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アルナチャラ 破壊の神様シヴァ神に呼ばれたお話
インドに呼ばれて早10年。
インドになんか二度と行くか。そんなタイトルの本があったように、インドに行った人はインドが大好きになるか大嫌いになるか。どちらかのインド
私は大嫌いになったはずだった。そのはずが、インドに呼ばれ続け、ヨガの先生になり、こうしてせっせと毎年インドに通っている
今年もいつものよういくことになったインド、しかしいつもと違ったのは最近は北インドばかりになっていた私が5年ぶりに南インドに呼ばれたこと
南インドに行くことを知り合いに告げると、ラマナアシュラムにはいかないの?と聞かれた。かの有名な聖者の1人、ラマナマハリシが開いたアシュラム(道場)だ
アルナチャラと呼ばれるシヴァ神のご神体でもある岩山のふもとにあるアシュラムは、16歳で覚醒して悟りを開いた、聖者ラマナマハリシが瞑想修行し続けた洞窟が今も残っていて、世界中からたくさんの人たちが訪れる
私も5年前に1度、滞在をさせていただき、2つの洞窟で瞑想をさせてもらった。そして、800M のアルナチャラに上るというチャレンジもしつつ、恐怖で半分までの登頂でリタイヤした過去がある。そんなことを思い出して、知り合いの言葉に導かれるようにラマナアシュラムに行くことが決定した。これが私の破壊の神様シヴァ神に呼ばれたお話の始まり
No 登ってはいけない
インドの旅はスムーズに進み、北インドデリーから南インドチェンナイに飛行機で飛び、そこからバスで2回目の滞在となるラマナアシュラムに着いた。私に許されたのは3日の滞在。その中のどこかでアルナチャラを登頂できたらと考えていた
1日目にアシュラムのオフィスに滞在許可をもらったときに、アルナチャラ登山について聞いてみた。
NO
それがアシュラムの答え。もちろん登山許可なんてないのだけど、滞在者が行方不明、もしくはケガをしたらアシュラムの責任になるから仕方がない。
「登っても何もないよ」そう言われても、「それでも登りたい。」前回のリベンジが、私の中にはそんな想いがあった。
1日目 サルに襲われる
シヴァ神に呼ばれてアルナチャラに来た気がしたのだけれど、登頂はできないのか思いつつ、1日目は洞窟にて瞑想。洞窟に向かう途中にサルの軍団に出くわす。サルたちはたいてい、観光客や弱そうな人、女性を狙って持っているバックから何かを取ろうとする。人の弱さや恐怖心をしっかり見抜いてる。
そんな私の恐怖心を見抜いたサルがいきなり私のカバンに飛びついてきた。
「ヘルプミー」
咄嗟に出た叫びに助けてくれたのは、後からわかったのだけれど長くからラマナアシュラムに通っている日本人女性でした。英語で、数日前にも日本人の女性が襲われて、病院に運ばれて5回も注射を打った話を教えてくれました。
幸い私は彼女のおかげでケガもなくサルを追い払うことができました
2日目 せっかくの登頂の機会を逃す
1日目に洞窟に向かう途中に、何回もアルナチャラを訪れていそうな人に確認すると、登山は可能とのことを教えてもらっていた私。ただ、だれもが日が昇る10時前には登るように勧めてくれた。かなり日中は熱くなるようだ。そして必ず誰かと一緒に登るように勧められた。
そんな話を聞いた2日目、アシュラムにある瞑想ホールに朝6時に向かうと、ぞろぞろとアルナチャラに向かうグループを見つける。一緒について行ってみるとスペインから来た彼らは6時からアルナチャラ登頂を目指すという。
「誰かと一緒に朝早くに登るといい」
昨日そんなアドバイスをもらったものの、なぜか私の妙な良心がアシュラムの許可を得ていないからという考えにとどまり、スペイングループのせっかくの誘いを断ってしまった
3日目 最終日の決断
破壊の神様と関わり深いアルナチャラにいれるのもあと1日。
そんな滞在が最後の日になっても私の決意は変わらず、断りなしに山頂を目指せず、朝、洞窟が開く時間を目指して、瞑想をしに行った。
本当に破壊の神様は私を呼んでいたのか?
