心とは、モンキーなマインドの集まり
私の知る限りで、マインドフルネスを提唱した方は、ベトナム人の禅僧ティク・ナット・ハンさんだと思うのですが、この記事を書くにあたって、彼の生い立ちなど調べていたところ、なんと先月1月22日にお亡くなりになられたと知りました。最近は、極力ニュースを見ることを控えていたので、全く知りませんでした。
ティク・ナット・ハンさんといえば ”行動する仏教” 活動が特に印象的です。
ベトナム戦争中、僧院の中で修行を続けるべきか、あるいは僧院を出て爆撃に苦しむ人のために行動すべきか考えた末、戦禍をくぐりながらその両方を行うことを決意し、実際に行動された人です。アメリカでは、ダライラマと並んで非常に尊敬されている人物で、彼が提唱した ”モンキーマインド” は、瞑想やマインドフルネスの指導をさせていただく際に、わかりやすく説明できるツールの一つでもあります。
さてさて、本日は、モンキーマインドの集まりの心について、書いていこうと思います。
ヨガの教えでは、
「心をケアーしないと、本当の自分の存在がわからない」
と言います。
理解できそうでいて、なかなか抽象的な教えです。
なので、心は何か?という切り口から入っていく事にします。
これもまた経典を解説されている本からの引用となりますが、心とは、考えの動きの集まり、だと言います。
「考えの動きって?」
またまた疑問ですよね。これを本当にわかりやすく教えてくださったのが、ティク・ナット・ハンさんです。彼は、考えの動きを、モンキーマインドに例えました。お猿さんが、バナナを見つけ、それを食べようとすると、おやおや、向こうの木にりんごがなっているのが目に入りました。という事で、バナナなど投げ捨て、リンゴの木の方に歩き始めると、その先にはみかんの木になるみかんが目に止まりました。リンゴに手をかけつつも、気持ちはみかんに、、、、、というように、考えが一つの場所に留まらず、次から次へと動いていくことの例え話です。
考えの動き(モンキーマインド)とは、考えや、理解、決断、判断、新しい情報を得て、知覚し、記憶として残し、または迷い、判断するということを行うための道具です。このような考えの動きを通じて、私たちは、人生を経験していくというわけです。ところが、この考えの動きが道具であることを忘れ、いつしか、それが自分自身だと勘違いすることで、心は平静から離れていつまでも揺れ動いて、それがストレスとなり苦悩へと変わっていくということです。
ティク・ナット・ハンさんの瞑想のビデオなど拝見していると、aware やknoticeという呼びかけが頻繁になされます。どちらも、「気付きなさい」というような意味ですが、呼吸に意識を集中して考えの動きを収めたとき、モンキーマインドを見つめる別の意識が芽生える。それは本来の自分であり、感覚による刺激で揺れ動く考えは、別のものであるという事に ”気づく” ということだと、私なりに理解しています。
こうして、心 という抽象的なものを、解体し認識することで、心の扱い方が見えてくるのだと思います。皆様も、是非、心の中のお猿さんをじっくり観察してみましょう。そこから 何かの ”気づき” が生まれるかもしれません。
最後に、ティク・ナット・ハンさんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。
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