そうだ、小説を読もう
2014年10月11日にFacebookでこんなことを書いていた。 ·
【そうだ、小説を読もう】
ノンフィクションを読んでいたり
勉強をしていたり
目の前の現実の出来事に集中していると
小説が読みたくなる。
仕事上、「人間」を相手にしているので
ボクの日常に【仮説】は欠かせない。
「もしも、この人が〇〇ならば(〇〇じゃなかったら)・・・」
「もしも、この人が△△したら(△△しなかったら)・・・」
なんてのは日常茶飯事だ。
それ以外にも、
「もしも、こんな出来事が起きたら」
みたいな【仮説】を積み重ねておくことは
とても重要な意味を持っていると思っている。
仮説は言うなれば、
「まだ現実になっていないこと」
つまり、これから起こるかもしれないし
起こらないかもしれないこと
を言うものだと思っている。
科学の実験なんかでも
「仮説」を立てて、それを実証して
みたいなことを繰り返す。
それは妄想だ
と言われようとも
仮説を積み重ねていくことは、ある意味
「科学的」な作業とも言える。
別に、機械を使って実験して
統計学的な処理をすることが
「科学的」ではない。
ボクのような
「妄想家」
もやってる手順は科学的なのである。
話が逸れた。
そういった仮説が散りばめられているのが
「小説」の世界だ。
小説家は仮説を提供するのが仕事である
と
村上春樹先生はおっしゃっている。
リアルを追いかけすぎると
ファンタジーが欲しくなる。
ファンタジーの向こう側に
リアルが現れたりもする。
村上春樹先生は
「壁抜け」
という表現を使われるが
なんとなくわかる気がする。
上手く表現できないが
壁抜けをしているのではないか
と自分で思う瞬間もある。
最近、自分の中で仮説が枯渇してきた感じがする。
パターン化しつつある自分を飛び越えて
立体感のある仮説を持つために
ボクには「物語」が必要みたいだ。
現実に苦しんでいる人へ
もしかしたら仮説が枯渇しているのかもしれない。
あなたには物語が必要なのかもしれない。
ボクはインターネットよりも
小説をお奨めする。