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治療後にもらった言葉「その時できたことが最善のこと」〜ギャーナヨガ〜
私のヨガの師匠、奈良ナーラーヤナ氏。
師匠の話す言葉は、知恵のヨガ。
「その時できたことが最善のこと」
私がこの言葉を師匠からいただいたのは、おチビの手術が終わり、1ヶ月ほどした頃でした。(私の子どもは小児がんでした。その話もそのうち書きたいと思います。)
何の用事だったか、 zoomで話をしていた時でした。
急に、言われたのです。
「大丈夫かね?」
とりあえず治療のめどもつきほっとしていたころだったので、おチビのことかと思い、大丈夫ですと答えました。
「いやいや違う。あんさんのことじゃ。」
最初は何を言われているかわかりませんでした。
でも、話そうとすると言葉が出ず。
知らないうちに涙がでていました。
「自分を責めとらんかね?」
その通りでした。
私はこう思っていました。
「あの時の選択はまちがっていたかも」
「もっと早く気がついていれば」
「私にもっとできることがあれば」
「私のせいで」
自覚していませんでしたが、ずっと自分を責めていたのです。
「やれることは全部やっとるよ」
思い返してみました。
確かに、あれ以上できたことは、私にはありませんでした。
仕事を休職し、入院以外は毎日、片道1時間半の高速を飛ばして点滴に通い、おチビの身体にあわせたごはんを作り、病気に関するあらゆることを調べ。
ここには書ききれない、たくさんのことがありました。
そして、毎日、泣きながら祈っていました。
「おチビが元気になりますように」
あれが、あの時の私にできる精一杯のことでした。
「あのな、その時できたことが最善なんじゃよ」
人は、自分が思うような結果ではないと、ダメだった理由を探します。
能力がないから。
私のせいで。
もしくは、誰かのせいで。
自覚はなかったけれど、その時の私はまさにそれでした。
私の思っていた結果ではなかった。
おチビの片目が見えなくなってしまった。
自分ではダメだった。出来なかった。
ごめんね。
起こったことをグルグルと。
どうしようもないのに。
それは、とっても苦しいことです。
師匠に言われなければ、ずっと気が付かないうちに自分を否定して生きていたかもしれません。
そんなことになるために、私が自分を責めるために、おチビは病気になったのではないのです。
彼は、彼の魂の望みを叶えるために生まれ、そしてチャレンジをしているのだから。
(死生学では、病気や障害を持って生まれた人をチャレンジャーと言います。)
みんな幸せになるために。
うっかり、彼のチャレンジを無駄にするところでした。
病気ではなくても、こどもに対する思いがあればあるほど、なにかをしてあげられなかったり、後悔があると、つい親は自分を責めてしまいます。
でも、子どもはそんなこと望んでいない。
ただ、幸せでいてほしいだけです。
親が子どもを思うように、子どもも親を思っています。
「その時できたことが最善のこと」
みんな、自分を責めなくてもいいのだと思います。
もっとこうしたい、ああしたいはもちろん大事です。
でも、それが自分のエゴに変わりそうな時、
この言葉を思い出すことにしています。
本当はただ、家族で笑顔でいたいだけだから。
「火が薪を灰にするように、知識は全ての業(カルマ)を燃やして灰にする。」
(バガヴァッド・ギータ 4章37節)
私の体験は、上記の一節に表されていると思います。
本当のこと(叡智)を理解することで、起こったことは同じでも、生き方が変わる。
自分の人生に生かせてこそ、ヨガを学ぶ意味がある。
ヨガやっててよかった。
マジで命拾いしたなぁと思います(笑)
叡智にあふれた師匠の生の声が聞ける
stand.fm ぜひ。
↓
https://stand.fm/episodes/62b43377516b200006f62cf9