独学研究のススメ(序章・独学研究やってみない?)
「何か一つ詳しく調査したいんだけど手がかりが持てない!」
「そもそも何を調べたらいいのかわからない!」
研究をしたいけど出来ない――そうした踏ん切りがつかない一番の背景は、多分これだと思います。
これはレポート作成とか、課題とかにも通じる話でしょう。「ある程度の概念や目標は出来ているんだけど、その先に進めない」。一応の所までは行けたんだけど、その先は五里霧中で後にも先にも進めない――そんな状況をよく見かけます。
それ故にいい加減なものをまとめてしまって後悔する、研究そのものをあきらめてしまう、「独学ってのは難しい」とあらぬ誤解を抱いてしまう。
でも、それは余りにももったいなくはありゃしませんか。
せっかく抱いた疑問の芽を「わからない」だけで摘んでしまうのは、実は大きな損失です。あなたがその研究や独学を行う事で、変わる世界はあるのかもしれません。あなたのおかげで未来に残る資料や研究があるのかもしれません。
「学歴がなければ独学研究ってできないのでは?」
「そもそもコネもやり方もない」
「難しい資料や何やらを読み込まねばならない」
確かにそれは一理あります。学問によっては個人の力ではどうにもできないものもありますし、一人でやるには限界というものもあります(天文学などはいい例でしょう)。また、学閥にはコネとか面倒臭いしきたりもあります。
しかし、それがすべてではありません。独学研究はもっと身近で、面白く、誰でもやれるものです。
この連載は、そんな「独学研究」の手助けになれば――という形で記していくものです。病身でロクな大学も出ていない筆者が、サイトを運営し、研究書を出し、査読論文まで通った経験を元に、ドンドンとその手法を記していきます。
そのプロセスや経験は、決して難しいものではありません。病身の筆者でも出来るレベルです。「何か知りたい」という熱意、学問や調査への興味関心、そして少しの根性があれば、誰でもできます。
別に研究や独学に期限はなく、しかもタイムリミットは殆どないのですから(あるとすれば自らの死でしょう)、いつでもどこでも出来ます。疲れたら休んで距離をおいても、片手間に行っても何の問題もありません。雨だれが石を穿つように、コツコツと積み上げていくところに、「独学研究」の面白さがあるといっても過言ではないでしょう。
学問の面白さを身に着け、「目当ての資料が見つかった」「長年の謎が解けた」時に生まれる脳汁ビシャビシャ、さながらふなっしーの如くにあふれ出る脳汁ガンギマリの快感、愉悦、喜びは、義務的に行った学問や調査ではなかなか得られぬものです。
この快感、面白さはなかなか口では言い表せません。禅の公案のようですが、自分で悟ってもらうより他は無いでしょう。しかし、一度でも体験すれば、独学研究の面白さにはまって、ドンドンと新しい道や領域を広げていくことができます。
独学研究はいいことだらけです。
「色々読んだり考えるから頭がよくなる」
「様々な意見や書籍に触れて多面的な考えを持てるようになる」
「一生涯の趣味として付き合っていくことができる」
「変な学問やまやかしに騙されにくなる」
「ある趣味を通じて色々なユーザーさんと繋がることができる」
さらには――
「話の種として会話や趣味を広げることができる。サイトや書籍にして金儲けのチャンスもできる」
「上手く認められればメディアや有名人からの御声掛けもある」
……そのすべてを保証するわけではありませんが、大なり小なり得る事が出来るでしょう。
デメリットをあげるとすれば「研究に凝り過ぎて運動不足になりかける」「資料を求める金で色々と苦しむ」といった所でしょうか。
ただ、ある程度自制をしていれば、この二つは別におそるるに足りない事象です。この「節約術」に関してはまた後々に触れる事にします。
なお、先に一つだけ注意を申し上げておきます。
ここで語るプロセスや思考は、文系的なモノ――資料や文献を元に論拠を築き上げていくモノです。難しい数式や独自の実験を行って証明の可否を実証する理系的な学問とはちょっと違いますのでご了承ください。
数学や観察系の学問は兎も角、物理学や天文学など、すさまじい設備や人数がいる学問は、独学研究ではどうにもならない所があります。こればかりは本気で勉強して大学へ行ったり、学会へ認められるより他は無いでしょう。
ここでの「独学研究」は、あくまでも人生の友人、一生涯の趣味、自分の知的好奇心を満たすためのプロセスであります。
次回より研究のプロセスについて説明してみましょう。
執筆者は演芸研究を中心にやっております。
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