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なぜ日本淡水魚なの?
僕が幾度となく聞かれた質問だ。
口頭ではそれっぽいことを言って納得してもらっているが、せっかく書き記す場があるので詳細をここへ置いておこうと思う。
- 原体験
僕は幼少期、自然と生き物が大好きな少年だった。
ゲームを買ってもらえず外で遊ぶしか選択肢のない僕は冬でもお構いなく外へ出掛けていた。
網を片手に生活用水路を探り、およそ生き物など存在していないような場所に確かに築かれた生態系に触れていた。
少し深くなっているところにはフナやカワムツの子供が群れていたり、石造りの壁とのわずかな隙間にドジョウが隠れていたり。
雨の後で増水した水路に大きなフナが数匹紛れていたこと、深場に網を入れて虎柄で飛行機みたいな姿をしたカマツカを捕まえたこと、夏祭りのあくる日に泳ぐ金魚たちを憐れんだこと…
ほんの20mくらい、それも下水へ流れ込むような場所に僕の原体験は詰め込まれている。
他にも、友達の住むマンションの麓にある水辺でヤゴを掬ったり、シオカラトンボのつがいが父の白い車のボンネットに産卵していたり、祭りの屋台でカメ掬いをしてミシシッピアカミミガメを飼ったり、国道沿いの熱帯魚ショップへ祖母に連れていってもらったり。
とにかく生き物が好きで、家では図鑑を読んで世界の動物ごっこをしたり、いつからかはわからないけど気づいた時には虜になっていた。
- 水面下の世界
親の事情で小学2年生まで大阪を離れ、神奈川へ住んでいた。
もちろん虫取りもしていたし生き物は好きだったが、いつしかそれは当たり前のことで、段々と習い事やゲームに集中していた。
大阪へ帰ってきた時に、プールの授業に向けて父に特訓を受けた。
全く乗り気じゃなかったが、温水プールへ何度も連れられ、泳ぎ方をスパルタ式に教え込まれ、溺れながら泣きながら泳いだのを今でも覚えている。
弱腰な僕はずっと浅瀬でぴちゃぴちゃ遊んでいたかったが、同時に殻を破ることと、その先の世界を垣間見せてくれたようにも思う。
溺れることが怖くて、まだ身長が低く足がつかないプールが恐ろしかったが、水に触れることは全く苦じゃなかった。
クロールは今も息継ぎがうまくできないし忙しい上に難しくて疲れるし下手で進みも悪いので嫌い。
でも、平泳ぎや潜水は大好きだ。
水の中に潜ったとき。音、泡、光。
空気よりも重く、抵抗の強い世界では、皆が等しくスローモーション。
流れる時間も聞こえる音も、緩やかで遠のいてゆく。
別世界に入門した僕は、いとも簡単に魅了されてしまっていた。
- 秘密道具の夢
みんな大好きドラえもん。
とりわけ僕は裏山を駆ける姿に羨望の眼差しを向けていたが、中でも自分の琴線を掻き鳴らすほどの衝撃を受けた話がある。
「深夜の町は海の底」
町全体を空想の水で満たし、そこへ魚たちにも空想の水を知覚させ、寝静まる夜の町を魚と共に泳ぐ話。
なんて素晴らしいんだ!
僕はこの話の美しさに胸を打たれてしまって、羨ましさに心の底から嫉妬した。
この感動を言葉にするのは野暮かもしれないが、水の中の世界で本当の意味で生活をしたいと憧れているのだ。
ボンベをつけて息苦しさを伴ってではなく、密閉されたゴーグル越しに見るのではなく、何の不自由もない状態で同じ世界を共有したいと僕は心の底から思っている。
だから僕はダイビングではなく、水族館の方が好みなのだろう。
彼らの生活圏に僕は同居したいし、僕らの生活圏に彼らが何不自由なく息づいていてほしい。
そんな叶うはずもない夢は、不可能だとわかっているからこそ美しいのかもしれない。
- 邂逅
母の実家がある静岡県へ行った時。近くの地域の施設に行った時、水槽で泳ぐオイカワを見た。
夏場、目の前に流れる大きな川の中に生息しているであろう彼らは、繁殖期を迎えて空色に桃の差し色が入った艶やかな姿をしていた。
来る前にどこかで見てその魚の名前を覚えていたため、実際に棲んでいる河川環境や力強く泳ぎ回る姿を答え合わせのように知った時の感動は大きかった。
それからだろうか。
段々と淡水魚に惹かれていったのは。
視界の片隅で、どこか淡水魚を追い求めていた。
日本の様々な環境に合わせて進化し、その土地に根ざした生き様。
これまで地味で弱々しいのかと勘違いしていた彼らのパワフルで派手な面、たくましく生き抜く姿の意外性。
多くの人々が見逃してしまっている彼らの面白さ、マニアックさ。
こんなにも面白い存在が海の魚よりもずっと僕たちの世界の近くに棲んでいたのだ。
- 決定打
芸術大学に入り自分を深く見つめ直した時に、自分のみならず世界の人々にとってもはや当たり前であり、世の理だとでも言わん勢いでみんな「生き物が好き」だと思い込んでいたことに気づいた。
全然そんなことなかったし、水族館を学びの施設と捉えて魚種名や生態を覚えて帰る楽しみ方なんて誰もやってなかった…。
熱烈に生き物が好きだと判明した一方で社会への帰属意識も就労意欲もほとんど無かったため、ダメ元で水族館のアルバイトを探し、運よくそこで働くことに。
そこで淡水魚のみならず様々なお魚を知りもっとたくさんのことを知りたいと思うようになり、図鑑を買ったりネットで調べたりを繰り返すうち、淡水魚はかなりの種類が絶滅の危機に瀕していたり近づきつつあることを知った。
また、ずっとお客さんの流れを見ているとどうしても淡水魚のコーナーは流し見されている確率が高く、その説明も個人的には不十分にも感じていた。
それに、季節によって体色が変化することは一度見るだけでは気付きづらく、その変化を楽しんでいた自分から言わせてみたら「勿体無い」とさえ思っていた。
そこにいて僕は一層淡水魚のことを好きになったが、人々はまだその魅力に気づいていない。これは由々しき事態ではないか。
それこそが僕の今の活動の原点でもある。
- 総評
ここまで書いておいて、やっぱり好きになった理由を一言で説明するのは難しいと感じる。
人が好きになる理由というのは総合的なものであり、一つのきっかけで決まることの方が少ないだろう。
ベースとして生き物全般が好きだし興味がある。
その中でも魚に強く惹かれていて、とりわけ日本淡水魚が面白い。
その程度の認識だ。
僕は天邪鬼で、若干M気質で、論理的だ。
そんな僕の癖として、マイナーでより課題解決が必要な分野にこそ取り組む意義を感じるし、やる気が漲るようだ。
その気質と日本淡水魚の置かれている状況がマッチしている、というのも一つのポイントのように思う。
昨今、日本淡水魚界隈は確かに盛り上がりを見せているように感じている。そしてそれは今後、一層勢いを増して行くだろう。
その一番熱い場所に自分が立っていたいと思うし、今その界隈にいる多くの人々とは違った来歴を持つからこそ出せる面白さもあるはずだと信じている。
ひょっとすると僕が日本淡水魚に抱く気持ちは好きよりも憧れの割合の方がずっと大きく、感情的というよりかは戦略的に捉えているのかも知れない。