レスのワケ③50代のセカンドバージンから卒業記録
なぜ、ワタシがレスになったのかをお話ししておきたい。
恋愛に慎重なワタシもお付き合いした男性は何人かいた。
結婚したのは30歳過ぎてからだ。
夫とは付き合っている頃、結婚した頃はそれなりにカラダの関係はあった。仲は良い方だったと思う。
結婚して子どもを作るかどうかの話になって、、、
当時ワタシは仕事中心だった。妊娠出産はかなりのリスクだった。
(年下の夫より、年収は高かった。)
仕事を優先させたくて先延ばしにしていた。結婚したのが30歳過ぎていたが、まだ大丈夫だと思っていた。
大丈夫の根拠はなかった。むしろ長く月経困難症で辛い日々を送っていたので、不妊の原因にはなっていた。
月経前には気分が優れず、腹痛、頭痛がある。月経痛も酷く経血量も多かった。
学生時代は授業中に耐えられなくなり保健室で休むこともあった。
最初の頃は、通院しても
「成長過程だからそのうち改善するでしょう」と言われ経過観察となった。
鎮痛解熱剤が手放せなかった。
何年か経ち再度別の病院を受診したが、ピルを処方されただけだった。症状を軽減するだけで根本的な治療はなかった。
そのうち、鎮痛解熱剤も効かなくなり
痛みもさらに酷くなった。
また別の病院を受診するが、やはり鎮痛解熱剤を処方されるのだった。
子宮筋腫、子宮内膜炎で月経痛や経血量が多かったのだが、年齢を重ねるうち筋腫が肥大してきていた。
日常生活がままならず、痛みで眠ることも出来ず、吐き気もひどくなっていった。
仕事どころではなくなった。
一生懸命働いていた仕事だったが
退職することにした。
仕事がストレスとなり、筋腫が大きくなりそれに伴って月経困難症も重症化していた。もう少し前に気づいて対処すればよかったのかもしれないが、身体が悲鳴を上げる限界まで頑張ってしまったのだ。
それ以降もホルモン剤を使用したり、改善を試みた。妊娠出産すれば軽減するかもと言われ、不妊治療も受けようとしたが、夫が精子採取を拒んだため、自然妊娠を期待した。
独自に調べて食事療法を試したこともあった。
一向に改善が見られず、筋腫を切除する手術を受けた。
日常生活ができるように回復し、性生活にOKが出たが、ワタシはもういいやという気持ちだった。
手術をすれば痛みやもろもろ症状が改善されると思って期待したが、ワタシの場合あまり改善されなかった。
SEX以前にメンタルが落ち込んだ。
それでも夫に応じ、久しぶりにSEXしようとしたが、愛撫に優しさが感じられず、痛い。
痛いことを伝え、優しく扱って欲しいと言ったが、自分のペースで出来ないのが不満なのか、面倒なのか、そのうちしなくなった。
旅行に行ったり雰囲気作りをして誘っても応じては来なかった。
あんなに朝も昼も夜も月経中も求めて来て、ワタシが疲れていて拒んでもやろうとしたのに。
確かに夫は、ワタシの毎月辛いところを見ているので、そういう気分は失せたかも知れない。
それにしても拒まれるのは辛かった。
ワタシの留守中にアダルトビデオ(DVD)などを観ているのは知っていた。
アダルトビデオは観るのに、ワタシとはヤラナイのか?
オンナとして見ていないのだとその時感じた。
同居人、家事をする人というポジション。
悲しかった。
自分勝手な夫に嫌悪感も感じつつあった。
元々、SEXに気持ちよさや楽しさを感じていたわけではない。
どちらかと言うと
「付き合っているなら応じてやらなきゃいけない」と思っていた。
感じるているフリはできてもイクことはなかった。
スキンシップは好きだから、裸で触れ合うだけでも満足と思っていた。
男性経験も豊富ではないし、何がいいのかもわからないが、満足した感覚はかつて一度もなかった。
「キレイなカラダしているから、大事にしな」と言われたことがあったが、
当時のワタシには
それを素直に受け取れるだけの自己肯定感を持っておらず、何を意味しているのか理解できなかった。
そう言ってくれた彼とは付き合いが長く、気の迷いで結婚しようと思ったこともある。笑
一度別れてヨリを戻したり、浮気されたり散々だったが、彼の結婚式二次会には出席した。
周りからはイタイオンナに見えただろうが、どんな相手なのか知りたかったし、
「ありがとう」を伝えて未練を断ち切ろうと思った。
数年後、風のウワサで離婚したと聞いたときはざわついたし、今はどうしてるのかなとふと気になるときもあった。
そして、ワタシは男性への偏見があり
恋愛をこじらせていたのだ。