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まだ社会人という仮面を被っただけの、青くて不安定な僕ら

あれだけ「今か今か」と満開を待ち侘びていた桜も、いざ散ってしまえば、待ち侘びていたことが嘘だったかのように、僕らの頭の中から消えてしまう。

桜の花びらと希望をまとって歩いたあの日から、僕らはすっかり社会に揉まれてしまったらしい。

社会人1ヶ月目、想像以上に自分はできないヤツだと知った。
新しい環境、想像以上に自分は歓迎されていないと知った。
相変わらず、自分は何者にもなれないと知った。

あの日纏っていた桜の花びらも、希望も、たった数週間で十分すぎるほど踏み潰された。

下を向いて歩く帰り道、無秩序に広がる桜の花びらを見て自らを重ね合わせる。枯れる、散る、はみ出す、脱落する、自分の意思でしっかり立てない者はこうして吹き飛ばされる、これがこの世界の紛れもない秩序なのだ、と。

社会の厳しさとか社会に揉まれるとか、社会とは一体何なのだろうか。

「社会」なんてただの概念に振り回される自分が、何だか滑稽に思える。そういえば、僕らはいつも概念ばかりに固執し、概念ばかりに勝手に振り回されている。日々周りには実体のある何かがたくさんあるというのに。

きっと、こんな日々が、人生が、これからも続いていく。

ポジティブでもなければネガティブでもない、ただその言葉のまま頭の中をぐるぐると回っている。

「君たちはもう子どもじゃない。大人だ。」
「これからは消費者ではない。生産者だ。」

社会人の仮面を被ったただの・・・人間が、開口一番発した言葉を思い出す。

「くそったれ」と思っていた初日の勢いなんて今の自分にはとっくに残されていなくて、大人になんかなれそうもない、いつまでも消費者でいたい、ただそう思うことしかできない。


社会人1年目も1ヶ月目も、アラサーの始まりも、きっと30代や40代の始まりも、どこかまだ青くて、吹けば飛んでしまうくらい不安定だ。

自分が青いことに気付いていない、何者かになれるはずだと信じて止まない、数年後の自分がそんな今の自分を思い出したら、きっと許せないだろうな。

けれど、今の自分にしか分からない、今の自分だからこそ分かる感覚がある。それらは、数年後に振り返っても決して間違いにはならない。

「何かすごいことをやってやろう」

そうやって張り切ったり力んだりすることも、

「周りに合わせなきゃ」

他人と自分との間に線を引きたいのにそう思ってしまうことも、どれも決して間違いじゃない。

もがいてみれば良い、時には横着してみれば良い。

まだ“社会人という仮面”を被っただけの、青くて不安定な僕らなのだから。

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おがたのよはく
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