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ナースはライブなんてしない/可能性は無限大だから -名取さな1stLIVE サナトリック・ウェーブで感じたことの話


よかったですね
名取さな1stLive サナトリック・ウェーブ

昼夜2公演を運良く現地で、1Fスタンディングの溢れる熱気とともに浴びてきました。

はじめはそのあたりの感想を書きつつ、
今回のライブで得た熱量と、新曲「ノーゲスト、イン、ザ、テアトロ。」と「ソラの果てまで」に感化されて書きたくなった、自分にとって、名取さなはどう見えているのかを言語化できたらなと思い書いていきます。

拙い文ですが、ちゃんと向き合って書こうかと思うのでどうぞお付き合いください。



サナトリック・ウエーブ、最高!!

ほんと最高だった。マジで。
今回私は、本当に運良く昼夜2公演とも現地にて見ることが叶いました。
チケ戦、過酷だったね……

あいにくと曲について、音楽について造詣は深く無く、今回のカバー曲もほぼ初めて聴いた!みたいな状態なので、選曲や音についてはそれに詳しいせんせえとか、あるいは同時視聴時の名取にお願いするとして。ここではマジで感想を。

いやほんとに良くってぇ!!!
こう、全部良かったんですが!ほんとに!
書くと本題に一生辿りつかないので。
アニマルま〜る、一緒に踊ったり、「ぱぱぱん!ぱぱぱん!ぱぱぱぱぱん!」とかできたりしてすごく楽しい曲だった!とか。
オヒトリサマ、ハードな曲なのもあってサイリウムも自然と激しくなったし、一気に血が沸き立って良かったとか。
弱酸性ラジおしりぷり音頭ブレイク、めちゃくちゃだったのにすんごく楽しい曲だしこれ弱酸性ラジオブレイクの曲繋ぎ性能爆高じゃん!てなったし、和太鼓もすごかった!!!、とか。

昼夜、よく知る曲知らない曲問わず、本当に全編楽しかった。

でもやっぱり今回のライブへの印象を決定付けたのは、惑星ループ でした。

10万人記念で歌って、
そのあと登録者10万人刻みで歌枠してあげようかなって言うほど、あの頃の名取は歌は積極的じゃなかった印象でした。
ニコニコ超会議 VTuber Fes Japan 2019から少しずつ変わってはいて
ばくさん。でPPAP歌ってくれて
ばくたん。リベンジでは新曲2曲引っ提げてくるころにはもう立派に名取さなは歌ってて
イベントを重ねるごとに曲が増えて、気がついたら20曲、そして単独ライブを開くまでに。

今回歌った曲も、そうでない曲も、
名取の「歌」も振り返ると、ちゃんとこれまで歩き続けた足跡になっているなと。

名取さなの活動の中で、割と明確に「1歩踏み出せた」ものを感じて胸が熱くなりました。
いや、今はもう既に1歩どころじゃないんですが。

でも正直、ライブ中はそういうエモの感情よりも、名取の歌に一緒にコールして楽しめるっていうところがホント楽しくてボルテージあげて声出したりペンライト振ったりしていました。
感慨に耽るのは後でもできるから、今は全力で楽しみたい、みたいな。

注:以降の文章は

ここからは自分のなりの捉え方とか、感じ方とか、そしてそれを踏まえての自省のような文章です。
考え方はそれぞれですので、他人の知見くらいに捉えていただけますと幸いです。

どうか、鵜呑みになさいませんよう。
あなたの価値観・感想はあなただけのものです。
馴れ合わなくていい。

ついでに。
「嘘」がどうこうという話は触れこそすれど、話の主題ではないことは先に書いておきます。
それこそ2023に書いたし。

前説: Vtuberってなんだ?

