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カネコアヤノ『タオルケットは穏やかな』────今を生きる僕や彼らの明日の歌
"いいんだよ 分からないまま"、カネコアヤノは高らかにそう歌う。
2023年、1月にリリースされたアルバム『タオルケットは穏やかな』に収録されたタイトル曲、"タオルケットは穏やかな"は僕らの現在地点をハッキリと映し出している。
今の形になるほどに
アイスキャンディー熊のぬいぐるみ
大事にするのが大変になるのはなぜだろう
喉に詰まった君の言葉は
角が痛い 雲は厚い
歌い出しからカネコアヤノらしさに溢れている。"大人になる"と表現せずに"今の形になる"と歌にする、それはきっと大人になるということの概念や感覚が人それぞれ違うということを考慮しているのだと思う。"大人"とはなんだ?それすらも冒頭から問題提起している。
昔は大切だったものもいつしか分からなくなる。いつまでも抱えてはいられない。どうしてだろう。それでも残酷なほど時間は過ぎていく、気持ちばかり置いていかれるように人の形は変わっていく。あるべき形に変わっていく。そのたびに自分自身が、自分の大切なものが分からなくなっていく。
苦くて甘い君の空気
ぼくはいつも顔色を伺うばかりで
考えすぎて熱が出た日
それぞれの答えや解決
喉に詰まった 君の視線は
帰る場所さ ひとりじゃない
この時代を生きることはとても複雑だ。いつも誰かにとっての正解や正論が求められては押し付けられる。正しさよりも間違わないように、そればかりを考えて生きてしまう。自分が何かに属して、何者であるかを公表し続けなくてはいけないような気がしている。
"正しさ"ではなく、"解決"としたところにカネコアヤノらしさを感じた。僕らが求めているのは答えや正しさではなく、それぞれの解決なのだ。何かに則った、常識で塗りつぶした正解ではなく、僕や君や彼ら彼女たちひとりひとりの抱えた問題の解決がしたいのだ。
"ひとりじゃない"、ちゃんと届けたい人がいるのだ。
怖い夢なんて忘れてしまおう
鈴の音が鳴る方へと
安心する声の方へ
大丈夫と抱きしめて
"大丈夫"という言葉はどうしてこんなにも優しいのだろう。そしてカネコアヤノが歌うとどうしてこんなにも心強く感じるのだろう。苦しいこと、悲しいことに無理して立ち向かうことはない。自分の居心地のいい場所、安心する人や場所を求めたっていい。
大切なのは、大丈夫であること。
いいんだよ 分からないまま
曖昧な愛
家々の窓にはそれぞれが迷い
シャツの襟は立ったまま
そしてカネコアヤノは歌う、"いいんだよ 分からないまま"と。
人の生き方は曖昧で、ぼんやりとしていて、完璧とは言えないかもしれない。それは誰しもがそうなのだ。誰しもが100点でも0点でもない。みんな迷って、みんな複雑な思いを抱えている。誰もが今日もカッコつかずシャツの襟は立ったまま。それでいいんだよ。
大切なのはタオルケットのような穏やかさなのだから。
この曲には、これまでのカネコアヤノの楽曲とは少し違う一面を見た気がする。内省的だった前作の『よすが』とは打って変わり、外へと明日へとあからさまなアンセムコード進行と共に高らかに歌う。
少しずつ会場が大きくなり、ホールツアーや武道館でライブをやるようになり、注目度も上がってきた。ひとつの言動でもどうにか言われ、煩わしく思うこともきっと多いのだろう。だからこそ今作では逆に伝えたい思いをハッキリと歌にしたのかもしれない。
少しぶっきらぼうで不器用な彼女のいつもの歌よりも、丁寧に手渡すような暖かさを感じる。それはひとりの時代に立つ音楽家として、お客さんのひとりひとりに届ける覚悟が生まれたからなのかもしれない。
2023年は赦しの年だと勝手に感じている。
ここ数年は厳しい時代の中でたくさんの分断、争い、罵倒、論争が起きた。誰かを追い出し、何も生み出さない憎しみや意味のない対立、果てのない不安を抱えた。誰もが幸せになろうとしない、そんな時代を生きてきた。
だからこの2023年は、赦すことから始めていくべきだと思っている。足りなさも、怠惰も、不完全さも拙さも。お互いに認め合って、そして教え補い合っていく。そうだったらいいなと、この曲を聴きながら思った。いや、そうしていきたいと思った。
それはこの曲を聴いている人たちの範囲だけじゃなく、MVにも映るように世界中で生活をしている家々に住むたくさんのあなたのことを思うのだ。
でもとりあえずいま大切なのは、自分を赦すところから。明日を生きていこう。
いいんだよ、分からないままで。