残念ながら精神と力が一致しきらなかった:『聖闘士星矢 The Beginning』感想
気がつけば上映終了がすぐだったので先日見に行ったツイートまとめ+追加感想。
内容にあまり深く触れてはいませんが、ネタバレの考慮はしていません。
評価
見る前
「どうせ東映の聖闘士星矢だし……」と微塵も期待していない。
見た後
レビュースコアは個人的評価です。
私は昔と同じキャラやキャストであることに重きを置いて見ないので、見る人によってかなり変わるとは思います。
よかった点
アクション
基本が格闘戦なのは聖闘士星矢らしくてよかったです。
特に東映アニメーションの聖闘士星矢は、殴り合いや拳の衝撃波より変な光線を飛ばし合うなんちゃって超能力バトルになることが多いので。
聖闘士星矢という作品の世界観を考慮した時に、ギリシアの聖域で修行する、または聖域で修行した聖闘士に修行をつけてもらうことが多いのに、カンフーアクションっぽいのはよいのか?という点は、そこまで気にし始めるとキリがないので今回はいいかなと。
ストーリー
聖闘士星矢のリブートってどうしても十二宮を本編として、そこまでを駆け足で済まそうとしがちですが、それをやってしまうと白銀聖闘士も黄金聖闘士もそう強く見えないんですよね。
最近の映画は単品で完結するものは少ないので、十二宮の前で一作品というのは悪くない判断に感じました。
とはいえ、天界編序奏やΩ等、尺があっても面白くない作品は面白くないのですが……。
まあ犠牲の理由がちょっとイマイチでしたが。
やろうとしたこと自体は悪くなかったなと。
次の項でも触れるますが、今回の聖闘士星矢のストーリーは、原作第1巻で魔鈴さんが言及した、「精神(気)と力を一致させる」という設定にお立脚していたように思いました。
「なぜバトルものでは勝てなかった相手に突然勝てるようになるのか」という命題に対して、主人公が精神的葛藤を乗り越えたことで精神と力が一致して聖衣が与える小宇宙が増大する、そして主人公が手を差し伸べたことで、過去の事件のから同じく精神と力が一致させれなくなっていたアテナも神として調和の取れた小宇宙を持つことができるようになる。
これは、女は殴れない→三下には容赦しない、という展開に使われるだけだった設定を上手く取り込んだ秀逸なストーリーラインではないでしょうか。
マリンさんの修行
中盤の見せ場ですね。
マリンさんの修行は単に再現度だけがポイントなのではなく。
アクション映画の定番としての中盤修行シーン
TVシリーズでもあった、原作では1ページで済まされる修行シーンの解像度を上げる
という点でも評価が高いですね。
そして、原作と違って正規の聖闘士ではない星矢がマリンさんの修行を受ける中で小宇宙とは何か、を教わる構成になっているのもよい。
この作品における小宇宙って、序盤は東映星矢おなじみのなんか科学でどうにかできる体内エネルギーでしかなくて、「おいおいまたドラゴンボールの気と混同してるよ東映さん……」って感じなんですよね。
それがマリンさんの指導によって、単なるエネルギーではない、ある種のビジョンを見せてくれるフォースのような存在であることが明かされていく。
そして原作でもあった、精神と力を一致させないと聖衣は力を発揮できない、という設定もここで明かされる。
そして同時に格闘の修行も受けることで、序盤から存在していた格闘と小宇宙、2つの要素がより明確な姿になって結合して、終盤の聖闘士の戦いへとステージが移行していく。
これもかなり秀逸に感じました。
聖衣の描写(デザイン面)
ネロ(フェニックス)が歩く際に、尾羽根が地面に擦れて音が鳴るのも雰囲気があってよかったですね。まるでシャドームーン……!!
悪い点
東映星矢な点
ストーリーとかめっちゃ頑張ってるのに、結局はいつもの東映の色々勘違いした聖闘士星矢像が混ざってきて、チープな感じが払拭し切れてないのが厳しかったですね。
マリンさん風に言うなら「最後に雑念が混じった」。
もちろん、時には原作要素を壊してでも新しい要素を入れていくことは長寿IPにとって大事なことではあるのですが。
東映星矢の場合、いつまでも失敗した作品のしょうもないアイディアをいつまでも引っ張ったり、TVシリーズのオリジナル要素を変な伝統として大事にしたり、面白い作品を作るために全力を尽くしている感じがしないんですよね。
アテナの髪の色も、現場でも意見が割れたのを女優も紫を支持した、とか美談ぽく扱ってるけど、そもそもがアニメ化にあたって原作から変更している髪の色を、さらに表現媒体が変わる時に同じ色に拘って見た目をダサくする意味ってあるのかなと。
役者さんには悪いですが、方向性を間違えている気がしましたね。
ダメージ描写
私服だけじゃなくて聖衣も全然破損しないんですよね。
これはCGアニメも一緒で、装着シーンも描かれないし、聖衣の破壊描写も2シリーズやって黄金聖闘士と戦っても今のところ一切破損なし。
それどころかCGアニメだと聖衣の装着シーンもなし。
だから本当に、首飾りから呼び出す金属質な衣装以上の意味がない、まさしくプリキュア聖闘士。
最大の敗因
そもそも、原作が完結した聖闘士星矢がもう一度盛り上がった流れは、ファンの間での盛り上がりを受けて聖闘士聖衣大系の復刻やハーデス十二宮編のOVA化があってなのに。
ずっとファンを幻滅させるような作品を作り続けて、なぜそれで企画として成功すると思っているのか、本当に理解に苦しみます。
もう少し色々ツイートしたけど、当たり障りのない範囲だとこの辺で。
CGアニメの脚本がおかしな原因
瞬が無意味に女性にされた、とかでなくストーリー面について。
CGアニメ(『Knights of the Zodiac』)は、基本は銀河戦争、白銀聖闘士、十二宮編と原作に近いストーリーラインを(不細工なコラージュながら)辿っているのに、銀河戦争の後が城戸光政と対立する悪の科学者(?)グラードが科学の力で作られた暗黒聖闘士(実質、鋼鉄聖闘士)と戦う謎展開なのです。
おまけに何の説明もなく一輝がグラードの仲間だったり星矢に負けたカシオスが科学暗黒聖闘士のプロタイプの装着者だったり、かと思えば一輝もカシオスも唐突に十二宮編で原作通りに助けに来てくてたり、本当に意味不明なストーリー。
どうやらここでも東映の大好きな手抜き流用が大幅に行われていたようです。
他にもCGアニメでは、「アテナが世界を滅ぼすという予言を受け、教皇が射手座以外の黄金聖闘士の支持を受けてアテナを弑そうとした」という設定があるので、これも実写映画の続きがあれば使うつもりの設定だったのでしょうね。
次の企画こそは、ちゃんとした作品であることを願います。■