偏愛的浪曲レコード入門 序
はじめに
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日文研こと国際日本文化研究センターが「浪曲SPレコードデジタルアーカイブ」を出して、1年ほどになります。
日に日に音源や資料が追加され、厚みを増しているのは言うまでもないですね。1年の間に随分と音源も増えて、楽しめる要素も2倍となりにけり。
しかし、数が多いという事はそれだけ選択肢が広がって選びづらくなるという事。ましてや浪曲は、一人一人芸域が違う上に、節も語りも十人十色。落語や講談以上に選びづらいという側面を持っています。
特に三味線音楽という要素を持っている分、如何に名作を読ませても節が合わなければ退屈極まりない代物となり、逆に節と嗜好がぴったり合えば、如何なる愚作でも、愛聴できる代物となる――そこが浪曲の不思議であり、魅力と言えるでしょう。
そこで、浪曲大好きで、かつては浪曲師になり損ねた酔客が、独断と偏愛で「何を聞くべきか」というお薦めやお話を、「浪曲レコード入門」として、
当然、偏愛と独断で決めてあるので、必ずしも読者諸君の趣味趣向に合うか、は判りません。「おすすめの割に面白くなかった」と思うかもしれませんが、それは人間の性——「蓼食う虫も好き好き」なので仕方ありません。
筆者としても、芸の押し売りをする気はないです。某劇評家の如く「これが判らないなら聞くのを辞めろ」なんてはいいません。そんな事すれば、折角のユーザーも離れてしまいます。
いわば、この記事は、視聴のヒントや演者の発見を促すための「促成剤」「ヒント集」と思っていただければ、幸いです。
少しでもピンッと心に響くものがあれば、その演者・演目でさらなる検索を頂いて、もっと高みの世界へ――あわよくば浪曲ファンになってもらえば、これ以上の幸せはありません。
紹介の前に
さて、浪曲入門というと、やれ「雲右衛門」だの「廣澤虎造」だの「寿々木米若」だの「三門博」だの「春日井梅鶯」という芸人が出てきます。
確かに浪曲の改革や爆発的人気を生み出した傑物たち。彼らがまず第一に紹介されるのは無理もない話です。
しかし、そんな彼らの芸が万民や初心者に受けるかというと甚だ疑問でしかありません。
虎造や三門博は兎も角(特に三門博の『唄入り観音経』の面白さと普遍さは、筆者もおススメしますが)、雲右衛門や米若や梅鶯なんかはクセが強く、これを初心者に聞かせて味わせようとは無理のある話です。
日本食をはじめて食べる外国人に納豆やホヤを食わせる所業です。これで「味わい深さを知れ」と言っても、嫌がるだけです。
更に嫌味を言うと、彼らの芸を聞きたければ、図書館やネットショップで置かれている音源の方が余程よくできています。音質的にも、内容的にも。
また、これは愚痴半分ですが、入門で出てくる浪曲師の多くは利権が切れて居らう、日文研では公開されていません。
雲右衛門と虎造は、死後数十年経っているので何とか聞けますが、それ以外は殆ど無理です。諦めてCDを借りるなり、買うなりしましょう。
なるほど、日文研のアーカイブに置かれているのは戦前派、或いはマイナー勢ばかりです。しかし、そんな彼らの芸が、浪曲史で燦然と輝く名人たちに劣るか、といえばそんな事はありません。
思わぬ拾い物、というと贔屓にぶん殴られるかもしれませんが、下手に高尚な「名人様」の芸や演題よりも、よほど面白く、楽しく聞かせてくれるものが多いです。
そういった「面白い拾い物」を中心に、紹介していきます。マイナー極まりないといえばそれまでですが、しかし、マイナーにこそ面白みがある事例も多々あります。そんな所を攻めていく事にします。
なお、文中に何度も「関東節」「関西節」「中京節」という概念が出てきますが、これは「江戸落語」「上方落語」の如く、演出や節まわしの違いを表したものです。
そのやり方には諸処あるのですが、その全て説明しようとすると、音域論から三味線論までを駆使した音楽理論となりかねない――下手するとこれだけで日が暮れてしまうので、大まかに、
関東節……三味線の音域は高い。節まわしも多くは甲高い音域を駆使する。テンポも啖呵も歯切れがよく、江戸好みな感じに仕上がっている。
関西節……三味線の音域は低い。節まわしは低音で、低調である事が多い。義太夫の如き深い重みがあり、一見すると重苦しいイメージがあるが、侠客物にも滑稽物にも生かせるだけの柔軟さを持っている。
中京節……上の二つのハーフのような節廻し。いいとこどりといえよう。ただ、はっきりとした区分をしようとするとなかなか困る。
とだけ理解いただければ、後は感覚や聞き比べで徐々に理解できるかと思います。
そんな形で、まずは「これは聞いてみて」という「愛聴篇」を紹介していこうと思います。
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