Beauty Japan 私の子育て(Career)
ご覧いただきありがとうございます
踊るヨガインストラクター
AYA世代のガンサバイバーNAHOです
Beauty Japan日本大会に挑戦しています
応援頂けますと幸いです
今回は私のキャリア
妊娠前から出産、子育て時期について
私は会社員をしながらもインストラクターを
30歳と遅咲きで初めました
昔から好きだったダンスのインストラクター
そこからヨガインストラクターになった訳ですが
好きな事をとことん突き通して仕事にしていました
インストラクターだけでなく
バイト掛け持ちしたり、医療事務の勉強をしたり
結婚する前はやりたい事をやって
時間はなく、寝る時間削って
働きながら勉強をしていました
一人暮らしだったので、食事も適当にお腹が膨れたらいいくらいのものばかりでした
その後ご縁があり、結婚、妊娠し、娘を出産しました
好きな仕事を一旦休業をして、子どものために生きる覚悟を決めた時期です。
帝王切開でしたが、無事元気な娘が生まれました
健康そのものでしたが、ほんとに寝ない子で
1〜2時間おきの授乳にヘロヘロの毎日
1日トータル数時間しか寝れず、
細切れ睡眠で体も心もクタクタでした💦
子育て舐めてた😭
こんなに寝ないか??
娘はいつも母乳を欲しがるので、
ずっとあげてました
母乳をたくさん飲むおかげで、お顔も体もプニプニの赤ちゃん👶
生後3ヶ月で少しおデブちゃん👶
すくすく成長します
その頃私はいっつもボーっとして
だるいなー
えらいなー
しんどいなーって思ってました
産後うつ傾向にありました
ハーフバースデーも無事迎え、ムチムチボディの娘🥰
娘は元気そのもの
私はずっと3時間おきに起こされるので
毎日が眠かった😭
自分さえ我慢すればと思って、自己肯定感なんて
全くなくて、謎に自己嫌悪の毎日を過ごします
生後10ヶ月でひとりで立ったが出来たから
どやー!
ってる顔です
そんな焦らずともゆっくり成長してくれたらいいんだけど、動き回る元気な娘でした😀
娘は笑顔だけど、私はきっとこの時笑顔なんて無かったと思う。全然育児を楽しいとも思えず、一人で辛かった記憶しか残ってない
もちろん私、まだ夜中も日中もかかわらず
3時間おきに授乳して、ほとんど寝れてません
生後1歳7ヶ月になり
偏食はものすごいありましたが、
すくすく成長し、家族とお出かけする前です
運転したがって、運転席でハンドルを握ってニコニコご満悦な娘🥰
私はまだまだ3時間おきに授乳してます
なかなか断乳が出来ず…好きなように授乳をしてました
なんだかこの辺りから、体が眠れてないことの連続で考えるのもつらくて、怠くて、毎日しんどかった記憶があります
笑顔だったこの日の夜
私達家族の運命が変わります
食事が適当だったのが悪いのか
出産後睡眠不足だったのが悪いのか
夜中に突然吐血します
何度も吐血して、気持ち悪くて
緊急入院しました
告げられた病名は
「胃がん」
進行性のスキルス性胃がんでした
ステージⅡで
がんの部分を切除する手術が必要でした
手術後
ご飯食べられない
痛くて寝れない
貧血で起き上がれない
なんで私ばっかりしんどいんだろ
なんで私ばっかり辛いんだろ
なんで頑張ってきたのに、この仕打ちなんだろ
と思うのはマイナスな事ばかり
でも唯一の救いは
この子が元気そのものだった事
私が悪いものを吸収して
娘にだけは良いものだけ吸収してくれていたのが救い
私の体はガンだらけだったのに、その母乳を飲んでいた娘の健康が不安で怖かった
入院が決まってから
主人は1ヶ月仕事を休み
義母も1ヶ月仕事を休み
東京から滋賀まで駆けつけてもらった
公園に連れて行ってもらったり、娘の偏食具合にばばちゃんは試行錯誤して
実の妹夫婦が娘と遊んでくれたり
家族がたくさんサポートしてくれました
昼も夜もひとりでねんねが出来ないから、
お父ちゃんはいつもドライブで寝かしつけ
私がいないから早朝3時に目を覚ます娘を毎日なだめるばばちゃん
思い出すだけで心が痛いし、泣ける
娘の成長は問題ないけど、ちょっと育てにくい子でした
それは私の体が栄養不足で、母乳では栄養が足りなかったから夜泣きしていたのかもしれないし
私の体がすでにガンで怠くて、娘の食事のこと、睡眠のことに向き合えなかったせい
それでも娘は元気そのものでした
37歳でガン宣告され、進行が早い可能性があるとのことで抗がん剤治療が始まります
断ることも、違う治療方法も今なら考えられるけど、その時の私は、自己否定が強いから、周りの意見や周囲を気遣って言われた通りにやってた
私の抗がん剤治療で髪の毛は抜けません。
しんどいのは、倦怠感と悪阻
みたいな気持ち悪さが毎日続いた事。それが1年半
食べたら、吐いて、食べたら下痢して
全く栄養を吸収出来ない体に
この時体重30キロ台だったと思います
食事もうまく摂れない
体も動かしにくいなか、
子どもを一時保育で預かってくれる場所が新しくできて、子どもと少し距離をとりながら
自分の治療に専念する時間を作ったり
困った時に助けてくれる友人に出会います
子どもの食事
栄養の話
メンタルの話
教えて支えてくれた人がいたから
なんとかヨガの仕事を体調を見計らって再開していました
この頃にヨガって心も体も整うなと実感します
そして、自分だけでなく、家族の健康
周囲の人達の健康をめちゃくちゃ考えるようになりました。
抗がん剤治療1年半が終わり 食事も普通に食べられるようになったおかげで
2022年くらいからアクティブに動けるようになり
ヨガの仕事、ダンスの仕事も少しずつ頂けるようになってきました
そしていつも娘と家に閉じこもってばかりだった時に
可哀想だなと思っていたので
毎日毎日色々なところに遊びに行きます
治療中は私が寝てばかりだったのを気を使ってくれていた娘。一人で遊んでくれていたり
気づいたらタオルケットをかけてくれてたりと
思いやりのある子に育ってくれてました
今や私が元気になったから
わんぱく度合いも増しましたが
大人だけの場所に行っても
暴れすぎることはなく、待ってくれることも出来るように
今ほぼ完全に復活してきたのは
娘の存在が大きかった
そして支えてくれる家族
困った時に助けてくれる友人
支えてくれた人達のために
私はまた他の方にもサポートしていく人でありたいと思います
産後うつ予防のためにも、交流会を開催したり
AYA世代の事を知ってもらう事
サポート出来る事を見出すこと
私の使命を全うしていきます!