独学研究のススメ(自分が好きなことを緒調べよう)
・自分が本当に好きな範囲から探す。
・Wikipediaや一般書籍の記載だけでは解決できない程度の負荷と調べごたえがある。
・どんなにくだらない事でもいい。興味本位がある事を設定する。
「自分が本当に好きな範囲から探す。」「どんなにくだらない事でもいい。興味本位がある事を設定する。」は似たような事になりますが、「自分の好きなことをドンドン調べていく」こそが、独学研究の肝になると思います。
独学研究の世界は限りなく自由です。何調べても文句を言われる事はありません。
殺人事件を調べようが、特殊犯罪を調べようが、AVの面白タイトルを調べようが、怖い失踪事件を調べようが、法に触れない限り(裏を返せば自己満足・自己責任の範囲で)ならば、何を調べても構わないのです。
実際、私の知る範囲でも、
「明治時代の菊人形の天覧の調査」
「関西の絵葉書・手紙の調査」
「戦前の怪奇事件・猟奇事件の調査」
と、なかなかにマニアックな調査をやって成果を上げている人はおります。中にはその道で相応の連載や人気を獲得している人もいます。
無論、いまでこそこの人たちは広い研究領域を以て色々とやってますが、当初の目標や関心は本当に狭いところにあったかと思います。
「昔読んだ雑誌に気になる記載があって以来、それが頭から離れないので調べるようになった」
という程度のスタートで今を築いた人もいるくらいです。
狭い領域からのスタートは何も恥ずかしい事ではありません。どれだけくだらない動機でも、一向にかまいません。
独学の入り口は「大道無門」、その理由ややり口は皆平等であり、高尚な要因も学歴もいりません。あれこれ御託を並べるよりも最終的な出来上がりを御覧じろ、というべきでしょうか。
どんなテーマだって構いません。何度も繰りかえしますが、本当にこれにつきます。本当に好きなテーマを選びましょう。
文学が好きなら本当に好きな作家を選びましょう。画家でも芸人でも同じです。
「永井荷風が生涯一番通った料理店はどこか」
「夏目漱石が寄席に行った記録と、その時の出演者を照らし合わせたい」
「地元で活躍した○○という画家を調べたい」
「自分の先祖だという○○を調べたい」
こんなのでも結構ですし、
「戦前における自殺の方法は何が多いのか(首吊りか、服毒か、飛び降りか)」
「石川啄木が生涯で何回女遊びをしているか」
こんなのだっていいわけです。
歴史的背景を調べるなら、なるたけ時代を絞りましょう。
「昭和八年の文学界の動向」
「太平洋戦争中四年間の寄席の動向」
これが終ったら「昭和七年」「昭和九年」とちょっとずつ広げていけばよいのです。
また、調べていく段階で生まれた謎をしらみつぶしにしていくのも手です。
そのテーマに優劣はありません。時折付ける人はいますが、「ああ、マウントとりたがるバカなんだな」と一笑してやればいいのです。
人に話せない内容なら自分一人で楽しんでいればいいのです。犯罪や自殺の研究など、流石に実践をされると困りますが、それを調べる分には全く問題はありません。
私個人も最初は本当に簡単な処から独学をスタートしています。
「筆者の同郷である東喜代駒という漫才師を知りたかった」。
たったこれだけの理由のために当時生きていた弟子や、遺族に連絡を取り、多くの文献をあさり始めたのです。その結果、東喜代駒を調べる上では東京漫才や漫才師、演芸を知らなくてはいけないようになり、調べて調べて調べた結果――いまがあるのです。
手前みそになりますが、最初は全く分からなかった生没年からお墓、彼の出していた資料の大半を手に入れたと思うと、「ここまでよく来たものだ」と感じ入る次第です。
その程度の目標や志から研究をはじめても、なにも恥ずかしい事はありません。恥じたり後悔するようなら、やらないことをお勧めします。
そして独学研究は、「Wikipediaや一般書籍の記載だけでは解決できない程度の負荷と調べごたえがある」モノを選びましょう。
「あ、ちょっと気になった」という感覚は大切ですが、「Wikipediaを見たらわかった気になった」では、独学研究には至りません。本来、知識の残骸を寄せ集めているのに過ぎないのですが、それに気づく事がナカナカないのが欠点です。
本当に調べる気があるならば、「ちょっと探しただけではわからない負荷」をかけるべきです。
無論、余りにも謎過ぎる事をいきなり手をつけると迷宮入りしかねないので、難易度の高すぎる謎をいきなり設定するのも勧めません。
故に、「本当に好きな事やテーマ」に焦点を当てて、「ちょっとした事ではわからない負荷のある領域」まで持って行くのが、単なる物識りや知識収集を「独学研究」へと昇華する第一歩ではないか――そう思うのです。
こういうと世の研究者に張り倒されるかもしれませんが、研究の根源などみんな一人よがり、己の知的好奇心を満たすために生まれる事が多く、「この研究をして世界を救ってやる」などといった大乗的思想から研究に乗り出す人などは、まあいないとみてもいいでしょう。
いまテレビやSNSで威張り腐っている研究者も、ノーベル賞や文化勲章受章者も元を辿れば「ある楽しいこと、ある興味深いことを原点に研究をはじめ、その研究を完成させた、成功させた」(無論、インフルエンサーや文化人の中には嘘つき研究者もいるのですが)にすぎないわけです。
何も肩ひじを張って、「自分は独学研究をやらねばならない」と自己暗示をかけて、己を律する必要はないのです。趣味に漫画やテレビを見たり、身体を動かしたり、酒を飲んだりするその感覚で、「今日は気分がいいから少しやろう」とコツコツ積み上げていけばいいのです。
「三歩進んで二歩下がる」とは昔の流行歌の一節ですが、これでいいのです。独学研究は何も急激な進展や変化を迎える事は余りないからです。
それよりも「これを調べてみたい」という情熱をいつまでも持って、コツコツと積み上げていける方がよほど偉い。その地道な一歩一歩がいずれ貴方を誰も見ぬ得も言われぬ絶景へと連れて行ってくれるのではないでしょうか。