1日目の猿に襲われて以来、2日目以降ははだしで、しかも貴重品以外は何も持たないスタイルでアルナチャラに入る。
いつものように、2時間瞑想をした後、そのままアシュラムに戻るはずだった私。しかし3日目はなぜか、「山頂を目指さなきゃ」そんな想いに心が轢かれた
やっぱり破壊の神様は私を呼んでいる
南インドに呼ばれた理由はアルナチャラ山頂に行くための気がしてならなかった。瞑想の後はその気持ちが強くなっていた
シヴァ神からのギフト1
裸足で、水も持たずに洞窟に向かった私、アシュラムの許可がおりていない、さらに10時前に登らなきゃならない。「一人で登らないように」そんなアドバイスまでも無視しても、なぜかアルナチャラ登頂に向かうように言われたようにしてならなかった。
やっぱり破壊の神様に呼ばれている
とにかく上を目指す。すれ違った人に、登頂までの時間を聞く、何人ぐらい人がいるか確認する。それを繰り返した。
たった1人取り残されなければぜったいに平気。岩山を登りながら、遠くなっていく街の景色を眺めながら、熱くなる岩を裸足で感じながらひたすら上を目指す。不思議と恐怖はなかった。
「人生そのもの」
ゴールに向かってとにかく1歩踏み出すことしかできない。怖がって立ち止まって、終わりになんてできない。とにかくシヴァ神が私を呼んでいた。
そんな作業をどのくらい繰り返したのだろう。下山する人にすれ違いながら
おりてきたカップルが私が10時過ぎに、裸足で登っていることに驚きながらすれ違った。水すら持たない私に、オーストラリアから来た彼は自分の持っていた水を差しだした。
とってもおいしい水だった
そのあとのことを心配してくれた彼は、彼女に空のボトルを持ってないか確認してそのボトルいっぱいに水を入れてくれた。
「登り切らなきゃ」そう思った
破壊の神様からのギフトを手にした私は、あとどれくらいあるかわからない登頂を目指し、また1歩を踏み出した。
登頂から見えたもの
頂いたギフトであるお水の入ったボトルを手にして、じりじりと熱くなる岩を裸足で進みながら、途中、日陰で小さく見える街並みを見下ろし、心地の良い風を感じた。最高の気分だった。
すれ違う数人の人たちに激励を受けながら、あと10分、あと5分が裸足の私には30分以上かかったのではないかと思いながらも、ついに山頂にたどり着いた。
山頂について目にしたのは。。。わずか20畳ほど。さらには何かを燃やしたのか、太陽の熱でか岩山は真っ黒に焼けていてとても裸足では上がれそうにないほど。それでも私はゆっくりゆっくり山頂で自分の立てるスペースを見つけた。
本当になにもない。。
正直そう思った。あんなに必死に登ってきた道が嘘のように、登頂部には私以外に2人しか人はいなくて、まったく何もなかった。裸足の私には足元が熱すぎて、ゆっくり景色を眺める場所もない。
小さな岩の上にシヴァ神とシヴァ神の奥さんパールヴァティーを形どった像があり、そこまで何とか行き目を閉じた。
祈り
不思議とその瞬間だけは足の裏の熱さも痛みも感じなかった。
登りつめたら降りなきゃならない
まだ、2人登頂部に人がいるのを確認したものの、時計も持っていなかった私は、つかの間の山頂での至福を味わい、下山することにした。足の裏が疲れと熱さと安心でヒリヒリしてきて、小さな小石が足の裏に当たるだけで、飛び上がるほど痛かった。何より日が照って岩山が焼石のように熱くて辛い。
登りで5分が15分かかっていたのならその倍がかかりそうなほど、私は身動きが取れなかった。それでも、登ったからには降りなければならない。そして、登山ゲートが閉じるのは午後4時。さらに私以外には山頂にいた2人のみ。彼らが下山してしまう前に、私も降りなきゃいけない。1人残されたらどうしよう。そんな不安が登っている時よりも浮かんできた。
