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感情の波と宇宙の果て

最近はnoteが更新できてませんね。
特に「眠れない夜の話」については眠れない夜が減ってきているので書けなくなっています。とてもいいことです。
普段は怒りや悲しみや感情がざわめいた時に思うまま深夜の感情が昂り、果てしなく自分の心が宇宙と接続する時間(個人的な感覚)に書いています。作家の人はそういう書き方をする人が多いのでしょうか。音楽を作る人は夜中に作業をする人が多いと聞いたこともありますが、僕も思えば昔から何か作ったり書いたりする時は夜中が多かったです。

自分の心や感情に外から刺激が入ったり、触れたりすることが少ない、人が寝静まった時間に自分の心と向き合う時間を設けてきた。
普段は極力感情を剥き出さないように表情や言動に気を遣いながら生活していますが、その深夜の時間帯には全ての感情と一度に向き合います。かなりしんどい作業で、心を使い果たしてしまう時がある。正直何度かそれで心が壊れかけた夜がありました。これは心の整理とでもいうのでしょうか、アウトプットという言葉よりは近い気がします。

僕は比較的日常生活でも心の奥底では何かを壊してしまいたいほどの怒りや、消えてしまいたいほどの悲しみを感じながら生きていたりします。それとほぼ同じくらいに天まで登りそうな喜びや、溶けて自然と一体化しそうな幸せも感じることができています。
ただその所謂ネガティブな感情というのは一般的に否定されることが多いです。本屋でも「ポジティブに生きる方法」や「幸せな生き方」のようなタイトルの本がズラッと並んでいたりします。
でも僕らの生き方がどうしてそのポジティブに生きなければならないのか、ということから考える必要性があるように思う。
人間はポジティブとネガティブ、どちらも持っているから様々な思考や様々な美しさを保つことができると思っている。少なくとも僕はそうして生きてきた。

それでは世の中に生きる電車に毎朝揺られてる人たち、スーパーで買い物をしてる人たちはその感情をどう処理して向き合って生きているのだろうか。僕は街中ですれ違う人たちの顔や姿をよく見ながら歩くことがある。この人はどんな今日を過ごしたのだろう、どんな学生時代を、どんな恋愛をしているのだろう。そんな風に考える。
きっと殺したいほどの怒りを抱えたことも、死にたいほどの悲しみを知ったことも、もしかしたら本当に誰かを殺めてしまったこともあるのかもしれない。それか、ものすごく酷いことをしてきた人なのかもしれない…そこに関しては今は置いておこう。

僕はそんな人たちがどうやって日々を生きているのかが知りたいと思う時がある。辛くても苦しくても、どこへ向かうのか分からない、行き先も心地も分からない終着地点へとただ運ばれている同じ列車の乗客で。僕らは一体何をしているのだろうかと、知らない人の顔をただ眺めている。

人間は人間らしく、どこまでも人間らしく。
愛したり裏切ったり、手を取ったり取られたり、罪悪感に押しつぶされそうになりながら人を信じていたり。

なんだか今日はデタラメにただ書きたかった。
誰かにとってはどうでもいいこと、それでも自分にとっては大切なこと、それを今日も見つめていよう。味わっていよう人間味を。

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