ミロとカミュの関係:聖闘士星矢の原作解釈
『聖闘士星矢』の話をしよう。
昨年末からアニメがスタートした久織ちまき先生のスピンオフ『セインティア翔』では黄金聖闘士が信念ある戦士として描かれている。
多くのアニメやスピンオフが黄金聖闘士の“私”を描く傾向にあるのに対して、黄金聖闘士それぞれの信念を描き分けるのは作者の愛ある原作解釈の為せる技だろう。
そんな黄金聖闘士の原作解釈について長年気になっていることがある。
それは「ミロとカミュは親友だったのか」ということだ。
原作でミロとカミュの関係が描かれるのは十二宮編・天蠍宮の死闘においてだ。
ミロは氷河にカミュの思いを説く。氷河との問答を経たミロは、カミュに氷河が素晴らしい聖闘士であることを伝え、カミュはミロの評価に感謝する。
この縁が元で、後にミロは氷河の聖衣修復に血を提供する。
アニメやスピンオフではこのやりとりを以ってミロとカミュが親友であるとして扱われ、同人誌ではそれ以上の関係として描かれる。
本当にそうなのだろうか?
原作を通して、ミロという人物は情に厚い男として描かれている。同時にアテナ軍の最高の戦士である黄金聖闘士の一員でもある。
彼は情と戦士の評価をもって氷河とカミュに語りかけた。そこに“親友”という一種の贔屓目が介在する余地はあるのだろうか?
私は、ミロという男は氷河が誰の弟子でも同じように接すると推測するし、それがミロの素晴らしさだと思う。
勿論、自分の原作解釈を他人に押し付けるつもりはない。
友情は素晴らしい。それは聖闘士星矢を読めば自明の理だ。
同じくらい、成熟した戦士の関係も素晴らしい。男の関係は友情だけではない。
『セインティア翔』で描かれる戦士像を見て、私は久々にミロとカミュの関係に疑問を呈したくなったのだ。