本当に辛い時、人は神に祈る。治療中で一番きつい時のお話。
※神さまの話ですが、ヨガの知恵についてのお話です。特定の宗教団体には所属しておりません。
神さまに会ったことってありますか?
私はずーっと信じてなかった。
全ては自分でなんとかするしかない。
別に何にもしてくれないし。
誰かがこの状況をなんとかしてくれるわけじゃないし。
ましてや、神?
見たこともないし、霊能力とかないし。
祈ったって、何にもしてくれないじゃないか。
ずーっとそう思っていました。
なんで、おチビが病気にならなきゃいけないんだ。
神さまは何にもしてくれない。
だから、私がなんとかしなければ。
その時は神に祈っていたつもりだけど、本当に神さまどうにかしてください、とは祈れていなかった。
祈りが通じるわけはないよね。
だって、心の底で、どうせ、、、って思ってるのに。
私の中には、いつも何かに対する怒りのようなものがあって。
その怒りのもとに、負けたくない。
私がなんとかしてやる。
「私が」
そうやって、いつも何かに負けないように。
「大丈夫」と虚勢をはって生きていました。
おチビの病気に関して、私達にできることは全部やりました。
でも、眼球は摘出することになってしまった。
後は、病理検査で脳転移があるかどうかの結果待ち。
血液検査の数値はあまり良くない。
とにかく、おチビに元気になってほしい。
でも、私達にできることはもうなかった。
どうしたらいいのか、、、。
こんなに神に祈っている(つもりな)のに。
なんでなんだ。
そんな時にあったヨガの師匠の高野山でのリトリート。
それどころじゃないし、最初はぜんぜん行くつもりはなかったと思います。
でもこれしかないような気がして。
最後の1人の申し込みに滑り込みました。
なんでもいいから助けてほしいとは思っているけど、神さまってなんなのかわからない。
だから、1日目の参拝の時、
「神さまをわかるようにしてください。」
と祈りました。
すると、フッと思い出したのです。
朝、家を出る前のおチビを。
まだ、早朝5時くらい。
いつもは絶対に起きない時間。
1階で支度をしていたら、トントンと降りてくる足音がしました。
私だけで出かけようとしていると、わかっていても大泣きして、大変な騒ぎになるのが通常運転。
正直、これは予定時間に出られるかわからないぞ、、、。と焦りました。
おチビに
「どうしたの?まだ寝てていいんだよ」
と声をかけると、半分寝ぼけながら本当に穏やかににっこり笑って、
「あのね、お母さんを見送ろうと思って早く起きたの」
そして、ベッドに自分で戻り、
「気をつけてね」と言ってまた寝たのです。
その時はよく考えなかったけれど、通常のおチビならありえないことでした。
まだ、6才になったばかりです。
「あぁ、あれこそ神だ。」
そう、思いました。
いつもどこにいるんだろうと思っていたのに。
ここにいたんだ。
拒否していたのは、見ないようにしていたのは、自分だった。
おチビは大好きだよって伝えてくれたのです。
まだ6才で、ママがそばにいない日なんて、彼にとっては多分ありえない。
でも、なんかわからんけどママには必要らしい。
じゃあ、応援しないとねって、彼なりに最大限の頑張れをくれました。
肩肘はって、大丈夫だって、私が正しいって。
自分の中にちぢこまっているから、わからないだけ。
正しさを主張したり、自分の気持ちをごまかしたりしなくていいんだ。
ただ、素直に辛いよ、苦しいよって言えばよかった。
自分自身にさえ、本当の気持ちを隠していました。
こんなにギリギリまで、自分を見るのが怖かった。
でも、大丈夫なんだ。
だって、いつも愛されてるんだから。
おチビに。
家族に。
友達に。
神さまに。
自分自身に。
おチビが、それを見せてくれました。
神は、どこにでもいて。
愛が、光があるところにいらっしゃるんだと。
その愛が優しく開く時、ありとあらゆるものが、つながっているんだと。
帰り道、歩きながら涙があふれて止まりませんでした。
この時、生まれて初めて、いつも、いつでもずーっと愛されていたことが理解できて。
辛い。助けてほしい。
って神さまに本音が言えたのだと思います。
その時の祈りに、「私が」は無かった。
おチビの愛が、神が、私の「我」を持って行ってくれたのかもしれません。
無意識にいつも主語についている、
「私なんて」
「どうせ」
「私が」
というエゴ。
自分のその、無意識の「我」に、自分で気がつくのは本当に難しい。
自分にとっては、当たり前だから。
まるで、自分自身であるかのように、自分にピッタリとくっついていて見えない。
それに気が付かせてくれるのが、神さま。
愛であり、光であり、私自身。
「あなたがすべての源である」
(ヴェーダーンタより)
そのほかにも、直で神さまと繋がるびっくり体験がたくさんありました。
またの機会に少しずつお話しようと思います。
(画像は、高野山で出会った野生のカモシカ。
なんと、おチビと同じく右目が見えないカモシカさんでした。
人間がたくさんいるところに、野生のカモシカが現れるのはめったに無いそう。
見えない目でしばらくジーッとこちらを見つめ、どこかへ去って行きました。まさに、神さまのお使いとしか思えませんでした。)
とにかく息をするたびに、本当の自分にかえっていくような。
枯れかけた木に、清水がしみこんでいくような不思議なリトリートでした。
そして、リトリートから帰ってきてすぐの病理検査の結果は、99%転移なし。
治療は終了となりました。
ご利益が、、、。とか
こうしたから病気が治ったんだとか、そんなことはわからないし、本当に人によって違う。
どうしたら良いかなんて、わかりません。
ただ、私にとっては自分が生まれ変わるような体験でした。
もちろん、まだまだたくさんエゴはあるし、自分への全肯定なんて難しい時も多々ありますが、
それでも、自分が愛されて、守られていること。
それが理解できたことは、本当に大きなことでした。
行った人には、何かが起こるリトリート。
それが、師匠がナビゲートするリトリートです。
今、悩んでいたり、生きていくことが辛かったり。
何かわからないけど何かを変えたかったり、求めるものがある方。
ぜひぜひ参加をおすすめします。
神社仏閣に興味がある方、
私の話を読んでいただいて
少しでも心が動いた方も。
あなたの中に何かなければ、読んでいただくというご縁もありません。
自分の心がアンテナです。
ピピっと来た方はぜひ!
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