シヴァ神からのギフト2
足の裏がヒリヒリして歩けなくなった私は、お尻を下ろして、手を使いずりずりと体を動かしながら1歩でも前に進もうとしていた。そんな風にしていたら後ろから、さっきまで登頂にいた2人が下山してきた。
「裸足だから熱くて降りれないの」一応、アピールをして彼らを先に進ませようとした。
そうしたら、2人のうちの1人、女性が自分の持っていた靴下をサッと私に差し出した。
「ギフトよ、返さなくていいからね」
思いがけないギフトがまたこうして与えられるんだ。そう実感した。早速靴下をはいて一歩足を踏み出してみる。「痛くない」嘘のようだがわずか数ミリの靴下の熱さが私の足の裏を守ってくれてる。
この靴下のおかげで、私は先に降りた2人を追いかけながらゆっくりゆっくり、第1のギフトの水を飲みながら無事に下山を再開した。
シヴァ神からのギフト3
靴下をはいた私は、また小さな1歩を歩みだす力を手に入れて、自分のペースで下山を続けた。それでも、靴を履いているわけではないので、小さくなる先に降りた2人を眺めながら、心のどこかで不安と焦りを正直感じていた。
2人が見えなくなってどれくらいたっただろう、あとどれくらい時間は残されているのだろう、道はあっているのだろうか?
心がさまよいだしたとき、また新しいギフトを私は与えられた。
お尻をつきながら裸足で下山しているときにすれ違った、登頂までわずかだった人。まだ登っている最中かと思ったらすでに下山をしてきたのだ。
「君が裸足で心配だった」
山頂での時間もわずか、彼は気にかけて私の下山を見守りに来てくれたのた。
「ありがとう、でも靴下のギフトをもらったから大丈夫」強がりだったのか咄嗟にそんな返事をしてしまった。
「OK」
彼も私より先に下山していく。せっかくのギフトを自ら手放してしまいそうになった。疲れや焦りからか心がまたさまよいだす。
「待って」
素直になれた。彼は止まってくれて、私が最後までちゃんと下山できるように一緒に降りてくれた
ギフトはちゃんと受け取ろう。いつも素直に生きようそう思った。
心配しなくても私たちは守られている
私たちは不安や恐怖を持って生まれてきている。
だからこそ、何かを準備して不安や恐怖から逃れようと必死になる。けれど本当はきっと大いなるものに守られていて、私がアルナチャラでもらった破壊の神様からのギフトのように必要な時に、必要な人やモノが用意されているんだろう。それに気づくか気づかないかは私たち次第。
そしてゴールを目指していた山頂での景色より、この険しくつらい道の途中で助けてくれた今まで会ったこともなかった違う国の人や、その道の途中で見えた景色、風、匂い、聞こえた音のほうが私の心にはぐっとしみ込んでたように山頂はそれを体験するためのすべてであって、人生のこの1つ1つの体験が私にとって大きなギフトなんだなぁと思いました。
シヴァ神のご神体であるアルナチャラを裸足で登頂すると今までの悪い行い【因果】が帳消しにされる。
インドではそんな言い伝えがある。私の過去の悪い行いがどこまで消されたかは全く不明だけど、今必死に向かっているゴールも、その中で助けてくれる家族や仲間や、思いがけないギフトがゴールに到着するよりもかけがえのないものであり、どんなに苦しくても1歩1歩、今できることを感謝して行っていこうと思いました。
今の道の中で支えてくれる人たち、出会ってくれてる人たち、私を助けてくれる人、見えないギフト、守ってくれている大いなる存在に感謝を込めて
ありがとう
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