生きている意味
時々、何のために生きているのだろうと考えることがある。それは悲観的な意味ではなくシンプルに考えてしまう。自分一人がいなくても社会は回っていく。それが分かっていて考えても意味はないのにふと時間をかけて考えてしまうのだ。
生きるとは働くことなのか
働くこと、いわゆる社会に貢献することが生きることという考え方もある。ただ、それだけだと辛い。仕事ができない人は必要ない人なのか?そういうわけではない。だが「働く」というのは生きることにとってポイントとなるかもしれない。
仕事の能力は人それぞれ。性格も人それぞれ。ただ貢献度合いや仕事の能力だけで生きる意味を計るのも浅はかな気がする。ベクトルが能力や周りからの評価にある人よりも楽しんでやっている人のほうが魅力的に見えたりするときもある。
幸せなとき
好きな人と会っているとき、遊んでいるとき、ダラダラしているとき、リラックスしているときに幸せを感じる人は多いと思う。その時間は仕事以外の時間に起きることが多いと思う。ということは、生きていて喜びを感じるときは仕事だというわけでは無さそう。
結局生きる意味は分からない
今回はいつも以上に意味のわからない文を書かせてもらったが、結局生きる意味は分からなかった。でも幸せを感じる時間と働くことはなんか分からないけど大切そうな気がする。ただこれとはっきり言えるものは分からないし、これからもはっきりした答えが見つからないと思う。
最後に
生きている意味を考えたことのある人はどのくらいいるのだろうか。自分なりの答えが出た人はいるのだろうか。
私は今、やりたいことがあり叶えたい夢がある。そのために行動しているつもりだ。それが社会にどのくらい貢献出来るか分からないし、正直叶うかも分からない。
ただ自分のやりたいことに対して夢中になり一生懸命行動して、あとは自分にとって幸せだと直感で感じたことだけしていれば良いと思っている。私が今やりたいことは銭湯やカフェなどリラックスをコンセプトとした施設街を作ること。そのために少しずつ進んでいこうと思う。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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