さて、新曲や名取について話す前に、前提となるVへの価値観についてお話した方が良いかなと思うので書きます。

これは昨今、ニュースやポストでフォロワーの意見含めて様々なものを見聞きしたことや、ハロー・マイ・バースデイの際に書いたnoteを出した際にいただいた反応から、言語化しておいた方がいいかなと思い、記しておきます。
とはいえ、本質的にはもう2023年に書いたことなのですが。

個人的に、「V」とは、フィルターだと思っています。

我々は、Vtuberが出す、現実世界のルポや食レポ、あるいは超美麗3Dや顔だけキャラを貼っつけた実写写真でも、「キャラクター」というフィルターを通すことでそのVtuberがそこにいることにして楽しんでいます。
(有り体にいえば「中の人なんていない」という概念のような。)

以前にバーチャルYoutuberとVtuberの区分の話を以前しましたが、これになぞらえれば
バーチャルYoutuberは、練られた世界観や設定によって向こうが強力なフィルターを用意しているもの
Vtuberは世界観等の縛りなく柔軟な活動を可能にする代わりにフィルターを視聴者に委ねるもの
とも区分出来そうです。


そして大事なのは
客観的にはフィルターを通して見ていることを認識しながら、自分の主観の中では絶対に世界の中に彼ら彼女らが実在していると思い込んで楽しむこと。

この辺の感覚、バ美肉の方を応援してるとなんとなく培われる気がします。
客観的には、「中の人はおじさん」だし、そんなおじさんが己の画力やテクノロジーを駆使して女の子になっていることを理解している。でも主観的には、わちゃわちゃ配信している時ははその姿のままの女の子のキャラクターとして見る。

そういう感じ。

なので、クリエイターとしての中の人への興味は理解できても、キャラクターそのままの幻想を中の人にぶつけるのは違う話だったり。逆もしかりで、○○の中の人は××!(の転生!)みたいに言われたとて、んまぁそりゃそうだろうけど、USJのアトラクションでわざわざ3Dメガネせずに乗る意味ある?みたいな話になってきます。陽キャに馴染もうと狙いにいってドスベりカマすよーなやつですら今どきしないようなネタ。まぁ業務妨害で下手すりゃ裁判沙汰でしょうし。
そしてこの中の肉まで抉ろうとするユニコーンと文脈すら読めないゴシップ記者気取りって、「つっつく⇄過反応する」っていう共生関係を組んで界隈に寄生してるからまーたこれめんどくs………

……………………失礼?
話が逸れちゃった。丁寧にいきましょう。

フィルターの話。
いわゆるバーチャルYoutuberの方々って、自社でスタジオ用意して、3Dモデルを用意して、設定を作って、ある程度の台本を元に収録・動画を投稿するような、本来はストーリーの中にしかいないアニメのキャラクターが、Youtuberという形を持って双方向性のあるコンテンツを出すみたいな形態だったと思うんですよね。それは、こちらに提供するまでに多大なコストをかけてフィルターを通してくれているわけで。
それに対して、例えば一挙手一投足のわかる3Dから一枚絵のLive2Dに(今はLive2Dもすごいことなってるけど)、綿密に組まれた動画からより気軽な配信に(これは設定のボロに対して気軽、という意味。)というように、かかるコストを減らしてよりいろんな人が成りやすく、そしてより自由に、フレキシブルに活動できる代わりに、キャラクターとして見るためのフィルターを視聴者の脳に課したのがVtuberかなと思っています。
バーチャルYoutuberが好きな人から見れば、極論アニメを見ようとしてたら実写ドラマに舵切られた感じでちょっとね……となったかもしれません。

んで、最近誰かの収録終わりか何かの写真で、顔だけキャラだったかアイコンだったか貼っつけたものに対して「こんなのVtuberとは呼べない!」ってツイートを見た時に、わぁ歴史って繰り返されるんだなぁ、Vtuberって、Vってそういう枷のない存在だと思ってたんだけどなぁ……とは思っちゃったり。

