父が最後にくれたプレゼント
先日、父が亡くなりました。
本当に頑固で人の話を聞かない人で。
本当は優しくしたいのに、それを表現できない、優しさと厳しさを取り違えている、いつも怒っているザ昭和な人でした。
だから、小さい頃はいろいろ嫌な思いもたくさんしたし、大人になってからもいろいろありました。
暖かい幸せな家族とは程遠い感じだったし、大人になって、離れて生活するようになっても父に対する苦手意識ようなものもずっとあり。
だけど、おチビが産まれて、最初はどう接すればよいかわからなそうだった父が
(何しろ、自分の子供をただ単純にかわいがったことがない。)
ニコニコしながら手をつないで散歩をしたり、おしゃべりしたり。
それだけでも奇跡のような光景だったと思います。
おチビの病気はあったけど、やっと落ち着いて。
このまましばらくは、穏やかな日々が続くものだと思っていました。
でも年明けすぐに、定期的に行っている病院の検査で父の癌がわかりました。
もう、かなりの末期でした。
「あと、2週間で死んでもおかしくない」と言われて。
本人も、あまり表には出しませんでしたが、だいぶショックを受けていました。
そこから、9ヶ月。
治療をしながら、夏までは自分で動けて元気だったのが、だんだん食べられなくなってきて。
動けなくなってきて。
何も食べたくないって言うから、
これなら食べられるというプリンを
毎日作ってあげて。
8月に、いよいよこれ以上はまずいねとなり、入院に。
旦那さんにおんぶされて、車椅子に乗る父は、かつてないくらいやせていました。
そこで、2週間の余命宣告。
でもそこから転院して、その後2ヶ月近く。
転院先に、週末はおチビを連れて行き、ケーキを買って誕生日にお祝いをしてあげたり。
なるべく、勉強中のヒーリングをしてあげて。
それを、父がどう受け止めていたかは分かりませんが、私にとっては、宝物のような時間でした。
亡くなる前々日、おチビはインフルエンザになり40°の高熱。
次の日に父の病院に行った時には、もうだいぶ血圧も下がり、おしっこもあまりでないような状態でした。
あんまり反応もなくて。
目も焦点があわなくて。
今思えば、すぐ亡くなっていてもおかしくない状態だったのだと思います。
でも、楽になったらいいなぁと、冷たい手足を1時間ほどヒーリングしました。
発熱中のおチビも待ってるし、そろそろ帰らなければいけない、、、。
でも、生きてる父に会えるのは最後かもしれない。
その時、冷蔵庫に、メロンが入っていたことを思い出しました。
食べるわけないよなぁと思いながら、
「お父さん、食べる〜?」と聞くと。
うんうんと、頷くのです。
え!マジか!と、
急いで柔らかそうなところを口に持っていくと、、、。
食べた!!
一口。ごくん。
二口、三口。
「美味しい?」と聞くと
うんうんと目を瞑ったまま、また頷きました。
奇跡。
きっと、私達のために、戻ってきてくれたのだと思います。
死ぬはずのところを、戻ってきちゃうくらい。
予定をかえちゃうくらい。
父に愛されていた。
なくなって、もう4ヶ月。
今さらながら、感じる父の愛。
愛されてなかったなんて、嘘だったんだよ。
伝え方は下手くそだったかもしれないけど、
受け取りにくい、愛だったけど。
ちゃんと、お父さんに愛されていた。
奇跡が、ヒーリングのおかげかといえばそんなことはわからないし。
人に聞いたら、偶然だよと言われるかもしれません。
でも、実際に起こった奇跡。
名付けて、メロン事件😆
ヒーリングとは、愛であること。
愛って、ちゃんと伝わるんだね。
お父さん、ありがとう。
大丈夫だからね。
心配しないでね。
愛されてたって、ちゃんとわかったよ。
お父さんからの、最後の
大きな大きなプレゼント。
受け取れたことに、感謝です。
ヒーリングを学んでいてよかったなぁ。
あの時、「やろう!!」と決めてよかったな。
最後に、父の手を握って、
「また明日来るからね」と言ったら、
また、うんうんと頷いて。
またね、と帰ってきました。
それが、生きている父に会った最後でした。
続きは、またボチボチ書きたいと思います。
それでは、また〜🍀