トガノハ 第三話
翌日。
特活隊の活動は基本的に依頼方式、仕事があればオペレーターが付近の隊員へ連絡を送り、承諾されて初めて活動を開始する。
そのため、上級隊員から下級隊員まで各所から引っ張りだこな反面、纏まった休日に恵まれない過酷な世界である。テレビなどの報道でも新規事業と秘匿性の高さから村八分の精神が発揮され、事件を警察と協力して解決しましたという一文が、たとえ昨日の銀行立てこもり事件のような状況でも一律して添えられる。
運営母体の剣馬重工としてはガス抜き程度に捉えているのか、もしくは彼らも有事には頼らざるを得ない現状に昏い愉悦を抱いているのかは分からない。が精力的に問題解決へ乗り出す気配はない。
「ま、どうでもいいんですけどねー」
ローラースケートがアスファルトを走り、白髪の少女──夢兎は行く当てもなく道を彷徨っていた。
平日の昼間から街中を歩く少女の姿は、周囲の衆目を集める。が、彼らが何か実際に行動へ移すことはない。たまに進路を塞ぐ警察官も、夢兎が懐から特活隊の証である携帯端末を取り出せば簡単に頭を下げて道を譲った。
風に乗るチラシのように右へ左へ、不安定な挙動を繰り返す少女の側を通り抜けようと考える者はいない。
左右を高層ビルに囲まれた港谷区、せっかくの休日を隙間風の吹く自宅で過ごすのも難だと外に駆り出すまでは良かった。が、中々どうして彼女の好奇心を刺激するものに欠けた町並は、ただ色鮮やかなだけの虚無を延々と映し続ける。
「こんな時こそ働いて稼ぐのが丸いんだけどなー……ん?」
何の気なしに携帯端末を取り出す。
こうなればヒバリに連絡を取って適当な仕事を取ってもらおうと、そう思っての行動であった。
ところが、電源の入った液晶には何故か埋め尽くさんばかりの通知が所狭しと広がっている。
一瞬浮かんだのは、昨日の通話。
一方的に電話を切ったことへの指摘であらば、多少は通知が連続するのも珍しくない。だが、それにしても数が多く、そして最新のものに関しては日付を跨いで十数分前にかかっている。
いったい何故、と思案するも、答えはすぐに見つかった。
「あ、マナーモード」
一方的に電話を断ち切った後、夢兎は間髪入れずに端末をサイレントモードに移行させ、音を消していたのを思い出す。バイブレーションすら起きないようにしていたため、何らかの連絡事項があっても夢兎が気づく可能性は絶無。その証拠が液晶を埋め尽くす通達の嵐か。
消音状態で幾度となく繰り返されてきた電話の通知。何度も繰り返す必要があったのは何故か。
暑い訳でもないのに、額から汗が滲む。
その時、再度の電話に画面が切り替わる。
震える親指が、左下に現れた受話器のマークをスライドさせた。
『遅いッ。どれだけ電話したと思ってるの?!』
挨拶の一つもなく、夢兎が何かを発するよりも早く、ヒバリがあらん限りの怒声をぶつける。スピーカーが正確に変換した声は、不意の火力に思わず端末を耳から遠ざけさせた。
特活隊の活動は人命に関わる。
研修時に言われた言葉が脳裏を過り、夢兎は口を震えさせて言葉を振り絞った。
「あ、あわ……ご、ごめんなさい……」
『ごめんなさいで済んだら私達は要らないのッ。自覚を持ってって話の直後にこれってどういうことなのッ、看板もう泥だらけだよ分かってるッ?!』
余程怒りが溜まっていたのか。一息ごとに怒気が吐き出され、その度に夢兎は見えてもいない相手へ頭を下げていた。
道路の一角で行えば相応に目立つ行為なのだが、今それを指摘すれば業火にガソリンを注ぐにも似た結果が訪れるのは明白。だからこそ、少女はひたすら口と頭で謝罪を繰り返す。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい、夢兎が悪かったよー……」
『そうよ君が悪いのよッ。電話を無視して本当に……え、何……!』
永遠にも思えた怒声が、不意に遠ざかる。
耳を済ませば別のオペレーターであろうか、ヒバリと口論を繰り広げている様子が拾えた。オペレーター室というものに薄暗く、正面の大型モニターからの光に照らされる横並びの人々、という印象を持っていた夢兎だが、もしもその構図であらば怒気に濡れた今の声量は流石に迷惑であろう。
やがて椅子の脚が乱暴に引かれ、ヒバリがいくらか声のトーンを落として電話を再開した。
『……とにかく、今後はこのようなことが起きないよう、気を引き締めてもらうからね』
「分かりました。夢兎、今後は意識を高めて仕事につきます」
『よろしい』
端的に告げると、ヒバリは本題を告げる。
『と、その前に。周囲の状況は大丈夫?