そういうこともあって、ここからの話がはじまります。

また予防線張っておきますが、別に「風とバーチャル」に寄稿するわけでもない、アカデミックな論考ではなく単なる感想文のための前置きなので、根拠なんてありません。
反論とか別の視座とかあれば、各々でnoteとかにまとめて下さい。読みたい。
ここでは聞き流していただけますと幸いです。

ハロー・マイ・バースデイ

さて、以前に書いたハロー・マイ・バースデイの感想、あの話をフィルターで表現するのならば、
これまで名取自身が提供していた名取さなの世界観というフィルターを、5年間に培った信頼関係に基づいて、せんせえ達を含めた見てくれる人に預けた、とも言えるかなと。

あのばくたん。以降の活動でその片鱗が見えている気がします。
例えば那須どうぶつ王国コラボ。
他の大手の方ならば、「○○動物園コラボに実際に行ってきた!」みたいな動画を出すであろうところを、
宮地さんをはじめ那須どうぶつ王国の方々のご協力で、「バーチャルサナトリウムにいる名取と、遠方でなかなか行けない先生のために王国内を中継する」という形で提供されました。
名取さなの持つ世界観を那須どうぶつ王国の皆様に理解していただき、預けてこそ実現できるコラボだったのではないでしょうか。

また、毒にも薬にもならないラジオも、
ラジオ収録、しかも毒味のコーナーのように、リアルなスタジオにいてこそ可能なのでは?と思うようなものでも、我々リスナーが「バーチャル人類の名取があんなことしてる…!」という認識を持って聴くことで名取さなの贈るラジオが出来上がっているのではないでしょうか。

そしてもちろん、名取さなと、名取■奈との向き合いの話でもあって………

解釈 : ノーゲスト、イン、ザ、テアトロ。

前もこの言葉を使った記憶があるのですが、
けっこう「当たり判定の大きい」歌な気がしていて。
だからこそ、いろんな解釈のしようがあるし、それでいてしっくり来なさそうな。

となると必要なのは、歌詞のひとつひとつへの分析より視点の多さかもしれないので、幾許か出ていた、「理想の名取さなと、名取■奈」という部分から少し外した見方もしてみようかと。
あくまで、妄想。

名取はもともと、サナトリウムにいて。
そして、動画「-」(2018年10月13日公開)にて、「みんなを癒せるナースがいい」と言っていて。

きっと、もしかすると、2011年以降に、名取■奈が元気になれるよう、ずっと面倒を見てくれていたナースさんがいて。
そういう人への憧れが生まれていたとしたら。

どこか1番の歌詞には、これまで感じてきた苦しみと、そこで寄り添ってくれた誰かへの感謝にも見えてきて。

ナースとして、バーチャルの生を歩みたいという、願いにも聞こえてきて。

そして2番。
そうやって、バーチャルでナースになっても。

例えば、そうなりたいと準備して、いよいよデビュー間近という時に、先にバーチャルナースがこの世に産まれていたり。

例えば、大手から、「リアル世界で医療現場で働いている」ナースがデビューしてきたり。

そして、例えば、みんなを癒すナースでありたいと願っていても、コロナ禍という病による大きな波に活動を阻まれてしまったり。

自分が紹介される文言は「バーチャルYoutuber」とか、「Vtuber」で。
心のどこかで思い描いたナースさんからは離れていたかもしれなくて。

ともすれば、自分をナースだと思っているのは本当に自分1人かもしれなくて。

でもそんな中でも、「バーチャルYoutuberな」名取さなに救われたって人は、癒されたって人はたくさんいる。

ナースとして在りたい自分を見てるのは誰もいなかったとしても、
ナースのように誰かを癒して元気づけている「ば〜ちゃるな〜す」な自分はここにいる。

だからこそ、あのナースさんのようにありたいという感情は諦めても、
あのナースさんと同じくらい、誰を元気づけられるば〜ちゃるな〜すとして生きたい。

あの時かけてもらった、ナースさんからの愛と歩き続けながら、
今ば〜ちゃるな〜すとして受けている愛を受け止めて生きていきたい。

そんなふうにも捉えられるかな、と。

これはあくまで、「ナース」という名取さなのアイデンティティにフォーカスした上での解釈で。
でもきっと、「理想と現実、嘘とホント」みたいな概念であればきっとどれでも当てはまりうるとは思います。

