタだった。
毎年、受け持ったクラスの生徒へ
最後の授業の終わりにこの話を話す。
志望校に合格した生徒から
「あの時、先生のオリオン座の話を聞いて試験頑張れました」
と毎年言われるほど、この話は名作だ。
旅に出たことがない少女は
オリオン座の話を聞いてその隣に夢を描いた。
旅をしている未来の自分
今まで出会ったことがないようないろいろな人との出会い、
キラキラした場所で活躍する自分
毎晩、空気が澄んだ冬の夜空に想い、描いた。
大きく光るオリオン座に毎日願えば
自分は幸せになれるのだと信じて疑わなかった。
「合格」の文字を見ることなくすぎていった2月。
布団の中で顔をびしょびしょに濡らしながら
オリオン座を恨む、
国語の教師を恨む、
そんな自分をもっと嫌いになる。
自分は何者なのか日々考える。
「思い描いていた自分になれてすごいね」
中学生の頃から看護師を目指していた友人が国家試験に合格した。
友人の夢が叶った嬉しさと同時に、
同じ環境で育ったはずなのに
なんでこんなにも差が開いてしまったのか
あの子は看護師になれて、自分は何者にもなれなかった悔しさ。
才能は
綺麗で、儚くて、恐ろしい言葉。
才能がある、ない、ある、ない、ある、ない….
花占いのようなエゴの中で、
いつしか自分ではなくて、周りからの評価しか信じられなくなってしまっていた。
これは一種の病なのかもしれない。
夕飯はカレーだった。
新しいリュックを新調した。
今日は布団を干したから、あたたかい香りがする。
何者でもなくてもお腹は減るし、幸せにもなれる。
それでいいじゃないかと思う時もある。
でも、
でも、やっぱり、
私は、自分の才能を認められたい。