はじめに
この世に生きる
この世で生活をするということは不安の塊だろうか
世の中は安全であること、安定していることを強く求める傾向にある。
「どっちがよいのかわからなくて」
とか
「危ないからやめなさい」
なんていうセリフは日常生活でよく耳にするし、大学生が就職活動を始めると必ず人気の企業ランキングなるものが発表される。
ランクインしているのは有名な企業ばかり。
いわゆる大企業だ。
終身雇用は崩壊し、昇給が保証されない、またはほとんど昇級のない年功序列は若者を苦しめる搾取システムに見えてくる。
それどころか非正規雇用が多いことが問題視され、もはや企業に正社員で就職するのは難しいと言った見方もされる。(時代の流れで多少の変化はあるけれど)
本当にそうなのだろうか?
どうして安全、安定がいいのだろうか?
僕は医療系国家資格を持ち、14年くらい病院で働いていた。
病院というのは特殊な場所で、世間の常識とは異なる部分が多い。
医療の仕事をしていると、思考は自然と科学的なそれになってくる。
・それは再現性があるのか?
・その仮説の正しさはどういう理由からか?
実験という取り組みにおいてまず立てられるものが「仮説」である。
その仮説を実証するために、対象を定め、実験方法を決める。
(多くの場合、統計的な解釈の手法も決める)
一つの仮説がどのくらい確かな説なのかを実証するために実験を行う
実験が行われなければ、仮説が正しいのかどうかもわからない。
間違っているかどうかもわからない。
正しいのか、間違っているのかどちらかわからない、「仮説状態」の情報に対して右往左往するのが、不安や心配の正体のように思う。
僕は仮説の全てを実証するための実験をしたわけでも、したいわけでもない。
それでも、不安ばかりの人生は過ごしたくないので、数々の「思考実験」を行う。
そういう姿勢で世の中を見ると世の中の全ては仮説であると言えなくもない。
なんで仮説であると言えるのかを考えてみたい。
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