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苗場に行こう!


"フジロックフェスティバル"
今年もこの日がやってきた。

大人であろうが子供であろうが、楽しい日の前日はいつになってもソワソワして眠れないものだ。
そんな気持ちを大人になっても忘れずにいられる。なんて幸せな大人だろうかといつも思いながら布団に入るのだ。

今から5年前の2017年、初めてフジロックフェスティバルに足を踏み入れた。そこは中学生の頃からずっと憧れ続けていた場所だった。

2008年、当時13歳だった僕は今と変わらず、いや今よりもずっとロックや音楽にとにかく夢中だった。そんな時に同じく音楽好きだった10歳年上の従兄弟に連れられて初めて行ったライブがサマーソニックだった。
そのたった1日が、13歳の少年にとっては何もかもが衝撃だった。大人がただ夢中で踊り、暴れ、歌い、熱狂する。今まで暮らしてきた生活の中では出会えない興奮がそこにはあった。そしてヘッドライナーのThe Verveを見た時の、スタジアムの空を突き抜けんばかりの歓声と、リチャードアシュクロフトのフロントマン、ロックスターの存在感に少年の心は完全に焼き尽くされ、音楽フェスティバルというものにますます惹かれていくようになった。

それからというもの夏フェスの時期が終わると必ず発売される"夏フェス特集号"と銘打った『クロスビート』や『BUZZ』や『Snoozer』などの音楽雑誌を過去のバックナンバーも含めて買い漁った。今でも実家に大切に保管しているほど自分にとっての宝物になっている。
ステージの写真だけでなく、来日時の思い出などを語ったインタビュー、当日のライブレポートまでフェスティバルの空気感を一冊に閉じ込められたその特集が何よりも好きだった。
そしてフェスティバルならではのスロットルやラインナップをいろんな年で見比べることも楽しい。「去年までは午前だったのに次の年には夜になってる!」、「この日のこのステージのラインナップはイギリスのバンドばかりだなぁ」などその時代の音楽シーンの傾向や、バンドの成長を見ることができたり、そういったことにある種の興奮を勝手に感じていた。この時点でもうすっかり完全に夏フェスオタクが完成していたのだ。

BUZZ 48号 (発売日2008年08月29日) 2008 
ロック・フェス大特集!! FUJI ROCK FESTIVAL 08 / SUMMER SONIC 08 

そんな夏フェス特集号にはサマーソニックだけでなく、「どうやら山の方でやっているらしいフジロックフェスティバルというイベント」のことも載っており、そこでフジロックを知ることになる。
ただ、当時の自分にとっては渋めのラインナップで、大人な雰囲気だなぁと思っていた。そして子供が行くにはあまりに遠い場所でやっていることを知り、「自分には縁のないもの」と少し敬遠しつつも憧れを抱いていた。

そして高校生になると、ネットで"フジロックに行くやつはオシャレぶっていてイケすかない"などという記事を読み、難解な音楽を分かった風に聴いている人たちが山ほどいるサブカルフェスティバルなのだろうというあまりに乱暴な偏見を持つようになっていった。本当にどうかしている。10代の感性はどうかしているのだ。

その後もサマーソニックには2009、2014、2015、2016と参加し、すっかりフェスティバル慣れをしていた。それでも頭の片隅にフジロックのことがいつもあった。毎年発表されるラインナップはチェックしていたし、観たいアーティストも山ほどいたが、行き方などを調べるほどのエネルギーが働かず結局行けずにいた。それ以外にも大学のテスト期間といつも被っていて、どっちにしろ行くことができず諦める理由にはなっていた。

そして大学を卒業した2017年の春。フジロックにGorillazが来ることが発表され、もうそこから特に考える間も無く当たり前のように3日通しのチケットを買っていた。この10年はなんだったんだ?と言うほどアッサリとはじめてフジロックへ行くことが決まった。

フジロックの服装や荷物をネットで調べて用意して、新幹線で苗場へと向かった。ステージの名前や形、場所の雰囲気などは雑誌で10年近く予習していたのだからバッチリだった。
これまで少し敬遠したり、勝手な偏見を抱きながらも憧れていたフジロック。初めてグリーンステージを見た時の感動は今でも忘れられない。自分が雑誌で読んで想像していた何倍も広くて、空気は澄んでいて、100倍のグリーンだった。ところ天国の川の冷たさ、レッドマーキーの熱気、ホワイトステージの轟音、フィールドオブヘブンの異国情緒あふれる空気感、雨の中で我を忘れて踊る楽しさ。どれも雑誌で読むだけでは計り知ることのできないものだった。

ホワイトステージ

何より一番最初に感じたのは「もっと早く来ればよかった」だった。誰もが自由に自分の時間を自分のために楽しみ、音楽や自然と一番近い距離で共存しながらこの場所で遊んでいる。とても人間らしく文化的で豊かなフェスティバルであることを初めてフジロックに行って実感した。

特にThe xxのパフォーマンスは今でも忘れられない。巨大なスピーカーから鳴るキックの深い音とギターとベースが綺麗に森と反響し、自然の中に巨大なダンスフロアを作っていた。こんな奇跡的なバランスの音響で音楽を楽しめることがとても贅沢で幸せだと感じた。

それから翌年は仕事の関係で断念し、2019年にも再びフジロックに訪れた。"Siaの豪雨"と呼ばれて愛されている(?)フジロックらしい豪雨の洗礼も受け、無事フジロック愛を語れるほどに成長してきたと自分では思っている。

正直、どうしてこんなにフジロックが好きなのかは自分でもよく分からない。少年時代に行けなかったという若き日々の後悔がそうさせているのか、あのフジロックという場所がただ純粋に好きなのかは分からないが、1年に1度必ず同じ時期に同じ場所に行くという目的があることは繰り返しの日々を生きる僕らにとってとても大事な指標なのだと思う。キリスト教にクリスマスがあるように、夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの家に行くように、僕らにとってフジロック、苗場が存在する。そういう生きがいって人を豊かにするし優しくもするし、幸せにすると思う。

眠れないのでただ何も考えずに書いてみたけど、とにかく言えるのは"迷わず行けよ 行けば分かるさフジロック"ということ。ひと夏の思い出なんてものじゃない。一生物の夏をしよう。さあ、今年も始まるぞ。ロックンロール。

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