なので、考え方の一例として。
なりたい自分と、今なっている自分。
その名前や在り方は違っても本質的には近づいているからこそ、憧れの姿を諦めても今の歩みを止めずに進んでいくんだ、みたいなメッセージなのかなと。

解釈:ソラの果てまで

そして。
「ノーゲスト、イン、ザ、テアトロ。」がそんな心境の変化のうち、心の内にあるものだとしたら。

「ソラの果てまで」はその心境の変化を前に打ち出して、進んでいく覚悟の歌にも感じられます。

1番は「託した電波」「あなたの好きな色だったら」「ぬかるんだ道すら スキップで行けたら」と、どこか受動的で、願望に似た歌詞が多かったのに、

いじわるに笑ってみせて、月日を経て、「ああ あしあとが増えるたび 芽生えてゆく」と気づいてから、

「自分で届けたい 組み立てた電波塔に 繋ぎたい気持ち全部」「自分だけの思いの色を この手で届けたい」「雨の日でも進む」と、自らの手で進んでいくんだという決意を、そして

ソラの果てまで続いてく
道は長く
その色を変えても
 
芽生えていく

♪ソラの果てまで  /  名取さな

たとえ変わっていっても、続いていく道と、そこにつくあしあとに芽生えるたくさんの新たな可能性に心躍らせるような、そんな歌になっている。

そんな気がしています。

あとこれは関係ない話だけど、「春はむずがゆい」って、すごくニマニマしちゃう歌詞。
これからの春ずっとむずがゆくしてやるぞ。その度にせんせえは満身創痍になってる気がするけど。


感想:サナトリック・ウェーブ

ナースはライブなんてしない。
そりゃそうだ。確かに。
病院から抜け出して、マイク持って、何千人といる前で昼夜2公演32曲歌うナースなんて、前代未聞だろう。

でも、バーチャルなら、Vなら、そんなば〜ちゃるな〜すがいてもいいのではなかろうか。

はじまりはたった一曲、しかも歌が主目的じゃなかったとしても、そこから一曲、また一曲と増えて、いつのまにかセトリから漏れるくらい曲を持つようになって。

そして、あんなに最高の景色を見せてくれるなら。


今回の感想として、1番思ったことは、「名取さなのこういうとこ、好きだな」とは思っても、「名取さなはこうでなくちゃ」は捨てていこう、というものでした。

名取さながどんな人間なのか、それはこれまでにたくさん見せられて、魅せられてきた。

そして強く、これからも進んで行くんだって、私自身と向き合ったとしても名取さなは終わらないと示してくれて。

そして、たくさんの挑戦で結実した成果として、今回最高のライブを見せてくれて。
しかも、2019年にコロナ禍で諦めた声出しや金テープも見事にやりあげて。せんせえの過去の後悔を吹っ切って。

これから先は、名取さなは、進み続けるんだと。
「名取さな」を大切にしながら、でも囚われることなく、たくさんの色を見せていくんだと。

そんな姿を見せられた気がして。

だったらせんせえたる自分だって。
ナースなんだったらとか、
今でも「バーチャルYoutuber」であるだとか、
「名取さななら」とか、
そんな、固まり始めた先入観を捨てて

名取さな というフィルターは大事にしても
名取さなを色眼鏡を通して見ることなく

これから名取さなが挑戦していくいろんなことを、たとえどんなにびっくりすることでも
この先一緒に楽しんでいきたいなと。

その先に、今回のライブみたいな、
もしくは今回のライブをゆうに超えるような、
すごい景色に一緒に立てると信じて。


名取さなの 可能性は無限大だから。

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