私のヨガヒストリー#2 (アシュタンガヨガ)
「私のヨガヒストリー(前半)」という投稿をしてから、はや1年以上が経ちました。
https://note.com/yogariver/n/nfa3194e3b98b
この記事の続きが書けなかったのは、後半でまとめられる気がしなかったから。そこで、前の記事を「私のヨガヒストリー(前半)」改め「私のヨガヒストリー #1」として、これから 「#2」 以降を書いていこうと思います。
このことを決められて、すっきりしました。
アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ
他の流派のヨガをしている人は「ヨガを練習する」とは言わないそうですが、アシュタンギ・アシュタンギーニはみんな何の迷いもなく「練習」という言葉を使います。
そして、アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガは基本的に、新月・満月・女性は月経時以外、ほぼ週5-6回、朝食前に練習するのが基本です。
「10年続けて初心者」と言われるアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ。
私は10年続けても週5-6回も練習してこなかったので、初心者の「しょ」にもなっていません。
でもアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガや出会った先生方にはたくさんのことを教えてもらい、これまでとても支えてもらいました。
はじめてのアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ
神保町マイソールクラス
私の初めてのアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ体験は東北大震災の前年か前々年だったから確か2009年か2010年のことです。
参加したのはマイソールクラス。
マイソールクラスってどんなクラスかわからなかったけれど、インターネットには「初心者からOK」と書いてあるので行ってみるか!と思って門を叩きました。
何か、中は日本じゃないみたい。インドっぽい?
更衣室もなんかシンプルでワイルド。
先生に挨拶し、アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガをするのは全く始めてだというと、練習が進んでいる生徒さんを紹介していただき、「この子に教えてもらって」と言われました。
他の生徒さんたちはおのおの練習をしていました。
ついていくだけで必死
練習は太陽礼拝AとBからスタート。
教えてくれる生徒さんは親切な方でした。
でもポーズは止まることなく延々と続く。
何がどうなってるか、手足の状態がどうなってるかわからないような複雑なポーズも。
とにかく必死に、見様見真似でついていきました。
その後、汗だくになって1時間半ぶっ続けで動き続けました。
本当についていくのがやっと。
いつまで続くんだろう?甘かった・・と思いました。
でも途中でやめてはいけないような気がしていました。
ふと見ると周りの人たちは頭立ちのポーズなどを始めていました。
初めてみる光景で圧倒されました。
こんな世界があったとは・・。
でも何故かとても惹かれました。
後から考えると、初めてのアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガでフルプライマリーを練習したというのは、何も知らないからこそできた、すごいチャレンジだったなあと。
最後までついていっただけでも、自分はよくやったなーと思います。
この日の体験のおかげでアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガってこういうものだということが知れました。
でも、(おとなしく)ここからはビギナーズクラスから受けていこう…と決めました。
”みんな幸せになるために生まれた”
確か2012年の春頃だったと思いますが、私はIYCのカマフォード千恵子先生のビギナークラスをたびたび受けていました。
千恵子先生自身が笑顔が素敵な女性で、クラスは優しくて不思議とパワフル。先生のクラスがとても好きでした。
ある日、先生が都内の他の古民家的なスタジオで行われたワークショップに参加しました。
気合を入れて一番前の列を選びました。
いつもと違う場所で受けるクラスは新鮮で、気分もいつもと違っていました。でもちょっと緊張もしていました。
ハートに届く
そのクラスの最後の中で、先生がとても小さな声でつぶやくように
「みんな幸せになるために生まれたんだから、幸せにならなきゃ」
とおっしゃったのが耳に入ってきました。
それを聞いた時、涙がとめどなく溢れてきました。
アーサナをしながら止められなくて困るくらい。
こんなことは生まれて初めてでした。
私の心の中には、
ああ、そうだった…
これまでそんなことを誰かに言ってもらったことはなかったし、
そんなことを基準にして人生の選択をしたことはなかったな…
でも本当に大切なことはそうだったんだ…
先生は幸せを基準にして色々な選択をしてきたのかな..
ヨガってもしかしたら幸せになるためのものなのかな..
と色々な思いが湧いてきて、
次第に私の中に「確かにそうだ」と何か確信のようなものに変わって行きました。
それから、
私は今幸せだろうか?
私は自分が幸せになるための選択をしてきたのだろうか?
でも自分が幸せになることを選ぶことはわがままなんじゃないか?
だからって本当にこのままでいいんだろうか?
この選択をすることは幸せにつながるだろうか?
と、
何度も何度も自分に問うようになりました。