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時には、感情的に、自分に正直に行動する

家族内で感情をあらわにすることはある。
しかし、今まで生きてきた中で、家族以外の他人に対して感情をあらわにすることは一度もなかった。
社会なんて理不尽なことが山程あって、その理不尽とともに付き合うことがそもそもの生活になっていると思っている。
だから、理不尽な人や物事に出会ったとしても、少しだけ俯瞰して、敢えて同じ土俵には立たずに時が過ぎるのを待つか、相手にせずに逃げてしまうか、逆にその状況を楽しむかの選択をしてきた。

にも関わらず、今日は、直接、人に対してブチギレた。
ブチギレたと言っても、論理的に状況を説明して、自分自身が考えていることを忖度なくお伝えしたという感じで、声を荒げたり、罵声を浴びせた訳ではないが。

私は今、退職後にハローワークの職業訓練に通っている。
平日9:00−16:00で実施されている講座を受け、ある資格を取ろうとしているのだが、講座内容の中には、資格以外に「就職支援」という名前のキャリア面談が月に1回あり、一人ひとりに担当キャリア相談者がアサインされている。

そのキャリア相談者を、Aと呼ぶ。
Aは、特にキャリアコンサルタントなどの資格も持たず(講座自体の資格は持っている)、A側もハローワークから委託を受けた講座会社に雇われている(おそらく業務委託)人間である。
もう少し言うと、Aは、推定65歳のおじさん。

そのキャリア面談で事件は起こった。

Aは、かなり上から目線の物言いをし、傾聴の姿勢を持たず、独自の意見を述べる人である。
初めて会った当初から、私の第六感が働き、「コイツ怪しいぞ」と警報が頭の中で鳴っており、注意はしていた。
しかも、事あるごとにボディタッチをしてくる(腕をチョンチョンと触る程度だが)ことや、貧乏ゆすりが止まらないことが、正直不快だった。
そして、Aから放たれる言葉は、もう知ってる内容だったり、時代遅れの内容だったりするから、話をしても全く得るものがなく、面白さがない。

本日、三度目の面談にて、案の定、独自の意見を並べ立てていたた。
何とかしのいで、時が過ぎるのを待つ気でいた私。
そんな中、Aから私の前職の業務に対して質問が。
質問を返したのだが、Aが私の前職のプロジェクトの「内容」に対しての私見を述べてきた。
「そのプロジェクトテーマ自体がおかしい。オレだったら、こうする」的な。

いつの間にやら、キャリア面談とはかけ離れた話しを突っ込んできた。

そこで私も感情が先に動いてしまった。

いやいや、プロジェクト内容に対するご意見など聞いてませんけど。
しかも、オレだったらこうするが、既に検討済の内容で、大したご意見でもないですけど。
もうイヤだ。
Aと話す時間が勿体ない。

そして、今までの不満が積み重なっていたこともあって、怒り爆発し、切り出してしまった。

要約すると下記のような感じのことを。
「その話し、キャリア面談において必要な話しですか?そもそも、話し方に圧があり、相手をリスペクトする姿勢を感じません。話す内容も独自の理論で話しをしており、私自身のアドバイスにはなっていません。面談者に必要な傾聴の姿勢もありません。
コミュニケーションが破綻していること、気づいていますか?コミュニケーションが破綻した中でキャリア面談などできる訳ないのに、何をされたいのですか?相談する気にならないので、担当を変えて下さい。」

文章にすると、私、怖い・・・。

しかし、Aは、オレは悪くない理論を展開し、面談を続行させようとした。
ということで、私は
「面談を中断して下さい。担当変更に関して、別の方にお伝えする必要があれば私から話します」
と伝えて、その場を切り上げたという経緯です。

その後、別の担当の方へ、状況を話したら、他の方からも同様のご意見をもらっていることで、即担当者が変更になることになった。
そんな人、最初からアサインするなよ。もう。


上記を文章で書きながら、まじでくだらないことで感情を揺さぶられている自分にほとほと呆れる。
今となっては、もっと穏便に事を済ませることはできなかったのか?
単なる職業訓練で、数ヶ月だけの付き合いでしょ?
と思ったりもする。

しかし、一方で、人生始めて、怒りの感情の中で人と対峙したことに、少々満足感もあるのも事実なのが不思議。
きちんと相手に伝えられたことに爽快感さえ覚える自分がいる。

今までの私は、理不尽なことが起きて苦しい思いや悔しい思いをしても、その場の空気が壊れないように、相手が不快にならないように、うまくやり過ごしていた。
しかし、後で悶々と考えて、気持ちを引きずって、大事な自分時間がネチネチ時間となり、過ごしていたであろう。

何故、今回、こんな行動をおこしたか、裏話しもある。
それは、あと2ヶ月程度の付き合いだから、関係性が崩れても支障がないということを見越していたため。
そして、抗議したところで、独自の理論で展開するAの性格もよく分かっており、本当の所でAが痛手を追わないことも分かっていた。

私の行動は、称賛すべきことではない。
こんな行動を誰も彼にもすべきことではない。
状況をきちんと見極めなければならない。
そして、今回は見極めた上で行動した。

私は自他ともに認めるHSPでもある。
争い事を嫌い、いつも心に収めて、潜んでいるほう。
しかし、そんな私が、自分の感情を吐露できた。
不快と考えることに対して、真正面から相手にぶつかり、本音を述べることがなんと気持ち良いことか。
実体験してようやく気付いた。

大人であるから、時と場合によるが、
時には、感情的に、正直に、行動してもいいんだなということを
40歳過ぎて体験から学んだ。

ただ、、、読み返してみても、今回の怒りの内容がくだらなすぎる点は悪しからず。





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