“ヨーガ”サンスクリット語の2つの意味と人生における真の幸せ
YOGAの語源はサンスクリット語で「yuj」日本語だとユジュやユジと表記されますが、カタカナでは正確には表現されない音です。
yuj+erでyogaとなり、ヨガをする人となったそうです。サンスクリット語は音の長さがきまっているので、「O」の発音は2拍のばすため、本来はヨーガと発音します。日本語では「ヨガ」とのばさないのが主流となっていますね。
YOGAの意味は
①つなく、結ぶ。
②ニローダ。
②ニローダとは日本語の単語でピッタリくるものがないのですが、ロディオの馬をうまく乗りこなすように、あちらこちらに動き回る心に振り回されることなく付き合っていける状態のことをいいます。
私の先生曰く、ニローダの日本語訳に「死滅する」「制御する」というものがありますが、その解釈だとYOGAの意味としてマッチしていないそうです。心は無くならないし、常に動きまわる感情はコントロールしようとしても上手くいかない、じっと見つめていく必要があるものとだとおっしゃっていました。
①つなぐ、結ぶは、離れている(と思っている)真実とつないでいくことです。
バガヴァット・ギータにYOGAという言葉が出てきます。
そこには、私たちは真実と一つにつながるための準備が必要であり、その準備とは自分の内側である心をクリーニングすることである。(アンタッカラナシュディ)
そのためにヨガをするとあります。
心の中に疑いや怒りがあると真実を受け入れることが難しいので、ヨガで心の準備をするのです。心は見えないから扱いが難しいので、呼吸をつかったり、瞑想をしながら研ぎ澄ましていきます。
バガヴァット・ギータには「真の幸せと自由」が人生のゴールであり、そこへ向かっていくためにヨガを行い、心、体、感覚器官を整えるとしています。
ヨガといっても、色々なものがあり、カルマ・ヨーガ(善行為)、ウパーサナ・ヨーガ(瞑想)、ニャーナ・ヨガ(知識の探求)など様々な実践を繰り返し心を修めていきます。私たちになじみのある体を動かしてポーズをとるヨガは、瞑想するときに正しい姿勢で安定して座っていられるようにするためのウォーミングアップのようなものです。
体を動かすヨガのレッスンをすると、体や頭がスッキリして、姿勢がよくなります。
ヨガレッスンをするなかで、私は自分の感情がいかに揺れ動いているかに気がつくようになりました。いままで自分だと思っていた感情というものは、実は意識的な自分とは別に、出てきては消え、また出てくる、とらえどころのないものだと分かりました。
これまでは真実とつながるという意識はなく、運動の一つとしてヨガをしてきましたが、「真の幸せと自由」というゴールに向う手段としてヨガを楽しみたいと思います。
みなさまにも幸せがおとずれますように。
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