ヨガ的視点から見る心のケアー
ご存知かとは思いますが、私はアメリカ在住のヨガ講師。渡米してかれこれ25年近くになります。思えば、24歳で日本を離れましたので、日本に住んでいた年月よりも、アメリカで過ごした年月の方が長くなってしまいました。
ここアメリカでは、もう何年もの間、鬱病的なものはごく普通であって、驚くほど多数の人がいろいろな薬を服用しています。幸い、私や家族は今のところ、お薬とは無縁の生活を送っていますが、これもまたかなり珍しいようです。
更にここ2年くらいは、コロナ感染症によるパンデミックで、うつ病が益々増え、特に若い学生さんの間の発生数が驚くほど増加していると聞きますが、これはアメリカに限ったことでなく、世界的に見てもほぼ同じ傾向だと言われています。
うつ病というのは、脳のケミカルバランスとかトラウマ体験とか、色々な要素が複雑に絡みあって起こることだと思うので、私ごとぎが、あれやこれやと言うのは大変おこがましいのですが、心のケアーとも多少は関わりがありそうなので、今日はその事について、ヨガの教えを紹介させていただきます。
ヨガスートラという経典には、ヨガとは何かという疑問についてこのように書かれています。
1−2. ヨーガハ チッタ ヴッルテイ ニローダハ (サンスクリット)
訳:ヨーガとは、心の動きを静かに収める事です
私たち人間には、心が備わっています。ヨガを練習する事により、自分と心を切り離して捉えられるようになるのですが、心というものは、なかなかのじゃじゃ馬で、五感による刺激により、あっちに行ったり、こっちに行ったり、気持ちが把ぶったかと思えば、突然沈んだり。しっかり意識して、どこかに留めておかないと、ついつい迷子になってしまいます。
では、このじゃじゃ馬を一箇所に留める方法とはなんでしょうか?
ヨガの教えでは、まずは心たるやなんぞや?という切り口で始めます。
そして、心(または考えとも言える)の動きには、以下の3つの質があるんだそうです。
1. サットヴァ(純質)
2.ラジャス(動質、激質)
3.タマス(鈍質)
純質とは、穏やかで調和に満ちた状態。慈悲深く他を理解しようとする質。
動質、激質とは、活動的で野心的な心の状態。嬉しいときには有頂天になり、怒り悲しみにより激しく動く質。
鈍質とは、不活発、何も気にしない、何もしたくないという質。
理想的なのは、純質であることは間違いありませんが、私たち人間の心は、上記の3つの質がその時々で優勢に出てくるという事です。どこからか賑やかな声が聞こえてきたら、そちらに心が動きますし、怒りや嫉妬により激質が優勢に出たりと。しかし、これらの質は、心の動きであって、それを見つめ、見極める存在の自分があることを認知することで、心の動きを静かに収めることが可能になるそうです。
静かに自分自身と向き合い、「今心は動いている」、「今心は鈍く重たい」、という状態をありのままに受け入れる事で、心が純質の状態へと導かれていくのでしょう。
その手段として、様々な呼吸法や、アーサナヨガ、または瞑想などがあるのだと思います。
このような、自分自身の解体作業みたいなことをしていくうちに、もしかしたら、うつ病の輪廻からも抜けられるのでは、ないかなあ、、、、と感じたりもします。
あくまで、ヨガ視点からですが。
Sat Num