見出し画像

久しぶり

大人になるとそこまで関係性は深くなかったけど面識のある人と再会することがあって、「あー、この人絶対覚えてないだろうなあ」と思って初対面のフリをしてサラッとその場を乗り切ることがある。

もし仮にここで「お久しぶりです!」と挨拶しても「誰でしたっけ?」と言われることはあまりない。お互いに大人なので覚えてるかどうかは問題ではなく「あ〜、お久しぶりです!」と元気に返すのがお決まりのパターンだ。挨拶程度であればこれによって互いに上手く乗りこなすことができる。人間の経験と知恵は凄い。

ただ僕らはもう大人なのでその人が本当に覚えていたのか、覚えていなくて返してくれたのかは大抵分かる。分かってしまう。
結局のところ"人に忘れられている"ということの寂しさとか悲しさが怖いのだと思う。漫画のワンピースでヒルルクも言っていたように、人が死ぬのは人に忘れられた時なのだと思う。忘れられること、忘れてしまうことというのは人間にとっては耐え難い恐怖なのだ。

人間の生活は毎日が己の記憶との格闘だ。
家の鍵をちゃんとかけたか、上司の連絡を返したか、冷蔵庫に消費期限の切れたものがないか、恋人の誕生日を忘れていないか…。毎日僕らの記憶力は試され続けている。
そしてどんな幸せな1日も不幸せな1日も通り過ぎて仕舞えば過去になって、やがて鮮明には思い出せないほどに薄れていく。人間の記憶力は脆くて曖昧。見た景色やその時に得た感情はついてこない。だから人は絵を描き、写真を撮り、人に伝え、本を書いた。
ただ逆に記憶が薄れていくから生きていけることもある。辛い記憶や悲しい感情がいつまでも残ってしまっては人は耐えられない。ちゃんと忘れて、ちゃんと過去にすることも大切なのだ。そこは上手く都合よくできている。

なんだろう…さっきから話が大きくなったり小さくなったりしてる気がする。
結局のところ今度久しぶりに再会する人がいて、絶対その人は自分のことを覚えてないから挨拶しない方が無難だよな…とか考えてるだけの話なんですけど…。まあ、なんとかやっていこう。大人なので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?