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パサデナ市で音楽CDとコーヒーショップのコラボ店を開店


OpusをOpen
 クリスマスの輝きは私の心を暖め、アメリカは私を歓迎してくれているように感じてしまった。しかし、「住む」のであれば合法的に!が、モチロン大前提。そのため、ビザ取得への大奮闘を開始。

 海外に住む場合、必ず、ビザの問題が発生する。会社の赴任などで住む方々は会社がビザを取得してくれる場合がほとんどなので問題はない。しかし、個人で住むとなるとこれはかなり、大変。
 私の場合は大胆にもまずはアメリカに移住してしまい、日本と往復しながらロサンゼルスの郊外の小都市パサデナ市でオフィスを借り、息子2人と音楽CDストアを経営する会社を設立、いわゆる投資家ビザと言われるE-2ビザを取るためビジネスを起業。ロサンゼルスのダウンタウンにオフィスを構えるユダヤ系のアメリカ人のビザ取得専門の弁護士に頼んで申請の準備。高校を卒業して渡米、留学ビザで大学を済ませた息子2人と私3人全員のビザの申請だ。設立した会社の事業計画や原資の証明、全員の戸籍謄本、私の財産証明など、各種の証明書に加えて、以前、私が働いていたアメリカの通信会社AT&Tからの推薦状、さらに、なぜ、アメリカに住みたいか?などなど、これでもか!と思えるほどの大仰な手続きに、日本国内を東へ西へ、北へ南へと奔走の毎日。最終的にはA4の紙が厚さ5センチになるような書類を作成させられた。その間、パサデナ市の旧ルート66のメインの通りに面する場所に、夢のCDストアの開店に向かって奔走する息子2人と私。心配と希望が交差する落ち着かない日々が続いた。
結果、約3か月後に家族全員、E-2ビザを無事に取得出来た。知らせをもらった時は家族で飛び上がって大喜び。早速、ワインで乾杯!
 その後、手続きのため日本のアメリカ大使館に行った時に係官に、
「許可が下りるまで3か月も掛かった」
と不満げに文句を言ったら
「あなたは最も早かったですよ」
と、憮然とした表情で怒られた。

 そして、6か月後、念願のCDストア「Opus」はめでたくOpen!
開店後はロサンゼルスの地方紙3紙にも写真入りで取り上げられ、毎日、2つのレジには長蛇の列。

 ビザは下り、商売繁盛。家族全員の顔はほころんでいた。しかし、約3年後、アメリカ全土にフリーダウンロードが始まり、突然と言ってよいほど、音楽CDが売れなくなった。店は閑古鳥が鳴くようになり、わずか4年で閉店。ただ、この店の経営で私達家族は多くの貴重な経験をし、そして、今でも生かされているより良く生きる人生を学んだ!

羅府新報:

1903年にカリフォルニア州ロサンゼルスで南カリフォルニア大学の3人の日本人学生により創刊された。当初は情報誌レベルの内容であったが、その後本格的な新聞となった。また創刊当初は日本語版のみであったが、1926年には英語版の発行も開始した。

第二次世界大戦下の1941年12月に日米間で開戦したことを受け、日系人の強制収容が行われたことから1942年以降数年間強制的に休刊させられたものの、1945年8月の終戦後の1946年に復刊した。その後アメリカにおける代表的な日本語新聞の1つとして発行を続け、2003年には創刊100周年を迎えた。

現在は火曜日・水曜日・木曜日・土曜日に45,000部発行されている。休刊日はあるものの、アメリカ国内で最も多く購読されている邦字新聞であり、アメリカ西海岸の日系アメリカ人及び日本人コミュニティにおける影響力が大きい。また、ウェブサイトでも記事を閲覧することが可能である。本社はロサンゼルス中心部のリトル・トーキョーにある。



Opus店内

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