誰かに聞き耳を立てられると問題、なんて話じゃないからね』
「そうですねー……」
周囲を一瞥すると、夢兎の派手な外見も災いしてか、足を止める程ではないにしても通行人からは相応の注目が集まっていた。
「可愛い可愛い夢兎ちゃんに注がれる目は二〇センチ、ってところですねー」
『意味不明なこと言ってないで人のいない場所へ移動して』
混乱期からの繁栄著しい港谷区の車道、陽が上って数分と経たぬ時刻故に幾つかの大型トラックが通過するだけの車道を、一台の高級車が疾走する。
漆黒のボディに乗り手に配慮して技術の粋を集めた衝撃吸収機構が、内部に快適な乗車体験を提供した。ウインカー一つ、螺子の一つに至るまで計算され尽くした現代の戦車は、正しく王権を象徴する道具に相応しい。
「……」
ハンドルを握る初老の運転手の背後、後部座席に着席する夢兎は始めての体験を味わっていた。
即ち、尋常ならざる場違い感。
革張りの座席に身体が沈み、包み込む感触は確かに心地よい。職人か発達した機械の技術か、いずれにせよ彼らの努力を否定する意図はない。
なれば問題は至って単純、彼女自身の認識である。
普通の乗用車が左右に別れた特殊な座席方式を採用するか、否。
一般家庭で用いられる自動車に小型の冷蔵庫が搭載されているか、否。
子供がぼんやりと夢想する車で一目で高価と分かるシャンデリアが足元を照らすか、否。
否、否否否!
「運転手さん。この車には可愛い夢兎ちゃんじゃなくてもっとこう……カッコいい系の人が似合うんじゃないですかー?」
「フフフ、冗談が上手いですね。山城様は」
「いや、今のはそういうんじゃ……」
凄まじいまでの居心地の悪さに思わず滑った言葉であったが、運転手の頬を僅かに綻ばせる程度の結果に終わった。
スモークガラス越しの光景は、延々と高層ビルを映し続ける。高層建築に対しての減税措置が法律で可決されてからというもの、建築業界はこぞって建築技術を向上させていった。今ではかつてのランドマークであった東京スカイツリーを越す高さの建造物も数多い。
「山城様、後五分程で目的地にご到着します」
「漸く到着ですねー……んん」
左腕を伸ばして背伸びをすれば、膠着していた骨が一斉に軋みを上げる。既に乗車してから一時間は経過していた。如何に座り心地が良かろうとも、身体はどうしても動きを求めるというもの。
今までその存在を身近に感じたことは極々僅かであった。ただ漠然とした知識のみが叩き込まれ、今回護衛をするに当たって改めて叩き込まれた存在。二〇年前のトガノハ誕生に伴う混乱期を経て、日本に君臨する四つの勢力。四大貴族と呼ばれれば赤子ですら知っていると揶揄ったのはヒバリの弁。
軍産複合体にして特活隊を要する。剣馬重工。
国内最大の医療組織にして、一応は夢兎の恩人といえる。棚徒グループ。
国内シェア一位を独占する食料部門の雄。ハカリフーズ。
そして夢兎が現在向かっているのが、混乱の極みにあった日本を纏め挙げた政治結社。心身希求党。
今回夢兎が護衛することとなったのは心身希求党現党首──その一人息子であった。
聞いた話によれば、その息子というのは今年で一六になる少年らしく、身体の問題さえなければ高校へ通っている年齢とのこと。
「お兄ちゃんの同級生、いやー……それともお兄ちゃんが年上?」
脳裏に過る兄の容姿は小学生の頃で止まっている。
男子三日合わざれば刮目して見よ、との格言があるものの、八年も顔を合わせていないとなれば成長後の姿を夢想することさえ困難を極めた。
夢兎は公的にはテロに巻き込まれて死亡した人間として処理されている。
丁度、切断された右腕が墓へ納める遺骨として都合が良かったのだろう。一度、話に聞いていた一族の墓へ赴いた時には父や母、過去の親族と同様の文字で夢兎の文字も刻まれていた。僅か六歳の幼さで命を落とした子供として。
やがて視界の端で赤煉瓦を敷き詰めた正門が、高級車を歓迎した。